@particle30

惑星イオはどこにある

十二国記「白銀の墟 玄の月」1・2を読んで。

 

幸運なことにわたしの住む地域ではさしたる被害もなく、1日家に引きこもるだけですみました。ひとつひとつ、復習しながら読んだので、なかなか読み進められませんでしたが。さきほど、1・2巻読了しました。

 

 

 

以下、ネタバレも含む記事になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※以下、ネタバレありの記事。

 

みなさん、ご無事でしょうか?

 

かなりしんどかったですね。一ヶ月後の最終巻を、楽しみに、楽しみに、待っていようと思います。。。

 

 

 

 

さて、いくつか今までにファンの間で言われてきたことも含みながら、今回の物語について感想……というか、思ったことをもうつらつらと書いていこうと思います。わたし何時に眠れるのかしら。

 

 

目次です。

・伏線回収率がすごい

・歌シーンがしんどい

・高里くんの感情が読めない(&十二国記のテーマ)

穿った と 鳩の多さ

・人が多い

・さいごに(死んだのは誰だったのか?の恐ろしい謎に対抗するために)

 

 

 

 

 

・伏線回収率がすごい

 

十二国記シリーズには、すでにいくつか見つかっている明示的な伏線というやつがあります。

 

伏線=物語の巧さだとはまったく思わないのですが、すくなくともこの18年の間、いくつかの伏線をキーにして読者側が勝手に今後の展開を予想していたことは事実です。そういうお楽しみが過去作にはきちんと用意されていました。

 

1つ目が、「同じ姓のものは(少なくとも続けては)王に選ばれることはない」こと。そして、驍宗と阿選が同姓であること。

 

この設定については、初めて読んだ時からちょっと疑問に思っていました。続けて選ばれることがない(連続しない)というだけのことなのか、それとも一度だれかが王に選ばれた家は、その姓を縛りにして未来永劫にわたって王を輩出することがないのか。

 

もし後者だとするとーーこの世界において姓は死ぬまで変えられない・変わらないものと規定されている以上、物心ついた瞬間に「自分が王になれるか」「なれないか」がわかっている世界ってちょっとこわいな、と思ったりもしました。閉塞的だな、と。まあ、そもそも王になるということが一大事なことなんだろうから、そんな心配しないのかもしれませんが……。

 

ただ、原作の書き方的には「続けてはならない」なのかな、という気はしていました。でもその規定ってなんか変ではありますよね……。

 

もし王に一度選ばれた姓が永久欠番みたいに二度輩出されない決まりになっているとするのなら、明らかに頼りなさそうな人が王に選ばれたりするのにもちょっと納得がいきますね。これもまた妙な規定だなとは思うんですが。まるで民全体で王様の役目を順番にこなしているかのようで……。

そしてもし欠番型なのだとすると、同姓の阿選と驍宗がどれほどこの1回に強く賭けたかったかはわかります。

 

また、上記の設定は、多分そんなにこの世界の人々に知られていない規定のようです。景では偽王がたちましたが、これは前王の妹で、順当に考えれば姓は同じのはずですがそれを理由とした反論はなかったようでした。まあ、本当に姓が別である可能性もあるとは思うけれど、少なくともこの規定はそんなに有名なことではないんだと思います。(実際、今作でも知らないほうが当たり前な模様)

 

そして伏線2つ目が、「泰国の国氏を持つものにしか使えぬ宝重がある」こと。国氏を持つもの、というのはもちろん泰王・泰麒のことではあるものの、才国の宝重の例を見るに、ひょっとすると王の家族も使えるかもしれないこと。(「泰なんたら」という称号を持っていればよい?)

