@particle30

惑星イオはどこにある

祖母について

祖母のことを書いておこうと思う。わたしが祖母について知ることのすべてを。

あまりまとまりある記事を書くつもりはない。わたしはとにかく、現時点のわたしの頭のなかにある祖母の情報を、すべてここに書き出してしまいたいのだ。ひょっとすると年を追うごとに少しずつ祖母の情報を忘れているのかもしれない、と思うと、いてもたってもいられなくなった。すべて書き残しておきたい、彼女のすべてを。

わたしの言う「祖母」は父方の祖母のことで、母方の祖父母、そして父方の祖父は、わたしの記憶にはあまり残っていない。みんな、わたしが四歳になる前に亡くなってしまっていて、父方の祖母だけが、わたしが十六歳になる年まで生きていてくれた。

とはいってわたしがもう十代のうら若き乙女でない以上、祖母は随分前に亡くなったことになる。もう何年か生きておいて欲しかった、と思うことがたくさんある。その願いはもちろんかなうことはない。でも、わたしは祖母のことが好きだった。とても好きだった。それは祖母がわたしのことをとても愛してくれたからで、その返報性の原理で、わたしは祖母のことが好きだった。

どっぷりとした愛情、というものを信じることができるのは、祖母と父のおかげだ。

祖母はたいていの「おばあちゃん」と同じく、孫であるわたしにとても甘かった。とくに、わたしが祖母にとって初めての孫で、そして女の子だったから。

祖母はわたしに裁縫を教えてくれた。なにかを作るのがすきな人だった、と思う。いまもし生きてくれていたら、一緒にやりたいことがたくさんある。祖母が作ってくれた雛人形を、三月になったら毎年出している。祖父が作ってくれたお皿を漬物入れにしている。祖母はわたしが大事にしている人形の洋服を作ってくれた。わたしに大きな日本人形を贈ってくれた。わたしはその、結構本格的であるがゆえにちょっと怖い顔の人形が、どうしてかとても好きだった。祖母はわたしに惜しみなくなにかを与えたがっているように見えた。正直なところ、わたしはプレゼントの与えがいのある子供ではなかったように思う。なにかをもらったとき、喜ぶよりも先に申し訳なくて、ごめんなさいと思うような子供だった。小さいころから、自分が恵まれすぎているのではないかという疑念があった、という話は別の記事でまた書きたいけれど、この日本に生まれたたいていの子供はきっと、こう思うときがあると思う。「どうして世界には恵まれない子供がいるのに、わたしたちだけはそれなりに幸せに暮らしているのだろう」という不思議な気持ちのこと。わたしには、欲しくてたまらないのに手に入らないものなんてほとんどなかった。いや、欲しいものがあっても、「大人になったら手に入る」とわかっていた。本はある程度は買ってもらえたし、誕生日に欲しいものを聞かれても、あんまり出てこないような子供だった。あまりに何も欲しいものがなくて、実際、小学5年生の冬はなにもプレゼントをもらわなかった覚えすらある。弟に、なんてもったいないことを、と言われたのを覚えている。弟はそれなりに欲しいものが多い子供だった。

しかし、欲しいものが多い子供のほうが、きっと手なずけやすいし可愛かっただろうな、と今ならわかる。お菓子を見せれば喜ぶ子供のほうが可愛い。欲しいものがわかりやすくて、サプライズで渡したら大きな声で喜ぶ子供のほうが可愛い。まあしかし、わたしはそうではなかった。欲しいものが少なかったために、たまに欲しいものがあってそれを両親に言うと、比較的すぐに買ってもらえたように思う。実際、大人になってから、母親に「あなたは誕生日もクリスマスも子供の日も、なにもいらないっていうから、ちょっと怖くて、たまに何かが欲しいって言われたらすぐ買ってあげたくなったわ」と言われたことがあり、けっこう申し訳なくなった。母親をむやみに心配させることほど悪いことはない。

しかし祖母は、そんなわたしの無関心さとは関係なく、とにかく服や雑貨やアクセサリーなど、無節操にわたしに買い与えた。あまりに物を欲しがらないと気づくと、札束をそのままに与えてきたことすらあった(札束なんて見たのはあれが最初で最後だ)。とりあえずわたしは「ありがとう」と祖母にいつも電話をしたが、個人的にはあまりうれしくはなかった。服に対する意識が低く、何を着たって変わらないと思っていた。可愛い服ね、と母親に言われても、何が可愛くて何が可愛くないのか、まったく判別がつかなかった。わたしが「お洒落」というものを唐突に理解したのは十六か十七歳のときのことだ。その瞬間についてはっきり覚えている。京都旅行で、わたしは初めて「ほんとうに欲しい」と思うバッグに出会い、そしてそのバッグは1万円とちょっとの値段だった。今なら安いなと感じるけれど、そのときのわたしにとって、1万円を超えるバッグなんて手の届かない存在だった。周りを見渡した。なぜか初めて気づいたのだ、この世界にさまざまな可愛いものがあることに。それから、わたしはファッション雑誌を買うようになった。母親と一緒にいろんな店をめぐるようになった。わたしの変化に、父親だけは少し驚いたようだが、母親は「こんなものよ。従姉妹のあの子だって、今は洋服やらバッグやらものすごいでしょ。でも、十五歳ぐらいまではぜんぜん興味なさげで、心配してたぐらいだったんだから」と言った。そのころ、祖母はすでに亡くなっていた。わたしはそのことについて、突然とても申し訳なくなった。わたしが好きな服について話し、その服をねだったりしたら、きっと祖母は嬉しかっただろう。服屋でわたしが好きそうなものを見つけて贈ってくれることもあったかもしれないし、そういった買い物は祖母自身とても楽しかったに違いないのだ。とにかくもらったので「ありがとう」と義理堅く電話してくる孫よりも、これが欲しかった! と満足して弾む声で「ありがとう!」と電話してくる孫のほうが可愛かったに違いない。わたしがもう少し早ければ。あるいは、祖母がもう少し遅ければ。しばらく、祖母が好きだったものを好きになるたびに、取り返しのつかない申し訳なさを感じる日々が続いた。いまもたまに、どうしようもなくすまなく思う日がある。

祖母はわたしの名前について最初に反対した人のひとりだった。わたしの母親が、この子にこの名前をつけると言ったとき、祖母はかたく反対した。あまりかわいらしい名前ではなかったからだ。せっかく女の子なのだから、もっと可愛くて、音がよくて、素敵な名前があるのに、そんな名前にするなんておかしい。ぜったいにわたしはそんな名前では呼びませんからね、と大喧嘩したらしい。父と母は簡単にそれを流し、結局わたしはわたしの名前を授かった(わたしなら親にそんなにも反対された名前をぜったいに子供にはつけない……)。わたしはいま、自分の名前のことをこれ以上ないぐらいに愛しているけれど、たしかに可愛い名前かといわれたらそうでもないなと思う。でも、わたしの名前だ。二十余年付き合ってきた。(ちなみに祖母は、結局ふつうにわたしの名前を呼んでいた)

名づけのエピソードにもあるとおり、祖母はすぐに怒る人だった。しかしその怒りがわたしを不快にすることは殆どなかった。怒りの矛先が自分ではなかったから、という理由もあるのかもしれないが、やっぱり、祖母の怒りの表現が、とても美しかったからというのもある。あの美しさは忘れられない。やわらかな濡れ土のなかから一本の若葉が伸びて、唐突に大輪の花が咲くような立派さで、祖母は怒った。「怒り」についてわたしがそれほどマイナスのものだと振り分けできないのは、祖母の美しい怒りを知っているからだ。彼女は不満に思うこと、おかしいと思うことがあると、その花を咲かせ、立派にただ立ち尽くしてみせた。たいていの人はその前にひれ伏すしかなかった。怒りは表現であり、軟らかだった樹液が硬く琥珀に凝固して輝くようなことで、それは一種非可逆の化学反応ではあっても、運用さえ間違えなければけっして悪いものではない。

