@particle30

惑星イオはどこにある

2025年に読んだ本の話

※本記事は、オススメの十冊 Advent Calendar 2025 - Adventarの12月18日分の記事になります。

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はじめに

 毎年、「YYYY年に読んだ本の話」というブログ記事を書いています。新年明けた後で「去年読んだ本ってこうでさあ」ということをつらつら書くもので、惰性のように続けており、そしてその記事の最後はいつも「今年の時点で最も良いと思う本10冊」のタイトルを挙げて終えています。今年はこの取り組みをアドベントカレンダーの企画にできないかなと思い、他23人の方にもご参加いただけることになりました。あらためて、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

 なお去年の記事、2024年に読んだ本の話 - @particle30 はこちらです。

 今年も十冊、挙げていきます。

「プロジェクト・ヘイル・メアリ―」


 さすがに今年一番面白かったと言わざるを得ないと思う。めちゃくちゃよかった。それ以外のことをあまり書くつもりがないが、とにかく愛に溢れて、面白くて、くだらなくて、そしてぎゅっと泣きたくなる話だった。

 数年前に「こんなにわくわくする読書はもう最後だと思う」ととある本の感想記事に書きました。

ハリーポッターの外伝最終巻、「呪いの子」を読んだときに、あまりに面白くて、心がワクワクして、ひょっとしたらこんなに面白い読書はもう最後かもしれない、と思いました。いや、もう1回あるとしたら十二国記の最終巻だけかも、と。

面白い小説は、今までも明日からも、ずーっと刊行され続けてきたのでしょうけれども、これほどに冒険心をくすぐり、わくわくさせ、高揚させてくれるのは、やっぱり「小さいころに好きだった本」だけだなと思います。面白い本はきっとこれからもあるけれど、レジに本を差し出しながら、ちょっと泣きたくなるぐらい嬉しい気持ちになるのは、十二国記が最後です。

 たしかに、レジに持っていく時に泣きたくなるのは、今のところ十二国記が最後。でも、まるで遊園地にいるみたいに心の底からワクワクする読書体験を、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は久々に与えてくれました。

「人間の絆」サマセット・モーム


「世界十大小説」をご存じでしょうか。ある意味このアドベントカレンダーの元ネタであると言えなくもないもので、その「世界十大小説」の提唱者がまさにこの本の作者であるサマセット・モームです。モームが選んだ「十大小説」は「嵐が丘」とか「白鯨」とか本当にそうそうたる本が並んでいますが、どれも広くとれば「エンタメ小説」。「小説は楽しくなければならない」というのがサマセット・モームの考えで、彼自身の小説も「最上の通俗小説」として知られています。

 この「人間の絆」も、モームらしい冷淡で読みやすい文章と、淡々と続きながらも手触りのある人生がとても面白く描かれている。プロポーズを断られたあとに、「でしょうね」って笑い飛ばす主人公の男が大好き。主人公・フィリップは非常に湿度の高い人間なのに、「紳士である」がゆえか、他人に気を遣わることを恐れているかのような繊細さと激しさがある。よい人間であることから抜け出せず、かといってそれだけではない不思議な大胆さを持っている。ほんとうによかった。

 訳者は金原瑞人。そこもいい。本当に美しい訳文でした。

高慢と偏見ジェイン・オースティン

 先ほど出てきた「世界十大小説」の中の一つ、「高慢と偏見」。
 これまで読んだ恋愛小説の中で一番好きです。サムセット・モームの出した「小説は面白くなければならない」の条件を、悠々とクリアしています。

 とある村で、姉妹の中で一番の美人という訳ではない少女と、たいへんお金持ちだけど性格の悪い青年とが出会う。最初の第一印象はお互い最悪だったのにも関わらず、ひょんなタイミングで男が女の方を好きになり、そして――というシンプルなあらすじなのに、めちゃくちゃ面白い。元祖スパダリものだと思うのですが、21世紀の人間が読んでも普通にドキドキできるのが凄い。1813年発行の小説とのことです。映画化・舞台化もたくさんされている、女性におすすめしやすい一冊です。結婚したくなります。

