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惑星イオはどこにある

「標本」と文学フリマ東京24回について


もう三か月も前のことになってしまったが、初めての短編集「標本」を頒布致しました。

五月七日、文学フリマ東京24回。
スペースはエ-28、人生で初めての本を持っての参加でした。文学フリマへは一般参加も初めてでした。

 

■初めての本

初めての体験、というのはいいものです。

大人になると少しずつ「初めて」のことなんてなくなっていきますね。スタンプカードは埋まっていきます。

本。入稿。部数や値段を決めること。どれも初めてでした。

ビジネスなら当然に「儲けが出るように」価格を設定しますが、わたしはべつに儲けるために本を作るんじゃないし……でも、100円とか、あまりに貧相な値段にするのも本が可哀想かも。なんて思っていたら、「自分ならその本をいくらで買うかで決めろ」なんて条件を見つけてしまって、「700円かな」なんて思う始末。


ナルシストなんですよね。100円~700円。上限も下限も極端です。
※結局300円にしました。



そんな、なにもかも分からないことだらけのなか、なんとか「標本」という本を出しました。
32Pの、短編小説と詩をいくつか載せた本です。

初めての本を作るにあたり、どんなものがふさわしいだろう、と収録作の選定はかなり迷いました。

できれば自分の名刺にできるような本にしたかった。
どんなものを書いているんですか? と聞かれて、そうですね、SFとか、独白ものとか、女性の憂鬱とか、そういうテーマが好きです。文章は読みやすくさらりと書くこともあれば、粘ついたゴムのように跡を残すものを目指すときもあります。たとえば、こんなかんじです。と、懐から差し出せるような本を。

長くなりますが、一作一作、コメントさせてください。

■収録作

1.焼肉定食

最初に掲載を決めた作品。これは載せよう! と思いました。

ここ一年、この作品は褒められたり貶されたり忙しかったです。たった15分で書き、30分程度で改稿した、総執筆時間1時間にも満たない、アイデア一本だての掌編小説です。「書く」時間よりも、「読む」時間のほうが長かったかもしれません。皆さんが読んでいただいた時間も合算すれば、それなりの時間になるでしょう。執筆時間よりも長く読んで頂けた小説、というところが面白いかなあと思いました。文学フリマにおいてエブリスタの方にも読んで頂いて、ある程度お褒めいただき、またこの作品を見本誌で読んでブースにきてくださったかたもかなり多かったので、思い出の一作です。
短いわりにそれなりのパワーがあると思います。

2.Memento/mori

「焼肉定食」が、立ち読み読者のことを考えてとにかく短期決戦で目を引くように作った”看板”のような存在であるとすると、Memento/moriはその真逆に位置する作品です。

六年ほど前のことでしょうか。とある作品を書いて、名の知れたサイトに投稿しました。30以上のコメントがつきましたが、そのどれもが――まあ、いくつかは擁護のコメントもありましたが――わたしの作品を酷評するものでした。よく分からないとか、あまりにも馬鹿にされているように感じるとか、支離滅裂にすぎるとか、思想的でありながら破たんがあるとか、単純に文体が気に入らないとか、そういった感想を両手いっぱいに頂きました。

最初、わたしはまったく気にしていませんでした。

たしかにこの作品にはそういうふうに言われるかもしれない一面もあって、批判は最初から織り込み済みでした。しかし、否定的なコメントがあまりに膨れ上がるにつれて、わたしの自信はしぼみました。アマチュア作家のわるい癖ですが、期待と異なる意見をもらい過ぎると、じゃあ他の人の作品はどうなんだよ、と確認したくなります。そのサイトに投稿されているものをかたっぱしから読み漁りました。まったく面白くなかった。わたしの心はずたずたでした。プライドが、というよりも、この圧倒的な不理解に寂しさを覚えるような感覚でした。そして、一つの恐怖がわたしを襲いました。――もしかしたらほんとうに駄作を書いてしまっていて、それに気づいていないのは世界でわたし一人だけで、親切なひとたちがこんなものは書いてはいけないと教えてくれているのに、わたしは気付けていないだけなのではないだろうか……まあ、わざわざ隠す必要なんてまったくありませんでしたが、つまり、ご賢察のとおり、「とある作品」とはMemento/moriのことなのです。

つまりわたしは、今までに一番(その短さと明瞭さとインパクトとで)褒めてもらいやすかった「焼肉定食」の次に、今までに一番(その冗長さと不明瞭さとインパクトとで)貶されやすかった「Memento/mori」を持ってきたのです。

あれから六年経っても、きっとこの作品を愛してくれる人がどこかにいると、傲慢にもそう思い、今回本のなかに入れました。早めに結論を申し上げると、夢はかないました。ご購入いただいたかたから、この作品が好きだとメールフォームでご連絡をいただいたのです。よかった、と思いました。わたしは間違っていなかった。この作品が好きなひとは、かならずこの世界のどこかにいる。それをわたしは証明したのだと思いました、おおげさにも。

