@particle30

惑星イオはどこにある

魔性の子

 

帰りたいと思うことがある。帰り道の途中でも。ベッドのなかにくるまっているときでも。実家に戻って出された梨をのんびりむさぼる昼下がりにも。

 

どこかに帰るべき場所があるのではないか。わたしを待っている世界があるのではないか。玉座が用意され、赤いカーペットの敷かれる、ただわたしだけが足りない王宮が、とにかくどこかに。

 

……なんて、もうそんなことを思うことはほとんどないけれど、「帰りたい」郷愁の思いは、思春期のわたしをしばらく縛り付けていた。それゆえにわたしは「魔性の子」という作品が印象深い。帰りたい。どこかに、自分のいるべき世界がある。それはどこか――どうしても、帰らなくてはならないのに。

 

 

 

 

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

 

 

この小説を読むとき、わたしはいつもかつての夢を思い出す。その気恥ずかしさゆえに一度もちゃんと口には出したことがないけれど、でも、誰もがきっと思ったことがある、あるいはわたしがそう信じている、女神になりたかったという夢。

 

友人と話し合ったことがある。われわれははやめに死にたい。


大切なものをたくさん持たず、ただ若さだけを抱えているとき、その天賦のギフトが少しずつ失われていくのを感じ、そして大人たちがその欠損を悲しみ、わたしたちをどこか哀れみの目で見つめるのを知って、わたしははやく死にたいと願いはじめる。いま持っているうちに。美しいうちに。なにも欠損しない、完全なままの姿で。

 

しかしその希死観念は、つまりは永遠に子供のままでいたいというピーターパン症候群の裏返しに他ならないので、結局のところわたしたちの体は死になじまず、喪失を経て大人になる。なにか決定的なものを無くすことを、わたしたちは通過儀礼と呼ぶ。

 

ただ年を経ていくだけでも、単純にたくさんのものが失われていく。柔らかい絹のような髪質、すべてが輝く世界の光、夜通し話をする仲間、どこかにいたはずの友人、周囲からの寛容のまなざし。しかしそんなものはたいしたことじゃない。わたしたちが真に失うのは、自分を自分たらしめる何か、つまり柱のように通っていたもの。それを脱皮のように脱ぎ捨てなければ、わたしたちは大人になることができなかった――そんなふうに思うことが、わたしにはある。

 

わたしが失ったのは友人だった。その友人は絶望という名前でよくわたしの前に現れた。死にたくもない今ならわかる、あのころは本当に、いつ死んだってかまわなかった。けっして投げやりな気持ちでも、いじけた思いでもなかった。ほんとうにどうなったって、いっこうにかまわなかったのだ。すべてが。

 

死ぬならどう死にたい。誰もが一度は話し合う、結論もなければ面白みもないその話題。わたしたちはこう答えた。ただ死ぬのはつまらないから、世界を救って死んでみたいよな。英雄になりたいのかって? そうじゃない。誰にも知られなくていいから、ただ、わたしは何かをなしえて死にたい。そのまま誰の記憶にも残らなくても、ほんとうにいっこうにかまわないから。


記憶には残らない。
誰にも感謝されなくていい。
世界をほんとうに救いたいわけじゃない。

ただ、なにか意義のある死を顕現したい。


つまり、女神になりたいということ。

 

 


女神は目に見えない。あるいは現れることを知らない。それは超常的な存在で、現世とは結びつかず、住まいはいっそ常世に近しい。存在するだけで価値を持ち、その犠牲は尊く、ただわたしたちを救う。気まぐれで、いつも存在を感じられるわけでもないけれど、でもたしかにいると、信仰によって存在を立脚する。

 

そういった存在に、わたしは憧れていた。結局は、「死んでもいい」というのは覚悟ではなく、放棄だ。なにか対価を差し出すから、とにかく特別な存在になりたいという身勝手な契約。異世界転生したり、勇者の星に愛されて旅をするのと、本質的には変わらない。つまり、努力なしで生きていってみたいということ。何か特別な存在に、格別の努力なしでたどり着きたいということ。

 

その甘い甘いひどい夢を、臆面もなく口に出せるようにするためのスパイスが、つまりは死だった。「死んだっていい」というのは、何も持たないからこそできる魔法の取引だ。自分が価値を感じていないものを放り出すのは簡単だし、ある種当然のこと。わたしたちは言う。死んだっていいから奇跡をください。このまま奇跡がないのなら、どのみち死んでしまうからです。

 

 

 


魔性の子」において、一人は帰り、一人は留まる。

 

自分の座るべき椅子を取り戻した者と、
不浄のために選ばれることが出来なかった者。

抱きとめてくれるやさしい異形の両腕を持つ者と、
どうしようもなく人間でしかありえない者。

そのままで完全であり続ける者と、
今まさになにかを失わなくては大人になりえない者。

そして、麒麟と、人。

 


「特別になりたい」と、自分のなかの幼子が言いそうになるたびに、わたしはこの小説を思い出す。

 

わたしたちは女神にはなれない。

 

行って、人間の世界で生きなくてはならない。

 

 

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)