@particle30

惑星イオはどこにある

20200204

普段、なにか言いたいことがないと日記を書かないようにしてきたが、今後はとくに理由がなくても時たま書けたらな、と思う。たとえば半年に一度とか、そういうのでいい。

 

というのも――これは数年前から薄々気づいていたことでもあるのだけれど、人間は、すぐ忘れる。懊悩の末に辿り着いた自分なりの心理も、布団のなかで芋虫みたいに丸まって泣いたあとに気づいた感情も、書き留めなければ忘れてしまう。たとえ記録していたところで、残っているのは文字ばかりで、伝わるのも記号だけだ。その時にたしかにあったはずの熱量は湯気みたいに綺麗に消失してしまっているし、それを思い出すこともできない。だから、後から読んで、「この時は熱があったんだなあ」と思える分だけの勢いをもって(つまり、今現時点の自分としては多少「やりすぎ」なぐらいで)日記を、思考を、スクラップするみたいに残しておかなくてはならない、と思うようになった。

 

十代のころも、それなりに文章を書いていたような気がするのに、わたしの手元には全く残っていない。もしお持ちの方がいたら送っていただけませんか? と虚空に投げかけたくなるほどで、ブログや日記やTwitterや、なにかしらあったような気がするんだけれど……。たとえば深夜のSkype通話を、2時間だけでいいから録音しておけば、あの頃の喋り方や思考なんかを、今振りかえることができたんだろうな、と思う。人間が覚えていられることは、わたしが思っていたよりもずっとずっと少ない。小説を読んだあと、映画を見たあと、必ず「よかった一文」「よかったシーン」みたいなのを記録するようにしている。どれほど心震えても、忘れるはずないと思っても、わたしたちはあっさりと忘れる。本当に覚えておくべきことだけを抱きしめていられたらいいんだろうけれど、記憶は単純な木箱のような作りをしていなくて、ただ、流動的だから、まばたき一つするだけでまたほら、なにか忘れる。

 

でもその代わり、「思い出す」ことだってできる。飲み会で夜の一時ぐらいになって、眠たくて、適当な相槌を打っているときとかに、ああ、こういうシーンがいつだったかあったなあ、とよく思い出す。なんだかそれは酷く懐かしい光景だ。酩酊の状態自体を好んでいるかといわれると全くそうではないんだけれど、しかし何かしらの温かな記憶に充足されて、酒を飲んだあとのフラツキが、ものすごく幸福なもののように思えることがある。

 

でもそれほど酔っぱらう飲み方をしたことは、さほどないはずだ。二十歳以後、酒を飲むようになってからは、それなりに節度があったはずだし……いったいどういうことなんだろう……と数か月頭の片隅でなんとなく考え続けていたんだけれど、先日とつぜん思い出した。そうだ、寮生活をしていたころに、朝方五時ごろの夜明けまで、ベランダに出て毛布をかぶり、寒いねえと言いながら、眠さで多少頭がもうろうとしてきた頃の感覚によく似ているのだ。酒じゃない、ただ夜更けまでずっと喋りあかして、頭が溶け切ったころの、限界の眠気。

 

いまならあったかいココアを抱いて、ポテトチップスでも食べながら、Netflixで動画を見たりしたかもしれない。でもあの頃は、寮の規則でお湯は使えなくて、自室では食べもの禁止で、Netflixは世界のどこにもなかった。だから冷えた水だけで空を見て、ただ君と話をしていた。あんなに仲が良かったのに、君が去年結婚したことも知らなかった。

 

自分の年齢について最近よく考える。まあ、まわりがよく結婚するような年代だ。「友人が結婚するんですよ」と言ったときの周囲の反応も数年前とはずいぶん変わってきて、「早いねえ」だったのが、「おお、適齢期ですもんねえ」と返されることが増えた。今はまだいい。あと数年経ったら、本当に何かが変わってしまって、そのはざまにいるんじゃないか、と思うことがある。明日は怖くないけれど、数年後が怖い。

 

結婚、というか子どもが生まれてしまうことが、本当に不可逆の変化なので恐ろしいななんて思う。こんにちは、さようなら、では終わらない、ほぼ永遠に続く関係を生み出してしまうことが恐ろしい。そういば昨日、たしか子どもが1歳ぐらいだったと思う、別チームの同僚を含めて、三人ぐらいで飲みに行った。夜の九時半まで、その人は一度もスマートフォンを見ずに酒を飲んで仕事の話なんかをしていて、男の人っていいなあと思った。奥さんが専業主婦なんだろうか。同じチームには、時短勤務で、在宅もして、いつも幼稚園から呼び出されているメンバーがいる。わたしは出来たら、たまにはふらっと飲みに行き続けられるような人生を送りたいと思っているけれど、それは到底無理だ、と思う日もあれば、どうしてその程度のことができないかもしれないだなんて思うんだろう、という気になる日もあって、わたしの人生の難易度がどちらに設定されているのかまだ知らない。