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ブレイディみかこ

 海外で育ったことのある子どもなら誰でも共感できる――等と書こうとして、「いや、違うな」と思う。私が「海外」という時、結局自分にとっての「海外」ばかり考えてしまっている。アジアだったり途上国だったりする可能性はあまり考えない。目榎さんって子どもの頃海外にいたんですってね、実は僕もなんですよ、みたいな声かけをされたとき、その人がいた国はきっと北米かヨーロッパだろうと勝手に考えてしまう自分に気が付く。そういう、人間の偏見、思い込み、それらが引き起こす善意あるいは悪意の行動や様式。そしてそれが、著者の一人息子である中学生の男の子の視点を濾過して読者に示される。

 色んなバックグラウンドを持つ人が一緒に生きていくことは、複雑で、ややこしくて、気を遣う。それで正しい、と今はそう思う。

「去年を待ちながら」フィリップ・K・ディック

 見てください、フィリップ・K・ディック的な表紙ですよね。フィリップ・K・ディックです。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか」とどっちを選択すべきかすごく悩んだのですが、今年の気分としてはこちら。
 人生を進めていく中で時折自分のなかで呟きなおす言葉というものがいくつかあるのですが、そのうちの一つはこの本から貰ったものです。

 主人公は優秀で(多分)美しい男なのですが、美人ではあるもののかなりとんでもない性格の女を妻にしてしまっており、そのせいで人生が本格的に破綻しています。この話のメインストーリーは全く別の時間巻き戻り系の複雑な軸の中で織り成される別件の問題解決なのですが、その狭間に「この酷い妻と今後も生きていくこと」の辛さがたびたび差し込まれる。その結果、最後に主人公が下す決断と、AIタクシーの言葉に救われ続けています。

 曰く――自分の人生の条件を変えようとするということは、『こうした現実に耐えられないって言っているのと同じなんです。』『自分だけもっと楽な別の条件が無ければ生きていけないって言うのと等しいことなんです』。この小説以後、私は自分の人生に与えられた初期設定を、『難易度設定』なんだと思えるようになりました。だから今さら、それを『イージー』に変えて貰えませんか、と神さまにお願いしたくなることはもう多分ないだろう、と。

ナイン・ストーリーズサリンジャー

ライ麦畑でつかまえて」のサリンジャーの短編集。「ナイン・ストーリーズ」というその名の通り、九つ短編が入っています。ここでは収録作のうちの一つ、「エズミに捧ぐ」について書きます。

「一番好きな小説はなに?」「一番心を揺さぶられた小説は?」そんな風に聞かれても、多分聞かれたタイミングによって答えは結構揺らぐんじゃないかなと思う。でも「一番好きな『短編』小説は?」「一番心を揺さぶられた『短編』小説は?」と聞かれたら、この「エズミに捧ぐ」に勝てるものは今までの私の人生では登場してこなかった。

 たとえば仕事中にプリンタの前でため息をつきながら印刷を待っている瞬間、とつぜん眼球の奥から眠気が襲ってきたとき、この小説のラスト一文がナレーションみたいに頭のなかで響く。大人になると、プリンタの前での待ち時間ぐらいしか1日のなかで自分でいられる時間がないような気分になるときがある。空き時間がなくて、常にやることがあって、待ち時間もつねに頭を動かしていなくてはならなくて、ただ、ほっと一息つけるとしたら、自動ホチキス止めのプリンタが何十部もの資料をガチャガチャと押し止めている間だけ。

 そういうときに、あのセリフが頭に浮かんでくる。『ほんとうの眠気を感じる人間は、あらゆる機能が無傷のままの人間に戻る可能性を、かならず持っているからね』今眠たいのなら、私はまだ大丈夫、無傷のままの人間に戻る可能性を、必ず持っている。

 なお、多分九つの収録作の中で現代において一番有名なのは「笑い男」だと思います。

「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ

 ノーベル賞作家。この方の作品は「わたしたちが孤児だったころ」「日の名残り」「クララとお日さま」もとても好きなんですが、今年はこちらの気分。

 魂はだれにも奪うことができない――と言うことができるといいんだけれど、そうではない気がする。たとえ命を奪われてしまっても、尊厳や自由は心のなかにあるから誰にも奪われない――と言いきれたらいいんだけれど、やっぱり、現実はそうではない気がする。悲惨な話なのに楽観的で、苦しい話なのに救いがあるような気がして、でもその全てが幻想であったような気がする。

「愛はそんなにも簡単なものですか」と、作中の、敵みたいなそうでもなさそうなやっぱり味方のような大ボスのような救い主のような、よくわからない人(既読の方向け:マダムのことです)が出てくるのですが、読み終えて本を閉じる時、「愛って簡単だよな」と思った。愛は持っている人間からするととても簡単なもので、魂も命も、持っている人間側からすると「それがある」ことに疑いなど生じようはずもない。愛も同じく。