 

この宝重は名前も効果も全く明らかにされていないものの、おそらく瞬間移動系か意思伝達系か、なにかしら千里を超える力がある模様。そして、限られた人にしか使えない。つまり、角を失い、髪も黄色ではなく、なにもかもができなくなった模様の黒麒の泰麒が、唯一その身分を証明できる可能性のあるものです。

 

そして穿った見方をすると、驍宗と阿選が万が一にも兄弟だった場合、阿選は王兄もしくは王弟ということになり、才国の事例を見るに「泰国宝重」の正当な利用者になります。中身は似ているという設定はすでに提示されているし、この世界では、血縁者の外見が似ていなくても問題ない。

 

たぶん、この2つあたりをキーに、物語が進むのだろうなー、と予想していた人は多かったんじゃないでしょうか。少なくとも姓が同じという話はよく見たし、宝重は明らかな謎として前作に登場していたので、この2つを結びつけて考察した人は多かったのではないかと思われます。

 

 

さて、今作。

 

宝重は、驍宗様らしき人(と、とりあえず呼びますね…)が持っていたらしい体力回復系アイテムのみ。効果が複数あるのかもしれませんが、すくなくとも考察通りのいい感じの使い方では出てきませんでした。なにより前作のあの言い方だと、距離を超える系宝重は首都・鴻基にあったようなので、驍宗様の手元にはなさそう。ということは逆に、今泰麒の近くにあるということなので、ぜひ3巻ぐらいで使っていただきたい。

 

また、これ以外にも、短編集は泰の内情や問題を分析するための材料となっていることが多くて、さすが最終巻、これまでの物語が集結している感じを受けました。

 

たとえば采麟失道の話では、いったい王は何年国をほったらかしたら(いや、ほったらかしたわけではありませんが……)失道に陥るのか、という疑問が解決されていました。どうやら数十年はかかる模様。つまり、まだ6年の泰は、荒廃してはいるけれどそれだけを理由に失道が起こるほどじゃないんだろうなと。

 

また、才は王様の近くから次の王様が出た例でもあります。そういう場合って王気ってどうなるんだろう?となんとなく気になるのが読者側の気持ちでしたが、そのあたりの解説も今作でしっかり回収されていました。こうやってみると、才国短編はかなり重要な立ち位置のものだったんですね……。

 

 

 

・歌シーンがしんどい

 

最初のシーンから、「驍宗様なんだろうな」と思いながら読んでいました。

 

ああ、やっと出てきた、と思いながらも、なんだか身体は不調な様子。1回目は、ああ出てきた、と思って終わったのですが、2回目、3回目、となるごとに、そんなに他人に優しくしている暇があるならさっさと出てきてくれよ、という苛立った気持ちに。

 

少年へかける優しい声も、含み笑いも、それらを受けるべきは泰麒なのに、かける相手を間違っている、という憎しみにも似た気持ちが出てきました。感情をもっていかれている。こわい。

 

そして墓の前の少年のシーンになったときーー実は一度、良かった、と思いました。まさかここで驍宗が死ぬはずがないから、たぶんこれは驍宗じゃなかったんだろう、と。ほかに、静之など、同じ歌をうたう者も登場してきていたこともあり、これはたぶんまた違う部下のことだったんだろうな、と。

 

この物語、過去の虐殺の話はあれど、リアルタイムには特に誰も死なず、旅もわりと順行を守っていたので、まさかここで大きな爆弾を落としてくるとは思わず……いや、なんか甘めに進むなあ、とは思っていたんですよね……。

 

とはいえまだ白稚は落ちてござらぬ。と呪詛のようにつぶやきそれだけを心の支えにしていきたい。でも、どう解釈するにせよ謎だけが残る……宝重使って魂魄を抜いてなにかに転化したとか……いやだめか……。

 

あと正頼。みんな生きてるって言ってくれてるけれど、議会の場で泰麒の顔を見分けられるものを「令尹(罷免されていなければ正頼のこと)か、李斎か、六官長か」と話した後で地の文で「いずれも死んだか行方不明」って書いてあって、おっふ……ってなりました……。

 

・高里くんの感情が読めない

 

元々、「魔性の子」が単体作としてとても好きで、「泰麒」ももちろん好ましいものの、キャラクターとしては「高里要」がいちばん好きだったんですね。キャラ萌えというよりは、「高里要」が出ている作品が好きだった。かれの少し人間離れした感じ、清貧で、悪いことをしない、考えもしない、とそういうところ。そういう存在にたぶんなりたかった。というか大抵の中学生はそうなりたいんだと思うんですが……でも、大抵の人間は「広瀬」側で、わたしたちは人間の世界で今後も引き続き生きなくてはならない。