両親の結婚の折にも、祖母は怒った。ふたりがまだ若く、特に父は学生だったから。父は卒後の進路も不安定だった。母親は勝気に、わたしが稼ぐので問題ありませんが、とそれを突っぱねたので、祖母と母は最初のうちは仲がそれほどよくなかったらしい。らしい、とわたしが言えるのは、わたしが物心つくころにはその不和はきれいさっぱり解消されていたからだった。祖母と母はそれなりにうまくやっていた。ひどく親しいわけではなかったが、お互いそこそこにおせっかいで、それなりに世話を焼くのがすきな人だった。決断が早く、スピードが速いのを好む人たちだった。

おまけに祖母は美しい人だった。わたしの記憶に残る彼女は、どうしたって老人だったけれど、それでもセンスのよい人で、美しい人なのだろうとは分かった。彼女の洋服の柄がわたしは好きだった。ある日、祖母の家を全面リフォームして二世帯住宅にして祖母が伯父と暮らすことになったので、ものを片付けるためにわたしたちは祖母の家を訪れた。父が二十年をかけてつくりあげた巨大な書斎をわたしは最後に目に焼きつけ、不思議な魔法の城のような二階が取り壊されるのを惜しんだ。いま思うと、祖母の家はすこし不思議な間取りをしていた。急勾配の階段、書物で溢れた二階、三つもある応接間、家の奥に潜むほんとうに小さな寝室。一匹の猫。ふさがれた扉が二つも。

庭に面する大きな窓のある廊下は、ちょっとした部屋ほど広くて、その空間にいくつかの巨大な絵があった。その絵の整理を祖母と一緒にわたしはした。昼の光がよく入ってきていた。南向きの窓だった。絵の裏に、ひとつの巨大な写真が隠れていた。それは写真、と呼ぶにはあまりにも大きくて、少なくともA1よりも数回り大きい、ポスターとも呼ぶべきような写真で、一人の美しい女性が、ウェーブした髪をたなびかせて海辺に座っている写真だった。これはだれ? とわたしが聞くと、お上手なことを言うのね、と祖母は笑った。「昔の彼氏に撮ってもらったんだわ。モデルだったの」。嘘だろう、ともう一度写真を見た。あまりにも大きいその写真を、何十年も前の技術でどう作ったのかわからないが、少なくとも個人が気軽に印刷できるようなものではなさそうだった。わたしはそのとき、若いころの美しい写真を、昔の恋人が撮ってくれた写真を、ずっと持ち続けて、孫に見せるような大人というものにたいする憧れをしかけられたように思う。祖母は美しい人だった。

祖母はわたしが十六のときに亡くなった。

亡くなる前、祖母は父親に「あなたに何もしてあげられなかった」と言っていた。そんなことはない、と父親は返した。祖母は、伯父ばかり構ってしまった、と告白していた。あなたはそれなりにほおっておいても大丈夫だったから、と。わたしの父親は、生活面の話をするならば「手がかからない」なんてことはありえない。靴下は必ず裏返してしまうし、洗濯も料理もできないし、掃除や整理整頓はまったくまったく出来ない。しかしそれほど手をかけても、心配させても、人は死ぬ間際、「何もしてあげられなかった」なんて思うものなのか、と、わたしはその愛情の深さに、ほとんど恐怖した。そんな愛情があるのだ。それが親子の愛というものなのかと、わたしは恐ろしくなった。そんなに誰かを愛したことなんてなかったので。

祖母に何かを贈れば、きっと喜んでくれただろう。わたしは大人になったいま、ひどく旅行好きで、じつは平均すれば月に一度はどこかに出かけている。遠近さまざまな場所だが、そのお土産を毎月贈れば、きっとひどく喜んでくれただろう。事実、父と母は喜んでいる。それを祖母にはできなかった。

最後に会ったとき、祖母はわたしの手を取った。ひどく冷たい手だったけれど、かすかに体温があった。わたしはその手を握り、涙をこらえながら、祖母の言葉を聴いた。勉強をよくするように。恋人と仲良くするように。色んなことがあるだろうけど辛抱強くやるように。元気でいるように。そんな普遍的な教訓をわたしはうなずきながら聞いた。祖母は最後に、「もう来なくていい」と言った。「元気になってから、こちらから連絡するから、あなたは忙しいのだから、もう来なくても大丈夫」と言った。そして手が離れた。もう終わりなのか、と思った。

元気になる、ことなんてないと、わたしは聞いていた。祖母自身も知っていたはずだった。癌だった。よくなる見込みはまったくなかった。

一度病院を出たところで、父は母に電話をした。いま終わったよ。母は、あらかじめ取り寄せておいたお守りをちゃんと渡したかと父に聞いた。渡していなかった。わたしたちはもう一度病室に戻った。
忘れ物をしたことを伝え、お守りを渡した。祖母はありがとうと言った。起き上がったり、テレビを見たりすることはもうなくて、ただベッドのうえにいるだけだった。大事なときに忘れ物をしてどたばたしたりして、心配をかけたのが申し訳なかった。でも、いまでは忘れ物をしてよかったとせつに思う。祖母は最後に、父の手を握って、ごめんなさいと言った。元気でやりなさいと何度も言った。たぶん、祖母にとってはその言葉のほうが忘れ物で、だから、わたしたちはあの日、ヘマをして病室に二度も訪ねるはめになって、きっととても良かったのだ。

最後に話をしたのは、それから二ヶ月後、わたしの誕生日のことだ。その日は朝からどんちゃん騒ぎで、目覚めると机にケーキが置いてあったり(早朝友人の誰かが置いたのだろうが、どう考えても不法侵入だ)、部屋を出ると靴箱の上に馬鹿みたいな巨大なリボンのかかったプレゼントが置いてあった。朝の点呼の途中、監督生がわたしに小さな花束を差し出しながら「おめでとう!」と言った。まばらな拍手が響き、わたしは恥ずかしくなりながら部屋に戻った。誕生日がすきではない子どもだったのだ。扉を閉めた瞬間、待ち構えていたかのように、同室の生徒が「おめでとう」と言った。教室ではクラッカーの雨を受けた。

いつもどおり遠大なる数式をノートに写す授業のあと、PHSに入電があるのに気づいたわたしは、ふるえる手で折り返した。3コールの後、祖母が出た。誕生日おめでとう、と祖母は言った。それからいくつかのことをわたしに伝えた。プレゼントを選ぶ元気はないので、お金を送るということ。元気にやりなさいということ。勉強をがんばりなさいということ。
わたしは、まともにものを言えなかった。もっとわたしは何かを言うべきだったのに、なにも言えなかった。なにを言えばいいのかも分かっていなかった。わたしは努めてやさしく返事をした。祖母との電話はすぐに終わった。わたしはそのあとしばらく、なにも考えられなかった。あんなに弱弱しい声を出すのに、もういつまで命があるかもわからないなか、わたしの誕生日を覚えていたのだ。

わたしは愛を信じている。

それはすべて祖母と、そして父のおかげだ。二人以外の何者のおかげでもない。
もちろん、もう一人の親である母がわたしを愛していないとは思わないし、母からは母からでほかにさまざまな大切なことを教わったけれど、しかし無償の深い愛情の存在をわたしが信じていられるのは、祖母と父がわたしをそういう風に愛してくれたからだ。かれらはとても愛情深い人たちだった。

祖母の葬儀の喪主はとうぜん、父だった。父の挨拶を覚えている。
父はまず、「わたしは死ぬのが怖い」と言った。わたしもそうだった。あのころ、わたしは死ぬのが恐ろしくて、しかしそれでも、三十になるまえに自分は死ぬのだと、なぜだかそういう気がしていた。(誰だってそういうことがあると思う)。父は続けた。「しかし、昔はもっと怖かった。どうやって人は死の恐怖を乗り越えているのだろうと、不思議で仕方なかった。けれど今はそれほど怖くはない。怖いとは思うが、昔ほどではない。それはおそらく家族や仲間がいるからで、そういう関係がひとつ増えるたびに、死の恐怖が少しずつ薄れていくのを感じている。母もきっと、みなさんのおかげで、死はそれほど怖くなかったのではないかと思います。賑やかなのがとにかく好きな人でしたので、どうぞ楽しく団欒のうえ、母を見送ってあげてください」。

わたしはその挨拶でようやく泣いた。もちろん、祖母の訃報を聞いたとき、実際に祖母の遺体の前に立ったとき、どうしようもなく涙がじんわりと瞳の奥から出てきたけれど、でも、それだけだった。思い切り泣くということはなかった。だけど、その弔辞を聞きながら、せきとめていた涙があふれたように、ただただ涙が流れた。わたしは死というものがもつ喪失の力を、さいごに祖母に教えてもらった。そのあとわたしは何度も、長期間にわたり、発作のように泣く日があった。