 何の話かよく分からないと思うので、よかったら読んでみてください。

死に至る病キルケゴール

 死に至る病とは、絶望のことである。

 へえ、いいこと言うじゃん、という気がして手に取った。希望の持ち方でも教えてくれるのかと思ったからだ。全く違った。むしろ最終的にはこの本は絶望の信奉者が人々を絶望させるために書いた布教のための本なのではないかと思うようになった。

 この本を読んで「えっもしかして哲学って面白いんじゃないか?」と思い、色んな本を読んでみると「えっもしかして文系の学問ってめちゃくちゃ面白いことしてたんじゃないか!?」と気づいた。実は正直、文系の学問ってどんな感じなんだろうなーということが分からないまま大人になっておりました。

 ただこの「死に至る病」という本自体がおすすめかというとまったくそんなことはない。というかすごく難しかった。『関係に関係する関係』とか意味不明すぎて、原書読めば多少理解の助けになるのではと思ったら原書がそもそもデンマーク語で、読めるはずもなく撃沈し頑張って日本語で読みました。これ以後は哲学者の本に直接手を出すことはやめて入門者向けの本や解説書などを読むようになり、そうしたらめちゃくちゃ分かりやすかった。まあでも何はともあれ、最初に私を鍛えてくれた本というか、ものすごく印象深い一冊です。読書スキルが少し上がったような気がする。無理する読書も大事ですね。

「僕の知っていたサン=テグジュペリ」レオン・ウェルト

星の王子さま」という有名な児童小説を書いたサン=テグジュペリは、その本の一行目で、献辞を「レオン・ウェルト」という友人に捧げている。そう、その、大親友レオン・ウェルトが、サン=テグジュペリの死後に彼を思って書いた本がこれです。

 本当にとても品格ある文章で、こんなものを書く人が「サン=テグジュペリの友人」という立場でしか知られていないとは勿体ないことだな、と思った。『死んで価値が出る人間はたくさんいるが、君は君の死よりも価値がある』とか『憐みは責任の拒否に過ぎない』とか『その人の一部分がわが友ではないような人間はこの世に一人もいない』とか。

 サン=テグジュペリという人のことが本当に好きだったんだろうな、またサン=テグジュペリもレオン・ウェルトのことが本当に好きだったんだろうな、ということがよく分かる一冊です。自分のことを分かってくれる人がこの世にたった一人でもいるだけで、人生の難易度は大きく下がる。

魔性の子小野不由美

 十二国記シリーズ第0巻です。周囲からどうしても浮いてしまう男子高校生と、その境遇に共感する教育実習生。詳細はもはや説明不要かと思うほど有名な一冊ですが、私はこの本のことを、十二国記と完全に切り離した状態でも物凄く良い本だと思っています。何度も読み返したし、これは自分の話だと思った。そういう意味で、なんだかブログで三行で解説できるかというと逆に難しくてできない感じの本です。

 数行では感想を言えないけれど、でも、「自分が特別であること」にもっと違う方向で寄り添った作品をいつか書きたいと思い続け、その結果生まれたのが自作「キス・ディオールシリーズ」になります。多分表面的なところもストーリーもキャラ構成もほんとうにどこをリスペクトしてるねんという感じで特に似てはいないんですけど、自分の中では心の中にある泉がどこか繋がっているような気持ちに勝手になっている、大切な一冊です。

(ついで)今年読んだ本の中での10冊

その他、今年読んだ本の中で10冊決めるのであれば、以下になります。

・「プロジェクト・ヘイル・メアリー」アンディ・ウィアー
・「殺人出産」村田沙耶香
・「ババヤガの夜」王谷晶
・「殺戮に至る病」我孫子武丸
・「体育館の殺人」青崎 有吾
・「叙述トリック短編集」似鳥鶏
・「赤と青のガウン オックスフォード留学記」彬子女王
・「美女のたしなみ」大久保佳代子
・「未来のだるまちゃんへ」かこさとし
・「走る道化、浮かぶ日常」九月
・「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の論理」デヴィッド・グレーバー

 そう、いつもは2025年に読んだ本の感想を全部書いてから、最後に「今までの人生の中で選ぶ十冊」を掲載しているのですが、さすがにアドベントカレンダーの記事でそんなに長くなってしまうのも申し訳ないなと思ったのと、そもそもあと二週間ぐらい2025年があるのでまだ冊数増える可能性があり、そちらについては年が明けたあといつも通りのんびり書こうと思います。