※ちなみに、さも「焼肉定食」が優等生の作品のように書いてしまいましたが、あの子はあの子でそれなりに嫌われやすい性質を持っていることは自覚しています。

3.カメレオンの恋愛手法

一番、読み返すのがつらい話です。一文字一文字、自分を切り刻んだ皮を並べるような気持ちで書きました。濃縮されていると思いますし、痛すぎるとも思います。あまりに血が滲みすぎているのに、出血はしていなくて、薄い皮のした一枚を隔てて、血の湖が広がっているような、そんな感覚。

4.散文詩「感覚」

わたしが自分自身の「背骨」を作り上げていく途中に、脱皮のように吐き出した詩の一片になります。生きることがただただ大変でした。行間も愛されるような文章を書きたかった。

5.Sposiamoci

日本におけるプロポーズは「結婚してください」という依頼形式ですが、イタリアにおけるプロポーズは「Sposiamoci?(僕と結婚したい?)」という確認形式だと聞きました。

雑誌のコラムで得た適当な知識なので真偽のほどは分かりませんが、「君の意思をなによりも尊重したいので、君が結婚したいなら、しましょうか。どうでしょう?」と、女性に決めてもらうプロポーズなのだそうです。なんて愛のあふれる言葉だろう、と思いました。

また、ひらがなで喋る男はわたしのずっと書きたかったもののひとつです。
好きなひとの言葉は、言葉に聞こえない。他の人が喋るのとはまったくちがう。まるで異国の言葉のよう。その人だけにカスタマイズされた音が響いているかのよう。

あと、作中において大事な言葉を**で隠すのも、一度やってみたかったことの一つでした。

6.読書論ノート

「すべての本は一読に値するが、名作は人生を賭けて読むに値する」

わたしは小説を天啓のように感じることがあって、世界の果て、空の向こう、チムニーの深海、ともかくもわたしの知らないどこかから、原典の文学が、わたしの手を伝って現世に現れようとしているような、そんな奇妙な感覚を味わうことがあります。そういう作品は最初から最後まで、どこにも変えるところがありません。一文字ですら変えてはならない。石碑に刻み込まれた文字のように、変えどころがない。

7.古典的。

箸休めになればと思って入れた作品です。

単体ではたぶん、味付けが弱くて単調な作品です。だれの記憶にも残らないような。
でも、ここまでの六作品が濃いに濃いから、ここであえて薄味を出しても大丈夫だと踏みました。

この本のなかでないと「作品」になれないような物語を一作入れたかったんです。
毒でしかない硫化水素の近くでしか生きられない無害な深海魚のように。
そして収録作品のなかで唯一、「いたい」と思わずに書けた作品でもあります。
いい意味でもわるい意味でも、わたしの血がひと滴も染みこんでいない。

8.詩

これは、pplogという、最新の日記しか公開されない不思議なブログサービスに書き綴っていた詩たちです。
pplogでは、新しい記事を書くと、ひとつ前の記事は過去ログに送られて、自分しか見れなくなります。一期一会の文章たち。自然と詩人を作り上げる、素晴らしいサービスです。いやになったら消せばいいのです。

たとえば最新のわたしのpplogはこちら

0812
‪全ての感動は最終的には恐怖に帰結する。見知らぬ土地で失敗するとわかっている事業のチラシを配るような億劫さと諦念と義務感。イベントが終わればスタンプカードが進んで、またひとつ死に近づく。私は書くべきだ。誰よりも書くべきだ。それを強く感じた。‬


こうして生まれた欠片たちを発掘して掲載しました。

次回イベントについて

次回文学フリマについては、出ないでおこうかなあ、と、終わった直後は思っていました。

勿論、今回参加できたことはわたしの人生においてこのうえなく大切な経験になると思っています。
初めての本! とっても楽しかったですし、充実していました。しかし、途中で売り切れてしまって後半手持無沙汰ななか、さまざまなサークルさんを回るなかで、売るよりも買いにくるほうが楽しいかもしれないな、と分かってしまいました。また、自分が本を選ぶ立場になったとき、本を買うというのは、表紙を買うということでもあるな、と気づいてしまいました。表紙が良いと、キャッチコピーが良いと、やはり欲しくなるものです。本はときにインテリアの一部にもなりえます。そういう一面は確実にある。表紙や装丁はデザイナーさんの「作品」でもありますから、決して悪いことではありません。だけどそれは、ほんとうは本の中身の、内臓の部分とは真実関係のないことです。

でも、そんなのは人間だってなんだって、一緒ですね。見た目がすべてではない、というのは当然に真実ですが、中を見てもらうには見た目が重要だ、というのもまた、一つの真実です。

わたしはよい装丁の本が作りたいわけではなく、よい小説が書きたい。そして、そういった領域で勝負するにしてはまだまだ力不足のような気もしました。一度出てみて、とりあえず楽しかったし、次回はいったん保留でいいか。そんなふうに思っていました。できたらコミティアとか、コミケとか、そういう他のイベントの空気を知ったりするのは、それはそれでいいかもしれない、とも思っていましたが、少なくとも文学フリマはいったんいいか。と。