参列のなかで、祖母の友人たちは「なにも知らなくて、お見舞いにもいけなくてごめんなさい」と言った。祖母は友人たちに自分の病気のことを隠していた。どうしてなのかは分からない。病気の姿を見せたくなかったのか、気を使わせたくなかったのか。

触ってあげてください、と勧められて、わたしは死に化粧の終わった祖母の頬を撫でた。ひどく冷たかった。四ヶ月ぶりに触れた肌は、あのころも冷たかったのに、今はもう、ほんの少しの温かみすらなかった。命とはなんだろうと思った。今目の前にいる祖母は誰なのかとも思った。そんな風に感じたのは、祖母の顔がどうにもわたしの知る祖母の顔と違っていたからだ。どうしてかひどく若々しい顔つきだった。白く、しわが少なく、美しい顔つきをしていた。

こんな詩も書いた。

 

それは穏やかな午後のことだった。
白い鳩は紫色の空を滑空して訃報を私に伝えてきた。
何処かで知らない鳥が鳴くのが聞こえた。
耳をふさぎたくなるような高音の鳴き声は、嬉しいのか哀しいのかどちらとも取れなかった。

次の日に蒸したような暑さの中で葬儀は行われた。
太陽は高くて棺からは遠かった。
葬儀屋は具合を悪くして早退してしまった。
死者は何故か若々しい顔つきをしていた。

大きくベルがかき鳴らされた。
どこか荘厳だという気がしていた。
馬鹿馬鹿しいほどあっけなかった。
手順と仕来りで凝り固められた式を見て気づいた。

弔いは生きている人の為のもの。
鎮魂歌は歌わない、貴方は何よりそれが嫌いだったから。
死者の相手はきっと天使がするだろう。
私達はせめて地上の悪魔にならないように祈るだけ。

――そうして大きな棺は土の中へ消えてしまった。


”貴方の見る夢が幸せでありますように”
”貴方の上の十字架が重くありませんように”

沢山の、貴方の為に祈りを捧げる人達の中で、
ようやく自分を思い出した。

”さようなら”
”ありがとう”


空には鳩がいて、紫色の空を滑空していた。
まだ埋められたばかりの穴から土の香りがしていて、
足元を今バッタが飛んだ。

それは穏やかな午後のことだった。

 

祖母が死んでから、わたしはこう思うようになった。長生きしよう。わたしのためではなく、わたしの子供の子供のために。わたしの遺伝子を受け継ぎ、きっと感情が細やかで、感受性豊かで表現や創作を愛する、いや、そうならないかもしれないけれど、でもわたしと同じような不安定さを持つかもしれないその子が、その生涯のなかで、愛をどっぷりと信じられるようになるために。わたしのように。


以上、わたしが愛を信じている理由について、でした。

人喰いの大鷲トリコ

 

――思い出の中のその怪物はいつも優しい目をしていた――

 

www.jp.playstation.com

 

 

 


恐ろしく感動した。

 

これほど質感を持って、体温のような生ぬるい暖かさを感じる、あとあとまで尾を引く物語は初めてかもしれない。

もちろん今までも、偉大な物語にはたくさん出会ってきたつもりだが、これほど肉感のあるものはなかった。

 

小説は人の思想を変えてしまうことがある。
漫画はときに人を勇敢にする作用をもつ。
では、ゲームは?

 


今でもトリコを見ると、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような気持ちになる。このゲームはわたしに弱点を作った。

 

 

つまり、「ゲーム」の、それもコンシューマーゲームの、素晴らしさというやつを教えてもらった。実は、もともとあんまり大きい画面での、ストーリー重視ではないゲームは好きじゃないんです。目が回るし、頭痛はするし、*1ゲームのなかでいくらアクションが上手くなったところで、それは指先だけの話で、あんまり気持ちよくもなくて、好きじゃない。でも、トリコはとてもよかった。

 

 

わたしはトリコに抱きついたことは、もちろんないはずなのに、両手一杯にあの羽毛を搔き抱いたときの、やわらかさと獣の臭いが、なぜか今も鮮明に思い出せる。

 

どんなゲームなのか

基本的にはさまざまなしかけを使いながら前に進んでいくことだけを目的としたゲームです。*2
ストーリーゲーではまったくありませんが、一応台詞や設定のようなものはあります。

 

ほとんどウィンドウが出ないゲームで、体力ゲージやスキルゲージみたいなものもありません。
美しい背景とトリコの体がはえました。

 


ただ正直なところ、操作性や、謎の難易度については、あまりうまいとは思えませんでした。*3
世界が圧倒的に綺麗なので、そのなかを動き回るのはとても楽しかったのですが、謎自体は……なんというか2000円で中古で買ったゲームのようというか……あまりに難しいときや、簡単すぎるときがあって、気づいたときには、爽快感というよりもがっかり感が多く……こう…伝わりますかね……???

 

わたしはあまり3Dのゲームはやらないので、そもそもこういうものなのかどうかよくわかりませんが、結構頭が痛くなるゲームでした。目が疲れる。二時間やったら、そのあと三十分は休憩しないといけないような。*4

 

そのあたりのことは普段からゲームプレイされる皆様が丁寧にレビューされているのでこちらをご参照ください。やっぱり操作性はみんな酷いと言っているな……とはいえ、「プレイできない」というほどではなく、細かいところの補助が足りない、という評価です。気が利いていない、という感じかな。

 

 

 


そしてトリコ。

まったく言うことをきかないこともあります。気まぐれに空を見に出て行ってしまったり、さっきまで元気に動き回っていたと思えば疲れちゃったのか突然座り込んでしまったり。

 

大きくて、ふわふわしていて、優しい瞳の、わたしの言うことをきかない生きもの。

 

でも、わたしはトリコが大好きです。ひどく執着しているといっていい。

 

トリコが言うことをきかないということはつまり、話が前に進まないということ。
最初は「まあ、生きものだからな」と納得していましたが、しかし途中で、もう我慢ならなくなったときもあった。そういった苛立ちによる精神の交流がたしかにあったように感じた。わたしはトリコを叱ったり許したりしながら前に進んだ。いや、そんな描写は一切ゲームのなかにはありませんでしたが、わたしはたしかにトリコと喧嘩して、そして仲直りしたことがあるように思う。先にわたしが謝ったこともあればあちらから歩み寄ってくれたこともあるように思う。

 

子犬の世話をしているように感じることもあれば、とつぜんあの子が立ち止まって、おすわりの形に足をただしく揃えて、わたしのことを見下ろすとき、まるで母親のような慈愛を瞳のなかに見ることもあった。

 

間違えて落ちてゲームオーバーになったときには、残されたトリコのことを思ってひどく心が痛んだ。*5

 

どうあっても言うことを聞いてくれないときには、もしかして具合が悪いんだろうかと心配しはじめたこともある。
どうしてか、わたしがそれだけ心を砕けば、聞いてくれるような気がした。これはたぶん、うちの犬は喋ると主張する飼い主と同じようなものなのですが。

 

実家で飼っていた犬にもさした愛着を感じたことはないですが、トリコには深い愛着を感じる。トリコをプレイしてからというもの、犬を見ても鳥を見てもアザラシを見ても胸が苦しくなる。この世界に好きなものを増やしてくれるゲームだ。わたしは確実に、このゲームをする前のわたしよりも動物に優しくなったと思う。

 

エンディング

エンディングの少し前、わたしは、もうこのゲームは30分以内に終わるかもしれない、という予感を得た。*6
(実際にはそこから2時間ほどのプレイ時間が必要だったが。)

 

しかしそう思った瞬間、この生きものと、離れがたくて離れがたくて、日の射す美しい庭園のなかで、あの子の顔を撫で続けた。トリコも動こうとせずに、死んでしまったのかと思うほど、まったく動かなかった。ふたりとも、ここから一歩も進みたくなかった。ずっとこの美しい檻のなかにいたいと思った。永遠に。

 