 今回企画に参加いただいた皆様、誠にありがとうございました!積読本がめちゃくちゃ増えました。来年もたくさん読んでいきたいと思います。

冬に聞きたい10曲

この記事は、アドベントカレンダー「聴いてくれこの10曲! Advent Calendar 2025」の12月3日分の記事になります。

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冬に聞きたい、明るいような眩しいような、でもどこかちょっと寂しくなれる10曲をご紹介します。私はいつも、「寂しいな」と思うと何かを書きたくなり、逆にあまり寂しくない時にはいっそ「寂しさ」の補充がしたくなる。寂しくなりたくて一人旅に行きたくなり、寂しい気持ちになりたくて冬にはよく散歩をする。寂しさは、私にとって創作のガソリンです。



01.柊(Do As Infinity

冬の花といえば柊。Do As Infinityの代表曲だと思うのでご紹介するのも逆にお恥ずかしいぐらいなのですが(秋の歌の紹介に「小さい秋見つけた」を挙げるような感覚)(いやそれは言い過ぎ)

きっと全員が全員「この歌詞いいなあ」って思うであろう場所を引用してこの曲の紹介とさせてください。

君の胸の片隅に
残したトゲを
やがて来る春までに
溶かしてあげたい

冬は春を待ち望む季節かのように描かれることがあって、まあたしかに寒すぎるとそういう気持ちにもなってくるんですけれども、実際的な冬というよりも象徴的な冬においては、「やがてくる春まで」を待つためのサナギの期間のようなものでもあるのかなと思います。

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02. Driving in the silence(坂本真綾

とても短い曲だし、歌詞の中に「冬」が登場するわけでもなんでもないんですが、なんだか冬の冷たくて新しくて美しい空気が胸いっぱいに広がってくるような気がする曲です。細胞が生まれ変わって、自分と向き合って、なんかいい冬が過ごせるような気がする。
知らない街を散歩してる時に聞きたくなってくる一曲です。

ぼくが世界を許すとき
世界もぼくを許すだろう

www.youtube.com

元々「冬のためのコンセプトアルバム」の表題曲・冒頭曲として収録されているもので、坂本真綾の冬のライブではこのコンセプトアルバムから曲が選ばれることも多いので、そういう思い出込みで「冬らしいなあ」と思っちゃうのかも。


03. Winding Roadポルノグラフィティ

バラード。絵本の中みたいな狼だか狐だかがどこかユニーク。
結末を忘れてしまった絵本のことを思い返すような、ぼんやりとした切なさがある一曲です。

どこかで掛け違えたボタンをはずせないままになった
もうすぐ冬がやってくる

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そういえば、ポルノグラフィティの本人二人が「今までのシングルの中で一番好きなジャケット」は実はこの曲だと言っていた。こういう趣味じゃなさそうに見えてたから意外だった。(売り出される方向性と本人が好きな方向はまた別だったということなのかな)

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04. 瞬き(back number)

こちらも冬というわけじゃないものの、この締め付けられるような寂しさはやっぱり冬に聞きたくなるなあ、と思う一曲です。「幸福」というものはたしかにこの世界にあるのだと、そうかたく信じていられる。

なんのために生きていくのか
答えなんてなくていいよ

幸せとは星が降る夜と眩しい朝が
繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降りかかった雨に傘を差せる事だ

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05. give it back(Co she Nie)

呪術回線ED曲。ED上でキャラクターたちが冬服だからか、なんだかすごく冬の印象がある曲です。
取り戻せない、過ぎ去ってしまった、大事だったのにもう2度と出会うことができない何か。別離を描いていることもあり、すごく寂しくなれる一曲です。

夢の続きを捕まえに行くから待ってて
いつの間にか孤独ぶるには優しさに触れすぎた

代わりなんていないよ
あなたの匂い 思い出せない 波に攫われて

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06. まっしろ(ビッケブランカ

明確に「雪」が降っている一曲。「最高な夜だね」って言ってるのになんだかすごくさびしくて、暖かい室内から寒い外を見ているときの、卵のなかに籠っているかのような寂しさがある。