しかし、5月8日、つまり文学フリマの翌日に、ほんとうに素敵なご感想を、アンケートフォームより頂きました。フォームのURLを、QRコードにして最後のページに貼ってあったのです。

ほんとうにこれ以上ないほどに、うれしい感想でした。

そこで、文学フリマ東京25回にも出ることにしました。すでに支払いも済ませてあって、ブース確定です。どうぞ、11月も宜しくお願い致します。次回は出来るだけ、長編の小説を持っていくつもりです。

また、今回完売した「標本」について、何名か、完売後にブースに来てくださったかたがいらっしゃいました。その、本が欲しいと言って下さっているのに、完売でお渡しできない、というのが、ほんとうに辛かったです……。また同じかたが買いに来てくださるとはもちろん限りませんが、でももう一度刷ろうと思います。この本、どこかの誰かが欲しいとおっしゃってくださる限り、刷り続けようと思います。

それから次の新作についても、不相応な部数にするつもりです。
今回参加してみて、正直、完売するよりも半分以上売れ残るほうがずっとましだと思いました。
完売の瞬間のその一瞬は、とっても嬉しかったのですが、冷静になってみると「欲しいと言って下さる方に売れない」ということで、完全にlose - loseです。

また、完売したとき、その旨をスケッチブックに書いて張り出していたら、会場のカメラマンさんが「おっ、完売されたんですね。じゃあ記念撮影しましょう、おめでとうございます!」とパシャリと撮ってくれました。写真って、記念撮影って響きって、凄いですよね。七五三とか、ひな祭りとか、卒業式とか成人式とか、そういうところで、記念撮影と呼ばれるものをやってきたわたしからすると、そうやってパシャリと撮って頂けるというのは、まさにお祝いの象徴的な行為でした。

作品やキャラクターのことを、我が子、という風に称したりしますが、まさにああいった気持ちで、自分の子供たちが全員ちゃんと社会に巣立っていったのを、しっかり祝っていただいた気分になりました。あれで十分です。もう、完売にならないように刷ります……不相応な、と言っても、元の部数がほんとうにごく少部数なので、数倍になったところでお財布も痛くありません。

本の良さについて

Twitterでも書いたのですが、本にして手に取ってもらえるということは、単純に「作品を読んでもらえる」ということ以上の価値がありました。正直、本を作らないと実感として分からなかったことです。

読んでほしいだけなら、ネットに載せるほうがいいでしょう。置いておけばとりあえず数百人の人が読んでくれます。ときには数千人。ブックマークやコメントで数も分かりやすい。でも、それでも、本には価値があります。単純に紙であるということ。それ自体がすごく意味のあることですね。また、リアルな「物」であるということ。わたしは物を売ったんです。

本を売る、ということは、その人ひとりひとりの生活のなかへ、「物」を送り込むということです。
その人の暮らす町に、わたしは生涯行くことはないのかもしれないけれど、わたしの本は行くのです。その人が幼いころから何度も読んだ大切な本が並ぶ本棚のなかに、一緒にその本はしまわれるのです。本をお届けできるということは、その人の手に実際に取ってもらえるということは、そういうことなのです。これがどうしてこんなにも価値のあることだと思えるのか、ひょっとすると、五十年後、電子書籍が普及した世界の人には分からないかもしれません。

でも、価値というのはそういう無形なものであると思います。

コミティアについて

さて、やっと本題なんですが、8月20日のコミティアにも出展登録してしまいました。
文学フリマから三ヶ月経っているのに恐縮なのですが、新刊のようなものは特にありません。(コピー本はあります)

少なく刷りすぎた「標本」をもう一度お披露目するような気持ちでのぞもうと思います。
漫画がメインの会場で、文芸ブースに立ち寄ってくださるかたがどれほどいらっしゃるものなのか、不安でたまりませんが、当日はどうぞ宜しくお願いいたします。

また、boothで300円+310円(送料)で通販もしておりますので、もしご興味のある方はぜひ。

particle30.booth.pm

最後に

蛇足かとも思ったのですが。最後に。

わたしは、やっぱり小説が好きです。
できれば起承転結なんてないほうが望ましい。ただただ文章が連綿と続き、そのただの文字が人の心を組み換える、そういう瞬間に読者としても作者としても立ち会いたいのです。「すべての本は一読に値するが、名作は人生を賭けて読むに値する」。人の心を突き刺し、心臓を抉り、骨まで曝すような、品性ある小説が好きです。

今回、アンケートではどの展示物にも綺麗に票が分かれました。そうなんです、わたしはそういう短編集が作りたかった。また、最近、五人の方にこう声をかけていただきました。「何を言われても、酷評されても、このまま書くべきだ」。これ以上ありがたい言葉はありません。賭けに、勝つことも、負けることもあるだろうけれど、少なくともずっとベットし続けていたい。

いつかきっと、素晴らしい作品が私の手に降りてきますように。