減点法で評価するなら、凡作にも負けるかもしれない。もちろん、ビジュアルは完璧で言うことはないが、操作性の部分で失点が大きい。でも、わたしはこのゲームは「傑作」だと思う。芸術家が特に人間として到底尊敬しえない素養を持つのと似ている。失点がいくらあったところで、揺るがない恐ろしく美しい物語。

 

硝子の目を越えて、あの子が助けにきてくれたとき、わたしの胸にどれほどの感動が湧き上がったか、言葉ではとても伝えることができません。

 

また、これはゲームとしてはどうなんだという部分かもしれませんが、トリコが勝手に謎を解いて先に進んでくれることもありました。指示なんて出さなくても巨獣は飛翔して、空を駆けて、わたしをもっと先まで連れて行ってくれた。
逆に、わたしの指示がまったくとんちんかんだったせいで、ぜんぜん関係のないところに連れて行ってしまったこともあります。そんなときも、戸惑いながらも、トリコは一度はわたしの指示にしたがってくれました。一緒に間違えてくれたのです。

 

 

繰り返すが、Amazonのレビューは正しく、このゲームにはたしかに欠陥がある。それも中盤では、耐えられないと思うほどの重大な欠陥が。しかし、何にも代えがたい感動がある。なので、数人でプレイすることをおすすめする。

 

一人ではつらくても、二人なら、交代しながらなんとか乗り切れるかもしれない。トリコと少年のように。

 

 

 

 

*1:ちなみに頭が結構痛くなるので、二時間ごとに休憩を挟みながら3日かけてやりました。休憩中、ティータイムしながら、きままに原っぱを駆けるトリコを眺めるのはたいへんいいものでした。総プレイ時間の半分以上はトリコを撫でたり眺めたりしていたように思う。

*2:わたしはやったことがないのですが、ICO・ワンダと似ているそうです!!!!(レビューで得た知識)

*3:正直、分からなくなったら攻略みてもいいと思います。無理に謎を全て自力で解くことが、このゲームの真髄ではないように思う。

*4:ちなみに毎日12時間以上は確実にモニターを見る生活を十年以上続けているので、モニター耐性は結構あるほうだと思っています……。

*5:ゲームオーバーになったら罪悪感を感じるゲームってすごくないですか。

*6:当然エンディングではぼろ泣きしました。「STAND BY ME ドラえもん」とか「ポケットモンスター君に決めた!」と同じぐらい泣いたような気がする。

寄宿舎の秘密

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※とても遠回りな記事で、ごめんなさい。
 伊藤裕美さんの「寄宿舎の秘密」を拝読しての記事となります。

 

 

 

 

 

 

 


「ここは牢屋」

と、彼女が言うので、わたしは苦笑いを返した。

 

 

彼女の言いたいことが分かるような気もしたし、分からないような気もした。

 

少なくともわたしにとってその場所は「城」で「家」だった。
かの有名なハリーポッターが、ホグワーツに対して抱いた思いと同じ帰属意識だ。
しかしここを「牢」だと思う子どももいるだろうとは予想がついたし、まさに彼女は自身を囚人だと呼んではばからない一派の一人だった。

 

危ないからとテラスにはあまり出ないように言われていたが、わたしはその言いつけをあまり守っていなかった。そこからは地平線いっぱいに広がる海が見えた。

 

「鳩がいるんだ」とわたしはウッドチェアの下を覗いて言った。

「クリプトコッカス」と彼女が不思議な呪文を口にするので、

「なに?」と返す。

 

 

そして彼女が笑う。

 

「だめだよ、危ない菌がいるんだ」

 

 


 *

 

長くなったが、わたしはそういう思春期を過ごした。

ジョルジュ・ビゼーの音楽で目を覚まし、一日数回の点呼を受け、守られた環境のなか規則正しい睡眠と計算された食事をとり、放課後は原っぱに寝転んでホルンを吹く男の子とたまに会話をした。遠くで大砲の音がする。もちろん、そこからも海が見えた。

 

「寄宿舎」にかんする説明を読んだとき、わたしは酷く奇妙な懐古の気持ちにとらわれていた。もちろん、「寄宿舎」とわたしの「城」は違う。動物はとうぜん持込禁止だったし、不思議な菌を持つ鳩は茶色だった。わたしたちは健康そのものだったし、同室の女の子は少女でも乙女でもなかった。

 

「寄宿舎の秘密」は、白い岩に少しずつ彫られてゆくレリーフのように、丁寧に繊細な描写が折り重なった作品です。最初はただ美しいだけだった白い岩が、少しずつ削られて、花が咲いたり少女が現れたり、そして最後にはどこか残酷な目の逸らせない彫刻になる。

 


「少女」。

いつでも冒険好きで、不思議の国のアリスミヒャエル・エンデのモモのように、彼女たちはいつだって守られた家を飛び出してしまう。そして誰かの、あるいは世界の、おおいなる秘密を知る。

 

「乙女」。

いつもたおやかで、けっして穢れなく、ユニコーンはその手のひらに一角をやさしくあてる。その瞳で見つめられると、だれもが立ち止まって、彼女に優しくしようと誓う。けれども、彼女にはかならず秘密がある。

 

そして「王女」。

あるいは女神のような響きをもつこの言葉。完璧な誇りを持ち、品位があり、当然に王座につく。椅子はもちろんひとつしかない。

 


「寄宿舎の秘密」は、「少女」と「乙女」の物語です。
オルゴールのように繊細に、一定のリズムで、見た目上はかわいらしく進行しながら、最後には人形が割れてしまうような恐ろしさが潜んでいる作品。つまり、はっとするほど美しい、ということです。

 

「少女」と「乙女」。たぶん、「乙女」のような存在に憧れなかった女はいないのではないかと思う。女神になりたかった子どもはとても多い。たいていは「少女」にも「乙女」にもなれないまま、ただ大人になってしまうような気がする。

 

思春期のころ、人は誰しも、自分は特別な存在ではない(すくなくとも、伝説の勇者の末裔だったり、この世でたった一人世界を救うことのできる存在というのでもない)ことを知る。世界の中心は自分ではないことを知る。そして、それでも自分は自分という存在として、自尊心を持ち自立したひとりの人間として、生き続けていかなければならないということを知る。

 

しかし、真に「特別な存在」はどうしたらいいのだろう? ということを、この本を読んでいて考えた。誰からも一目置かれ、確実な美しさを持ち、そしてそれを自覚している。「乙女」の完璧さは、外見、うちがわ、その所作、すべてに及んでいて、ひそやかな秘密を持っているところまで含めてすべて、完全なる「乙女」だった。

 

女と秘密はときに密接にはりついていて、分かちがたい。その別離の悲しさが、一人の「少女」を、あるいは「乙女」を、大人の女性にできずにただ「王女」にしてしまうことがある。

 


私の「城」は私を王女にはしなかった。わたしが暮らしていた部屋には今はほかの女の子が住んでいるのだろうし、あのウッドチェアにももう鳩はいない。しばらく前に、鳥が入ってこられないように工事された。

 

 

 

さいごに。

この本は、わたしが大切なお手紙をやりとりしている偉大なる女性から贈っていただいたもので、そういう意味でも、わたしにとってとても大切な一冊です。本をプレゼントいただくって、ほんとうに素敵なこと。その方にとっての「名刺」を、わたしは受け取ったのです。

 

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「標本」と文学フリマ東京24回について


もう三か月も前のことになってしまったが、初めての短編集「標本」を頒布致しました。

五月七日、文学フリマ東京24回。
スペースはエ-28、人生で初めての本を持っての参加でした。文学フリマへは一般参加も初めてでした。

 

■初めての本

初めての体験、というのはいいものです。

大人になると少しずつ「初めて」のことなんてなくなっていきますね。スタンプカードは埋まっていきます。

本。入稿。部数や値段を決めること。どれも初めてでした。

ビジネスなら当然に「儲けが出るように」価格を設定しますが、わたしはべつに儲けるために本を作るんじゃないし……でも、100円とか、あまりに貧相な値段にするのも本が可哀想かも。なんて思っていたら、「自分ならその本をいくらで買うかで決めろ」なんて条件を見つけてしまって、「700円かな」なんて思う始末。