 

とはいえ、「なりたい」対象であるという意味では、高里くんの思考はそれほど読めないものではありませんでした。自分とシンクロしているというわけではもちろんなく、そんなふうに考えるのかー、という意外さはあるものの、常にやさしくてたおやかで、まさに麒麟という感じ。でも、今回はかなり違う。

 

じつはこの違和感は「風の海 迷宮の岸」のときから感じていて、でも何度か読んでやっとのみこめたような感じでした。どうして高里くんは、あんな非情なことがあったあと、病を治して、さっと「戴に帰ろう」と言えたのか。天の助力を待ってはならない、と強くいうのは、言ってることはかっこいいんですがなんとなくいままでの感じと違う気がして。あまりに強気すぎるというか。王を見失った麒麟はみんなあんなものなんだろうか、とか。

 

でも、何度も読み直しているうちに、すごく辛いことがあったからこそ、それでも帰ってこられたからこそ、いち早く国へ帰ろうと思わないとやっていられないのかもしれないな、と思うようになってきました。そういえば泰の麒麟は比較的豪気だという設定があったし。

 

そもそも、天の気脈とやらから引き離されている泰麒の寿命は疑問視されていて、寿命がきちんと延びたのかどうかもよくわからない。

ひょっとしたらこのまま王を見つけ出せても、角を失っているために死ぬのかもしれないという状況のなか、たしかに彼が今作で言う通り(そして前作で玉葉が示した通り)泰麒が死ぬのがいちばん早くかつ確実な解決方法なのかもしれない。(とはいえいま、麒麟の果実が成らぬ凶事もあるようですが……)

 

実際かれは一度日本でそれをしようとしている。でも、今回はしない。それはたぶん彼が麒麟であることを思い出したからで、戴の国民の象徴であることを忘れられない以上、戴を自殺させるようなことだけはできない。そしてそういえば彼は、6年もの間ずっと「帰りたい」と故国郷愁の心にとらわれていたわけで、ようやく戻れたのだから、はやく、とにかく、そういえば帰りたいんだった。かれは「帰れる」ひとなんだった、と、何度も読み直した結果思うようになりました。

 

十二国記は、エピソードゼロから含めて全編通して、「自分は自分で、自分の王になるしかない」という究極の自己責任の物語で、だからこそ強いし、心に響くし、ただの麒麟でいることを許さないーーただ、優しくて愛情を施すだけではなくて、やらなければならないことを成す、そしてその道中には辛いこともあるんだけれど、自分で責任を持つしかない、という強い強い責任感がベースにある作品です。苛烈なほどに。

 

それが今のところいちばん現れていたのが、「風の海 迷宮の岸」の終盤の李斎で、泰を救わなければならない理由を「泰が滅ぶのなら、それは私のせいだからです」と断じるシーンがそれだったと思う。いちばん印象深く残っているし、まさにそれだ、という感じがして、勝手に自分も泰を救いたいような気持ちになった。

 

十二国記は自立の話、つまりは王の物語だ、とは思うものの、今作の主人公の一角は麒麟である泰麒です。ただ、彼も今は角を失っているので、ひょっとしたら今は「王」と同じ理屈で動けていて、だから阿選を騙したりできるのかもしれません。

 

 

穿った と 鳩の多さ

 

穿ったって表現が多すぎて、もはやこれは「穿った見方で物語を楽しめ」という主上からのお達しなのかと思うほどでした。うそです。

 

鳩も多かったですね。白い鳥だから、向こうでは凶事の鳥なのかもしれません。首都・鴻基の鴻は鳥の意味なので、ちょっと関係あるのかもしれません。いやないかな……。

 

・人が多い

 

元々こうでしたっけ……たびたび説明を入れてはくれるものの、やっぱり人が多すぎて、もう、かなり復習しながらの進みになりました。今ならまだネタバレしているサイトはほぼないので、ファンサイトにアクセスすればネタバレなしの登場人物まとめリストなどを読むことができます。(ブログはすぐ更新されちゃうかもしれないので注意。)

