@particle30

惑星イオはどこにある

感想記事「Hangman's knot」

 

 

幸せが目にみえたとして、それはぼんやりとしたひかりや暖かな赤色を纏っていて、重さはなさそう。たとえるなら綿菓子のように。

 

その「幸福」を持続させようとおもうとき、風船をつかんで離さないみたいに、わたあめを永遠に作り続けるみたいに、軽くて優しいものを保ち続けていく、という印象がありますが、本作における「幸福」は重たくて、きっと水分を含んだ布袋みたいにずっしりとしていて、とても抱え上げることはできず、そのへんにつるしておくしかない、その幸せの死体を、いったいどう取り扱えばいいのか。

 

 - 以下、既読の方むけの記事になります。

本編はなんとWeb上で読めてしまいますので、みなさまぜひ。

www.pixiv.net

 

 

 -以下、既読者向け。

 

やはり、能代の話をしようと思います。

 

どんな人間にも父親と母親がいて、その両親から半分ずつもらって「自分」が作られています。しかし能代の場合、とある女の手によってある種「母親」は不在であり、その徹底した排除の結果、かれのベースはほとんど父親で塗り固められてしまいました。14歳のあの時点までは。

 

精巧なレプリカ、あるいは後続品であるところのかれは、
型番までふくめてまったく同じ「オリジナル」を有しています。

 

当然、その「秘密」が今作最大の魅力であるわけです。

一癖も二癖もある、狂気を宿して暴力的な部分を持つキャラクターたち、煙に包まれたような世界。出生の秘密、名前の秘密、懐かしい呼び声、謎かけのような手記。どれひとつとっても好みの要素。

その世界で、オリジナルとレプリカが出会う。

 

この小説は、母親の死の原因を探るミステリーでありながら、少々猟奇的な奇怪さも持ち、アイデンティティ確立のための成長譚でもあって、そして、ふかい愛の物語でした。



結木能代は、最初の14年間を一人の男をベースに作られて、その後9年間を自分が複製品であることを知らずに過ごします。そんななかで唯一かれがかれ自身の「要素」として認識していたのが、その衝動的な絞殺による殺人願望であったというのは、あまりにも運命的ではないでしょうか。

考えようによっては結木真希奈の自身の『絞殺』だって、運命的で衝動的であり、本人以外のだれにも変えられない彼女自身の「要素」だったわけです。組み合わせれば、結木能代は、父親のベースに、母親の絞殺衝動、その2つをかれ自身の骨組みとして、23年をかけて、ようやく両親のかけあわせであるところの「自己」を獲得したのだといえます。

「結木家短編集」においてはさらに、その確立がはっきりと見て取れます。結木は父親とも母親とも異なる自己を獲得して、そして前に進んでいる。反対に九院は、未来よりも過去をなんども大切になぞるタイプの男にも思えてしまうのですが、その対称性もどこか美しくおもえます。


 


個人的に、よい小説というものは、「愛情というのは、」に続く言葉が作中に明瞭に美しく表現されているものだと思っています。

 



Hangman's knotにおいて ”愛情というのは、”
聞こえなくても遠くから名前を呼びつづけること、
届かなくても交換日記を書き続けること、
そして、今日も明日も永遠に続くもの。