ナルシストなんですよね。100円~700円。上限も下限も極端です。
※結局300円にしました。



そんな、なにもかも分からないことだらけのなか、なんとか「標本」という本を出しました。
32Pの、短編小説と詩をいくつか載せた本です。

初めての本を作るにあたり、どんなものがふさわしいだろう、と収録作の選定はかなり迷いました。

できれば自分の名刺にできるような本にしたかった。
どんなものを書いているんですか? と聞かれて、そうですね、SFとか、独白ものとか、女性の憂鬱とか、そういうテーマが好きです。文章は読みやすくさらりと書くこともあれば、粘ついたゴムのように跡を残すものを目指すときもあります。たとえば、こんなかんじです。と、懐から差し出せるような本を。

長くなりますが、一作一作、コメントさせてください。

■収録作

1.焼肉定食

最初に掲載を決めた作品。これは載せよう! と思いました。

ここ一年、この作品は褒められたり貶されたり忙しかったです。たった15分で書き、30分程度で改稿した、総執筆時間1時間にも満たない、アイデア一本だての掌編小説です。「書く」時間よりも、「読む」時間のほうが長かったかもしれません。皆さんが読んでいただいた時間も合算すれば、それなりの時間になるでしょう。執筆時間よりも長く読んで頂けた小説、というところが面白いかなあと思いました。文学フリマにおいてエブリスタの方にも読んで頂いて、ある程度お褒めいただき、またこの作品を見本誌で読んでブースにきてくださったかたもかなり多かったので、思い出の一作です。
短いわりにそれなりのパワーがあると思います。

2.Memento/mori

「焼肉定食」が、立ち読み読者のことを考えてとにかく短期決戦で目を引くように作った”看板”のような存在であるとすると、Memento/moriはその真逆に位置する作品です。

六年ほど前のことでしょうか。とある作品を書いて、名の知れたサイトに投稿しました。30以上のコメントがつきましたが、そのどれもが――まあ、いくつかは擁護のコメントもありましたが――わたしの作品を酷評するものでした。よく分からないとか、あまりにも馬鹿にされているように感じるとか、支離滅裂にすぎるとか、思想的でありながら破たんがあるとか、単純に文体が気に入らないとか、そういった感想を両手いっぱいに頂きました。

最初、わたしはまったく気にしていませんでした。

たしかにこの作品にはそういうふうに言われるかもしれない一面もあって、批判は最初から織り込み済みでした。しかし、否定的なコメントがあまりに膨れ上がるにつれて、わたしの自信はしぼみました。アマチュア作家のわるい癖ですが、期待と異なる意見をもらい過ぎると、じゃあ他の人の作品はどうなんだよ、と確認したくなります。そのサイトに投稿されているものをかたっぱしから読み漁りました。まったく面白くなかった。わたしの心はずたずたでした。プライドが、というよりも、この圧倒的な不理解に寂しさを覚えるような感覚でした。そして、一つの恐怖がわたしを襲いました。――もしかしたらほんとうに駄作を書いてしまっていて、それに気づいていないのは世界でわたし一人だけで、親切なひとたちがこんなものは書いてはいけないと教えてくれているのに、わたしは気付けていないだけなのではないだろうか……まあ、わざわざ隠す必要なんてまったくありませんでしたが、つまり、ご賢察のとおり、「とある作品」とはMemento/moriのことなのです。

つまりわたしは、今までに一番(その短さと明瞭さとインパクトとで)褒めてもらいやすかった「焼肉定食」の次に、今までに一番(その冗長さと不明瞭さとインパクトとで)貶されやすかった「Memento/mori」を持ってきたのです。

あれから六年経っても、きっとこの作品を愛してくれる人がどこかにいると、傲慢にもそう思い、今回本のなかに入れました。早めに結論を申し上げると、夢はかないました。ご購入いただいたかたから、この作品が好きだとメールフォームでご連絡をいただいたのです。よかった、と思いました。わたしは間違っていなかった。この作品が好きなひとは、かならずこの世界のどこかにいる。それをわたしは証明したのだと思いました、おおげさにも。

※ちなみに、さも「焼肉定食」が優等生の作品のように書いてしまいましたが、あの子はあの子でそれなりに嫌われやすい性質を持っていることは自覚しています。

3.カメレオンの恋愛手法

一番、読み返すのがつらい話です。一文字一文字、自分を切り刻んだ皮を並べるような気持ちで書きました。濃縮されていると思いますし、痛すぎるとも思います。あまりに血が滲みすぎているのに、出血はしていなくて、薄い皮のした一枚を隔てて、血の湖が広がっているような、そんな感覚。

4.散文詩「感覚」

わたしが自分自身の「背骨」を作り上げていく途中に、脱皮のように吐き出した詩の一片になります。生きることがただただ大変でした。行間も愛されるような文章を書きたかった。

5.Sposiamoci

日本におけるプロポーズは「結婚してください」という依頼形式ですが、イタリアにおけるプロポーズは「Sposiamoci?(僕と結婚したい?)」という確認形式だと聞きました。

雑誌のコラムで得た適当な知識なので真偽のほどは分かりませんが、「君の意思をなによりも尊重したいので、君が結婚したいなら、しましょうか。どうでしょう?」と、女性に決めてもらうプロポーズなのだそうです。なんて愛のあふれる言葉だろう、と思いました。

また、ひらがなで喋る男はわたしのずっと書きたかったもののひとつです。
好きなひとの言葉は、言葉に聞こえない。他の人が喋るのとはまったくちがう。まるで異国の言葉のよう。その人だけにカスタマイズされた音が響いているかのよう。

あと、作中において大事な言葉を**で隠すのも、一度やってみたかったことの一つでした。

6.読書論ノート

「すべての本は一読に値するが、名作は人生を賭けて読むに値する」

わたしは小説を天啓のように感じることがあって、世界の果て、空の向こう、チムニーの深海、ともかくもわたしの知らないどこかから、原典の文学が、わたしの手を伝って現世に現れようとしているような、そんな奇妙な感覚を味わうことがあります。そういう作品は最初から最後まで、どこにも変えるところがありません。一文字ですら変えてはならない。石碑に刻み込まれた文字のように、変えどころがない。

7.古典的。

箸休めになればと思って入れた作品です。

単体ではたぶん、味付けが弱くて単調な作品です。だれの記憶にも残らないような。
でも、ここまでの六作品が濃いに濃いから、ここであえて薄味を出しても大丈夫だと踏みました。

この本のなかでないと「作品」になれないような物語を一作入れたかったんです。
毒でしかない硫化水素の近くでしか生きられない無害な深海魚のように。
そして収録作品のなかで唯一、「いたい」と思わずに書けた作品でもあります。
いい意味でもわるい意味でも、わたしの血がひと滴も染みこんでいない。

8.詩

これは、pplogという、最新の日記しか公開されない不思議なブログサービスに書き綴っていた詩たちです。
pplogでは、新しい記事を書くと、ひとつ前の記事は過去ログに送られて、自分しか見れなくなります。一期一会の文章たち。自然と詩人を作り上げる、素晴らしいサービスです。いやになったら消せばいいのです。

たとえば最新のわたしのpplogはこちら

0812
‪全ての感動は最終的には恐怖に帰結する。見知らぬ土地で失敗するとわかっている事業のチラシを配るような億劫さと諦念と義務感。イベントが終わればスタンプカードが進んで、またひとつ死に近づく。私は書くべきだ。誰よりも書くべきだ。それを強く感じた。‬


こうして生まれた欠片たちを発掘して掲載しました。

次回イベントについて

次回文学フリマについては、出ないでおこうかなあ、と、終わった直後は思っていました。

勿論、今回参加できたことはわたしの人生においてこのうえなく大切な経験になると思っています。
初めての本! とっても楽しかったですし、充実していました。しかし、途中で売り切れてしまって後半手持無沙汰ななか、さまざまなサークルさんを回るなかで、売るよりも買いにくるほうが楽しいかもしれないな、と分かってしまいました。また、自分が本を選ぶ立場になったとき、本を買うというのは、表紙を買うということでもあるな、と気づいてしまいました。表紙が良いと、キャッチコピーが良いと、やはり欲しくなるものです。本はときにインテリアの一部にもなりえます。そういう一面は確実にある。表紙や装丁はデザイナーさんの「作品」でもありますから、決して悪いことではありません。だけどそれは、ほんとうは本の中身の、内臓の部分とは真実関係のないことです。