 

特に今作においては、だれが敵で、だれが味方なのか?   だれが傀儡で、だれがまともなのか?   をある程度疑いながら読み進めてしまうところもあって、もはや推理小説のように登場人物それぞれの出身やアリバイなどをメモしていきたくなりました。。。

 

ーー

 

読みながら、そういえばこれが「最後の長編」なんだよな、となんとなく考え続けていました。さっそく来年短編集が出てくれるみたいですが……でも、この感じだと本編は泰を舞台にするのみで終わりそうだし、もう景麒や陽子、雁、範、奏、漣、恭などの長篇を読むことは、もうないんだよなあ、と思うと、せつなくてせつなくて。

 

そしてもし本当に驍宗が死んでいたんだとすると、ちょっとさすがに話がまとまらない気もしており……いや、でもほんとうに亡くなってしまったのかな……もし、探すのが数ヶ月遅れていたら、元気を取り戻していらっしゃったかもしれない、と思うともうほんとうにやるせないわけですが……。

 

一つだけ反論できるとすると、間際の言葉、台輔じゃなくて蒿里と呼んでいたらもう確定だった気はしています。もし驍宗ではなかったとしても、見目が似ているのは偶然ではないでしょうから、正頼が化けていたとか、そういう事情はありそうです。でもそうでもないのかなぁ……。

 

 

 

 

残る謎としては、どうして、阿選は驍宗を殺さないのか。

 

もしも兄弟(というか仙人だから子供や孫の可能性もありますが……)だとすれば、宝重を使うのに必要だったから、といえる。でも、どうしてその辺の村に捨て置いたのか。彼が絶対に復活できないとわかっていたとか?

 

とはいえ、作中の言葉に「人質をとる、脅す、籠絡するなどして、王が自ら玉座を投げ出せば失道にできる(が、今はそうではない)」とあるので、つまり逆をいうなら驍宗はこのどれでもない形式で戻れない、ということになる。そういえば、禅譲させることが可能なのも阿選だけ、という話もちょっとよくわからないのですが。。まるで二人がその気になれば連絡を取れるかのような物言いかな、と。

 

あと、最後に味方になってくれるとしたら、耶利の主人でしょうか。これもまだ謎です。

 

後半はおそらく、李斎と泰麒の合流、少年(回生)が首都へいく、まさにここぞというところでの耶利の主人の登場、などが起こると思われます。うーん。でもどうなるのかは全然予想がつかないですね。ここまできたら白雉が落ちているかどうか景に1回戻って確認してもいい気がするけれど、たぶんそうならないんだろうなーという気がしています。

 

 

 

そして、ここまで書いて思いましたが、回生くんって名前があまりに生まれ変わりしそうではないですか?!生まれ変わり!それならどうだ!!

 

……と思いましたが、そういうふうに命を扱うような作品じゃないな、と思いなおしました。でもちょっと珍しい名前ですよね。

 

11月を楽しみに待ちます。

 

 

 

本が好きって、素敵なことですね。本屋に並んでいるのを見るだけで嬉しくて、それを手にとって、レジに持っていく間も、賞状を受け取りにいくみたいにウキウキしていて。

 

ハリーポッターの外伝最終巻、「呪いの子」を読んだときに、あまりに面白くて、心がワクワクして、ひょっとしたらこんなに面白い読書はもう最後かもしれない、と思いました。いや、もう1回あるとしたら十二国記の最終巻だけかも、と。

 

面白い小説は、今までも明日からも、ずーっと刊行され続けてきたのでしょうけれども、これほどに冒険心をくすぐり、わくわくさせ、高揚させてくれるのは、やっぱり「小さいころに好きだった本」だけだなと思います。面白い本はきっとこれからもあるけれど、レジに本を差し出しながら、ちょっと泣きたくなるぐらい嬉しい気持ちになるのは、十二国記が最後です。

 

 

 

 

そういえば、一旦自分の気持ちを書き出したかったので、他の方の記事は読めていません。ので、また他の方のご感想など見て、追記や訂正をしたくなるかもしれません。

 

王様でも麒麟でもない我々ですが、至日までご無事で!