でも、そんなのは人間だってなんだって、一緒ですね。見た目がすべてではない、というのは当然に真実ですが、中を見てもらうには見た目が重要だ、というのもまた、一つの真実です。

わたしはよい装丁の本が作りたいわけではなく、よい小説が書きたい。そして、そういった領域で勝負するにしてはまだまだ力不足のような気もしました。一度出てみて、とりあえず楽しかったし、次回はいったん保留でいいか。そんなふうに思っていました。できたらコミティアとか、コミケとか、そういう他のイベントの空気を知ったりするのは、それはそれでいいかもしれない、とも思っていましたが、少なくとも文学フリマはいったんいいか。と。

しかし、5月8日、つまり文学フリマの翌日に、ほんとうに素敵なご感想を、アンケートフォームより頂きました。フォームのURLを、QRコードにして最後のページに貼ってあったのです。

ほんとうにこれ以上ないほどに、うれしい感想でした。

そこで、文学フリマ東京25回にも出ることにしました。すでに支払いも済ませてあって、ブース確定です。どうぞ、11月も宜しくお願い致します。次回は出来るだけ、長編の小説を持っていくつもりです。

また、今回完売した「標本」について、何名か、完売後にブースに来てくださったかたがいらっしゃいました。その、本が欲しいと言って下さっているのに、完売でお渡しできない、というのが、ほんとうに辛かったです……。また同じかたが買いに来てくださるとはもちろん限りませんが、でももう一度刷ろうと思います。この本、どこかの誰かが欲しいとおっしゃってくださる限り、刷り続けようと思います。

それから次の新作についても、不相応な部数にするつもりです。
今回参加してみて、正直、完売するよりも半分以上売れ残るほうがずっとましだと思いました。
完売の瞬間のその一瞬は、とっても嬉しかったのですが、冷静になってみると「欲しいと言って下さる方に売れない」ということで、完全にlose - loseです。

また、完売したとき、その旨をスケッチブックに書いて張り出していたら、会場のカメラマンさんが「おっ、完売されたんですね。じゃあ記念撮影しましょう、おめでとうございます!」とパシャリと撮ってくれました。写真って、記念撮影って響きって、凄いですよね。七五三とか、ひな祭りとか、卒業式とか成人式とか、そういうところで、記念撮影と呼ばれるものをやってきたわたしからすると、そうやってパシャリと撮って頂けるというのは、まさにお祝いの象徴的な行為でした。

作品やキャラクターのことを、我が子、という風に称したりしますが、まさにああいった気持ちで、自分の子供たちが全員ちゃんと社会に巣立っていったのを、しっかり祝っていただいた気分になりました。あれで十分です。もう、完売にならないように刷ります……不相応な、と言っても、元の部数がほんとうにごく少部数なので、数倍になったところでお財布も痛くありません。

本の良さについて

Twitterでも書いたのですが、本にして手に取ってもらえるということは、単純に「作品を読んでもらえる」ということ以上の価値がありました。正直、本を作らないと実感として分からなかったことです。

読んでほしいだけなら、ネットに載せるほうがいいでしょう。置いておけばとりあえず数百人の人が読んでくれます。ときには数千人。ブックマークやコメントで数も分かりやすい。でも、それでも、本には価値があります。単純に紙であるということ。それ自体がすごく意味のあることですね。また、リアルな「物」であるということ。わたしは物を売ったんです。

本を売る、ということは、その人ひとりひとりの生活のなかへ、「物」を送り込むということです。
その人の暮らす町に、わたしは生涯行くことはないのかもしれないけれど、わたしの本は行くのです。その人が幼いころから何度も読んだ大切な本が並ぶ本棚のなかに、一緒にその本はしまわれるのです。本をお届けできるということは、その人の手に実際に取ってもらえるということは、そういうことなのです。これがどうしてこんなにも価値のあることだと思えるのか、ひょっとすると、五十年後、電子書籍が普及した世界の人には分からないかもしれません。

でも、価値というのはそういう無形なものであると思います。

コミティアについて

さて、やっと本題なんですが、8月20日のコミティアにも出展登録してしまいました。
文学フリマから三ヶ月経っているのに恐縮なのですが、新刊のようなものは特にありません。(コピー本はあります)

少なく刷りすぎた「標本」をもう一度お披露目するような気持ちでのぞもうと思います。
漫画がメインの会場で、文芸ブースに立ち寄ってくださるかたがどれほどいらっしゃるものなのか、不安でたまりませんが、当日はどうぞ宜しくお願いいたします。

また、boothで300円+310円(送料)で通販もしておりますので、もしご興味のある方はぜひ。

particle30.booth.pm

最後に

蛇足かとも思ったのですが。最後に。

わたしは、やっぱり小説が好きです。
できれば起承転結なんてないほうが望ましい。ただただ文章が連綿と続き、そのただの文字が人の心を組み換える、そういう瞬間に読者としても作者としても立ち会いたいのです。「すべての本は一読に値するが、名作は人生を賭けて読むに値する」。人の心を突き刺し、心臓を抉り、骨まで曝すような、品性ある小説が好きです。

今回、アンケートではどの展示物にも綺麗に票が分かれました。そうなんです、わたしはそういう短編集が作りたかった。また、最近、五人の方にこう声をかけていただきました。「何を言われても、酷評されても、このまま書くべきだ」。これ以上ありがたい言葉はありません。賭けに、勝つことも、負けることもあるだろうけれど、少なくともずっとベットし続けていたい。

いつかきっと、素晴らしい作品が私の手に降りてきますように。

夢にも思わない

宮部みゆき「夢にも思わない」のネタバレがあります。

夢にも思わない (角川文庫)

夢にも思わない (角川文庫)

 

 



その少女は私よりも数段、可愛かった。

大きな瞳と、高すぎない鷲鼻を持ち、花が咲くようなぱっとした明るさがあった。たぶんクラスで一番可愛かったと思うし、今では会社で一番可愛いんだろう。声は魔法少女のように高くて、そして彼女はピアノが弾けて、詩才があった。

かえって私はというと、二歳のころから絶対音感の訓練を受け、父の希望でピアノを習っていたにも関わらず、いまとなってはバイエルすら怪しい。もちろん絶対音感はなく、カラオケでも90点を越えたことがない。詩才についてここで自己採点したくはないが、少なくとも彼女には及ばない。とうてい。

彼女はすべてを見通すような目をしていて、それが私は羨ましかった。
他人に愛されやすい性格、大人に可愛がられる愛嬌。

ただひとつ欠点があるとすれば、あまり成績がよくなかった。
たぶん、私が彼女に勝てる唯一のことは、学校という限られた場所において、テストというたかだか数日のごくごく短い期間、獲得できる点数が比較的高かった、ということだけだった。

しかしそんな欠点はすこしも彼女の魅力を損なわず、かえって男の子たちは喜んで彼女に勉強を教えた。

私は彼女を待ちながら、答え突き合せたいから見せてくれよ、と、テスト返却期間にしか話しかけてこないめがねの男の子と、本当に事務的にお互いの答案を見せ合う放課後を過ごした。ええ、ここ君も間違えたの? うん、たぶんひっかけだね。これじゃ答えがわかんないな。これから聞きにいくけど、一緒に行く? いや、いかない。友達待ってるから。

一時間ほどして、刺すような日光が少し和らいだころ、彼女はようやく解放されて、紺のスカートを揺らしながら、私の席へ来る。ねえ、つかまっちゃった、みんな聞いてもないのに方程式の解き方を教えてくれるの。しかもよくわかんない。待たせてごめんね。この宿題、一緒にやってくれるでしょう?

もちろん、とうなずいて私は彼女とモスバーガーに向かう。幸せな夏の日の思い出。ほんとうに幸せ。


さて、思い切って書いてしまおう。
私は、この人にはとうていかなわない、と思う相手を持ったことが、何度もある。
しかしそれは能力の一部分に限定した話であって、全体を通して総負けしたような気持ちを味わったことは一度もない。

この「味わう」というところはひとつのポイントで、たとえ目の前に私よりも成績がよくピアノが弾けて詩才があってそして可愛い、そのほかすべての項目も軽々と私を越える、そんな相手が現れたところで、私が彼女(もしくは彼)のことを「羨ましい」「負けた」とつよく思わない限りは、そういう敗北の感情にふかく浸からない限りは、人は負けたとはいえないのである。

逆に、どれほど項目上は勝っていたとしても、「負けた」と感じるなら人は負けるのだ。
私はあれから十年たったいまでも、彼女に負け続けている。

しかし、この人にはかなわない、と思える友人を持てる人は幸せだと思う。
甘い敗北の味を知っている人は幸せだ。勝ち続ける必要がない。

「友人」という存在は、日常の潤いだったり生活の支えだったり、遊び相手だったり思考をぶつけあわせる好敵手だったり、恋人とは違って、さまざまな役割を果たしてくれる。友人。親友。甘い響きだと思う。ゆるくてやわらかくて簡単で、恋人ほどの責任もなくて、そして固く結ばれた、幸せなつながり。


「夢にも思わない」は、そんな「かなわない友だち」を持つ男の子の物語だと、私は考える。


これは「ぼく」と島崎の話だ。
話の最初から最後まで、一人の少女が見え隠れするが、しかして決して恋愛小説ではない。
「ぼく」と島崎は、ふかい絆で結ばれていて、それは誰の目にも明らかだ。

「ぼく」は島崎に深い敗北感を抱いている。敗北感、というと大げさすぎるが、しかしそういうことだ。「とうていかなわない」という羨望に近いものを持っている。しかしその感情はあまりひねくれすぎてはいない。たぶん、「ぼく」は、けっこう島崎のことが好きなんだろう。そういう関係がこの世界にはある。負けている――たとえ他の誰がそうではないと言ったって、「ぼく」が負けていると思うなら、「ぼく」は負けているのだ。しかし、勝負したときにいつだって勝てるからという理由で相手を好きになることがないように、つねに負けてしまうようなとうていかなわない相手でも、あるいはだからこそ、深い親しみを抱くこともある。「ぼく」は島崎のことが好きだ。

おそらく島崎も「ぼく」が好きだ。そういう感触を持っていたからこそ、「ぼく」は島崎の隠し事にあれほど心を乱される。どうして、と唇をかむ。そして、島崎にはとうていかなわないとわかったうえで、それを何度も独白しながら、島崎を尾行し、彼の秘密をなんとか暴かんとする。

結局、島崎は「ぼく」のためにこそその秘密を抱え、闇に葬ろうとしていたことが、後半で明らかになる。
青春小説にはよくこういった構図がある。完全な人間とそうではない人間がいる。たいてい主人公は完全ではない凡人のほうで、二人は友人。主人公は、巧妙に、完全な人間に守られる。しかしとある拍子にその秘密がばれて、主人公は、何よりも大切な大親友のはずの友人を、こそこそ付け回らなくてはならなくなる。ほんとうに、あいつを出し抜くことなんて出来るんだろうか――と不安に思いながら。

そして結局、主人公は真実にたどり着く。真実によって、主人公は手ひどい傷を受けるが、それでも、そんな傷から守ろうと試みてくれた友人の愛情を知る。たいてい主人公は、怒る。どうして隠したんだ。一緒に考えさせてくれたらよかったのに。完璧な友人は謝る。そうして、主人公はもう一度思う。こいつにはかなわない――。

この固い関係は、シャーロック・ホームズジョン・ワトソンのようだ、と少しだけ思った。
ワトソンはホームズにはかなわない。周囲は、いやいや、ワトソン医師のほうが社会的な地位が高いですよと言うかもしれない。しかし他でもないワトソン自身が、負けていると思うなら、すでに負けているのだ。たとえ世界がなんといったって、二人の間ではそういうことになっている。

しかしそんな勝負事とは関係なしに、ワトソンはホームズが好きだし、ホームズもワトソンが好きだ。二人は分かちがたい。友情によって結ばれている。そして、ホームズは、何かしらの複雑な理由によってワトソンが知るべきではない秘密を発見してしまったら、それをワトソンに知られないまま秘密裏に処理しようとするだろう。そしてワトソンは、もしも何かの弾みでその秘密の存在を知ってしまったら、ホームズの秘密を自分が暴くことなんてできるだろうかと心配しながら、しかしやはり、「ぼく」と同じことをするだろう。島崎を尾行してなんとか真実を手に入れんとした、「ぼく」と同じように。

島崎は終盤、「ぼく」に弱りきった声を出す。なあ、どうしても知りたいのか。忘れてくれないのか。
「ぼく」は言う。すべてを教えてくれ。
島崎は結局すべてを吐露して、抱えていた荷物を降ろす。

これは友情の物語だ。愛情深い絆の話。

もし、「少女」が私にだまって、何かを処理しようとしていたら、私は考えうるすべての手段を用いて彼女の秘密を暴こうとしただろう。

そんなふうに強い執着をもてる相手がいることは、幸せなことだ。「また来年」。そんなふうに、大晦日に言い合える相手がいるのは、幸せなことだ。

夢にも思わない (角川文庫)

夢にも思わない (角川文庫)

 

 

外科室

※後半に泉鏡花の掌編小説「外科室」のネタバレがあります。青空文庫ですぐ読める模様。

 

泉鏡花 外科室




たったひとりの「きみ」を、あなたは持っているでしょうか。

中学のころ通っていた塾は、高校受験に必要ない知識まで存分に教えてくれるふしぎなところだった。ある日塾長は「君が代」の歌詞の意味を知っているか、と私に尋ねた。彼女はきれいな人だったので、私はちゃんと顔をあげて、知りません、と答えた。でもさざれ石は見たことがあります。

そう、と先生は黒板に向き直って、君が代の歌詞を、比較的大きな文字で書いて見せた。チョークの粉が舞った。

 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

すでに知っている歌詞を改めて黒板に書かれてみたところで分かるわけはないが、昔からなんとなく答えを待つのが嫌いな子どもだったので、あてずっぽうも含めて私は適当な解釈を講じた。いいんだ、適当でも、たまには当たることだってあるのだし。

「たぶん、天皇の治世が、千年も八千年も続きますように、という意味じゃないでしょうか。さざれ石は少しずつ大きくなる石なので、その石が苔で覆われるぐらい遠いときの向こうまで、という……」言っているうちに少し自信が出てきて、あたかも私は歌詞の意味を知っているような気持ちになれた。先生は私のそんな性質を良く知っていて、わらった。「千年、じゃなくて、千代、だけどね。まあ、それ以外はだいたいあたり」と彼女は言った。

でも、と先生は続ける。

「『天皇』なんて実はどこにもかかれてないのよ」
「じゃあ、千代って、誰の? 神さまですか?」
「日本語はね、なにも示さずに『きみ』というときは、かならず愛しいひとのことなの」

不思議に思って、もう一度歌詞を見た。千代に八千代に。きみの代が続きますように。永遠に。こけのむすまで。

「恋愛の歌なの。日本の国家は恋の歌。愛しい君の世界が、ずっとずっと続きますように。こけのむすまで。ねえ、素敵でしょう」

ほんとですか、と私は笑った。実際、この解釈を先生以外の人から聞いたことがないので、嘘かもしれない。しかし一度機会のあったときに、古文が専門だという詩人の教授にきいたところ、たしかに君が代の「君」は誰なのかという議論はある、と教えていただいた。「しかし恋人のことではない気がするよ」「ですよね、ありがとうございます」

まあ、国歌のことは、実はどうだっていいんですが、この、「きみ」というときは、かならず愛しいひとのこと、という美しい一文が、私の耳からしばらく離れなかった。

たまに、女性ばかりの気心知れた集会で、私がする質問がある。「ねえ、どうしようもなく好きなひとっている? 恋人のことじゃなくて。この人からもし連絡がきたら、もうかなわないってひと。勝てなさすぎて、遠ざけておかなければならないような、そんな人」。いる、と答える女性が何人かいた。たまに、そういう存在がほんとうに恋人そのものだという、奇特な人もいるにはいる。

「きみ」。それは二人称の存在で、つまりは極端にいえば、本当は「わたし」と「きみ」しか世界にはいらないのにね、という盲目的な感情のこと。恋と呼ぶにも奇妙で、愛と呼ぶにもおかしくて、なんというか、一方的に「わたしの半身」だと思っているような相手のこと。出会えたら僥倖だけど必然のようで、偶然でも不幸せで、これ以上ない喜びなのにせつない。あなたが違う存在として生まれてきたことがせつない。ほんとうは一緒に生まれるべきだった。そんなふうに錯覚したくなる、ふしぎな存在。「きみ」。

分かちがたい存在。自分の半身。運命の人。赤い糸の繋がる相手。

本当にそんな相手に出会えたなら、たぶん一目で分かる。下手すれば同じ空気を吸っただけでも分かる。すれ違っただけでも分かる。魔法みたいに、超能力者みたいに、直感や感覚や、とにかく科学や医学では割り切れないなにものかによって、宇宙の導きで、ともかくも分かる。

「外科室」はそれだけの作品だった。とある男と女とがすれ違う。ふたりはお互いの、名前も身分も出生も、内面も性格も本質も知らないまま、深い深い執念を得る。お互いに、たった一目見ただけの人を愛する。どっぷりと。

少しミステリ要素があるにはあるが、これは結局のところ恋愛小説でもある。「上」と「下」に分けたことで少し謎が生まれてはいるものの、おおむねあっさりとした短編小説だと思う。初読ではいまいち分からなくて、私は二回読んだ。二回目は少し胸の表面にひびわれが出来るように痛んだ。たった一目見ただけで二人は恋に落ちて、二人以外にはとうてい分からない瞬間を得る。お互いに、お互いの愛情を知らないまますごし、本当に最後の最期に、愛情が溶解する。不思議な話だ。


そう、塾、そういえば最初は反対されていた。私たちが教えるから塾なんて行かなくていいでしょ、という父母の言葉を尻目に、無理を言って通った価値は十分にあった。もともと塾に行きたかったのは、友人が通っていたからだった。あのころから私は「友人」という存在にめっぽう弱かった。たった一人の友だちを見つけたいとかたく思っていた。とある女の子が私にささやいた言葉がある。「ねえ、こんなにおんなじことを考えているひとって初めて。あなたもそうでしょう?」

「きみ」。二人称の存在。私が恋の話を書くとき、結局相手は必ず一人だ。どんな恋愛小説を読むときも、基本、ページの向こうに透けて見えるのは、必ず一人だ。そういう北極星のような不思議な人が、人生には存在する。

 

泉鏡花 外科室

外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫)

外科室・海城発電 他5篇 (岩波文庫)

 

 

コンビニ人間

えっ、きみ芥川賞なんて読むんだ。とかれは言った。

 

読みますよ。毎回じゃないですけど。直木より芥川が好きです。へえそうなの、意外だなあ。直木賞すら好きじゃないかと思ってた。どういうことですか、むしろどんな本を読むと思ってたんです? って私が聞けば、かれは「いや、だって君アニメとかも好きそうだからさ」と苦笑いした。べつに揶揄されているわけでも馬鹿にされているわけでもないのだな、と、きっかけなしに勝手に理解した私はとりあえず微笑みを返して、かれに本を掲げてみせる。「まあ、これ再読なんで二回目なんですけどね」

 

私が読んでいたのは「コンビニ人間」だった。文藝春秋の紙面でいちど読んだけれど、単行本も購入した。いっしょに原っぱへ昼寝をしにいった男の子が、カバーをはずした黄色い単行本を抱えてアイスティーをすすっている姿をみて、とってもうらやましくなったのだ。本を買うとき、文章を買うのではなく、インテリアを買うような気持ちになることがしばしばある。

 

男の子はまだその本の36P目までしか読んでいなくて、わたしに向けて「これ、読んだ?」と聞いた。読んだよ。読んだ。すごく良かった。だろうね、と男の子は笑った。だろうね。これは君こそが読むべき本だっていう感じがする。たまにあるよね、読む人を激しく選ぶ本。その対象者にたとえ含まれていなかったとしても、おれはそういう本を読むのが好きだ。へえ、そう? 日差しのつよい午後のこと。南国そだちの私たちはへっちゃらだったけれど、道行くひとはみんなポケモンGOのアプリを光らせ走りながら、滝のような汗を流していた。私はピカチュウとコイルを一匹ずつつかまえて満足して、本の世界に入り浸った。でも、黄色い単行本をうらやむ気持ちが記憶に強く残りすぎて、あのとき自分が何を読んでいたのか思い出せない。

 

読むべき人を選ぶ本。たしかにそういう本はある。読むべき『時期』を選ぶ本、というのもある。特に思春期にはそう。思春期でないと、満点で楽しめない本というのはどうしたってあると思う。私にもあった。ああ、これはこの年齢で読めておいて本当によかった、とつよく思うこと。あとから思い返して、ああ、大人になった今ではあんな読み方は出来ないわ、なんて大人ぶるようなこと。

 

コンビニ人間」はひょっとすると、「ひと」と「時期」と両方選ぶような本かもしれない。

もっと、自意識のしっかりしていない、ぷるぷるのわらびもちのようだった無形なころの私が読めば、より心動かされたのかも。自意識。アイデンティティ。自分ははたしてまともな「大人」になれるのだろうかと不思議な疑念にとらわれるような時期のこと。でも、大人にしか分からないこともたくさん書かれている。だからたぶん、思春期に一度、仕事を始めたころに一度、そして三十六歳になってからもう一度読むと、余すところなく楽しめる。

 

とても読みやすくてぐんぐん引き込まれる文体。柔和に読ませるのに、ページをめくっていると突然小さな通り魔に遭う。私の心をちいさく切り裂いてゆく不思議な感覚。主人公の女性は「普通」がなにか分からない。「普通」になりたい、と思うわけでもないのに、周囲の家族たちが心配するので、「普通」を目指そうと思っている。マニュアルどおりにすべてを行う。しかし彼女はすでに三十六歳で、コンビニのアルバイトで、そして結婚していない。彼女は妹に言う。「私、教えてくれればその通りにやるよ」

 

私は過去に、これはとても反省しているのですが、口論の中で、こう言ったことがある。なんて返してほしいんだ。私がどう返事したら君は満足して、この論争を終わらせてくれるんだ。言ってみてくれ。言ってくれたらその通りに返してやる。「君」は怒った。というより悲嘆して、どうしてそんなことしか言えないんだ、話し合いしているところだろう! と叫んだ。その悲痛さ。私の心臓のなかで大きく燃え上がっていた炎は一瞬にして鎮火されて、波が襲った。申し訳ないと思った。その後どういう結論になったか、いやそもそも何をテーマにあんなに争っていたのか、もうあんまり覚えていないけど、あの不思議な怒りの静まりだけはわすれない。

 

話が逸れたが、「コンビニ人間」はホラー小説のような、涼しい気配を持つ作品だと思う。恐ろしさがある。眉をひそめたい嫌悪感がある。「そんなに面白いなら読んでみようかな」とかれは言った。あなたは本なんて興味ないと思ってました。いやあ、昔はよく読んだんだけど、最近さっぱりだね。それ、「コンビニ人間」、面白い?

 

私は少しだけ考えて、いや、あなたには向いていないかもしれません、と答えた。

 

自分はひょっとして、おかしな人間で、二度と水面へは浮かび上がれないのではないか。ボタンを掛け違えたような、周囲のひとと別のゲームをやっているような、摩訶不思議なずれ。そんなこと、思ったことないでしょう?

 

ないな、とかれは言った。ないと言い切れる人のほうがごく少数だと思う。たいていの人は、自分という人間にたいして、ひそやかなる不安を抱いたことがあると思う。「ない」と言い切れる人のための文章は、小説は、どこにあるのだろう。でも、少なくとも「コンビニ人間」はそういう人のための小説ではない。誰もがもつありふれた疎外感、もしかしてもう戻れないのではないかという根拠のない不安、そしてありていに言ってしまえば、自分は他のものと違っていて――そして違いすぎていて、だからあの輪に入れないのだと思う、そういう特別視の気持ちに、よく似ている感傷。

 

主人公の女性は、ほんとうに最後まで「普通」になれなかった。だからなんとなく、思春期のころの続きを思い出して、胸が苦しくなるのだと思う。あのころの自分がそのまま大きくなったような存在が、本のなかにいる気がして。

 

短くて苦しくて黄色が鮮やかで、夏に原っぱで読むのにいい本です。

 

 

 

コンビニ人間

コンビニ人間