粉雪が降ってきた 可笑しさがこみあげてきた
最高な夜だね 泣けてくるから
運命に膝まで濡らさないように
はしっていこう

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07. ノンフィクション(平井堅

何かすごく大きなものを喪っている歌。たぶんもう2度と会えないというような大きな別離をとりあつかっていて、しかもこの詩はなんだかものすごく文学的で、一つの短編小説を読んだような気持ちになれます。「ただ会いたい」ってそれだけを4分使って歌っている。

鞄の奥で鳴る鍵 仲間呼ぶカラスの声
僕はあなたに あなたに ただ 会いたいだけ

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08. 話がしたいよ(BUMP OF CHICKEN

すごく寂しい曲。この歌もかなり詩が文学的で、序盤からものすごく丁寧に「寂しさ」を描いています。AメロもBメロもサビもぜんぶ寂しい。

持て余した手を自分ごとポケットに隠した
バスが来るまでの間のおまけみたいな時間
街が立てる生活の音に一人にされた
ガムと二人になろう 君の苦手だった味

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09.moonlight (moumoon)

昔生活がもう少し自由気ままで自分のことだけ考えていればよかった頃(つまり、子どもがいなかった頃)、朝の準備はmoumoonの音楽を掛けながらぼーっと時間を浪費して贅沢に取り組んでいました。その中で、シャッフル再生した時にこの曲が流れてくると「ああなんか寂しいなあ」という気持ちになれた。「ずっと前から好きだった」という話がすごく好きです。

帰り道に思い出すよ
君を深く知らないけど
ずっと前から好きだったんだ

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10. 誓い(坂本真綾

最後の曲は、歌詞の中で「冬が終わる」と歌われている一曲です。

そして冬が終わる
憂いを振りほどいて
君が好きだった季節が
すべてをさらい過ぎて行く
僕はこのまま このまま

多分とても大きなものを失ってしまった人が、その喪失を胸に抱えながらそれでも春を目指すための歌です。過ぎる季節を恋しく思いながら春へ向かう、多分「君」も「君が好きだった季節」もそのどちらも消えていく、その砂塵の儚さあるいは決して変わらない運命の確かさ、みたいなものを歌っている確固たる冬の曲です。

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最後に

今回ご紹介した10曲のような、「明るい感じがするのに切ない」曲調、なんかわたしに音楽知識があれば一つの軸を通して共通性を語れたりするのかもしれないんですけれど、残念ながら理論的なことはよく分からず、私にとってはどの曲も「寂しさを補充してくれる曲」として並んでいます。10曲のどの曲のなかにも「欠損」があって、後悔や振り返りがあって、未練や寂しさがあって、どこか冷たくて風が吹いてて、でもなんか光が差している感じがする。そういう曲がとても好きですし、そういう冬がとても好きです。寂しさを補充して明日も文章を書いていられますように。

12月1日に毎年思っていること

※本記事は小説を書く人のエッセイ Advent Calendar 2025の12月1日分の記事になります。


 十二月がやってきた。

 言わずもがな一年で最後の月、長かった猛暑が去って空気もようやく冷たくなり、暖房をつける日もある。東京でもコートを羽織る人が増えてきた。クリスマスツリーを出して今年のオーナメントを選びながら「今年は何をやったっけな」と回顧してみるも、いまいち何も思い出せない、というのが毎年のお決まりでもある。

 やったことも成果もちゃんとあるはずなのだけれど、リストアップしようとすると手が止まる。十二月のこの肌寒さとクリスマスチックに飾られた街並み、冬の空気には、どうも人間をひどく寂しくさせる効果があって、「今年は何にもしなかったなぁ」という気持ちにさせてくる。

 だからこそ十二月はいつも何かを取り戻したくなる。アドベントカレンダーを買ったり、クリスマスマーケットに赴いたり、テーブルウェアフェスティバルで新しい食器を揃えたり、大掃除をしたりする。十二月後半になってくるとだんだん「今年」に対しては諦めの気持ちが大きくなり、「来年」は良い年になるといいな、なんて将来の方に目が向いてきたりもするんだけれど、12月1日時点ではまだこの年に未練が残る。何かないか、なんか残せないか……みたいな。

 と言っても今年も一応新刊個人誌2冊*1と合同誌一冊*2を出せたし、去年発刊の「村を焼くなら」は完売できた。skeb*3だけで16件10万文字ぐらい書いてるし、本の表紙も担当させてもらったし、アンソロにも寄稿できたし、うん、やったこと色々あるはずなんだけど、それでも心がざわつく理由はただひとつ。やっぱり、オリジナル作品の続きを書いたり完結させたりしてないからだ。もっと言うと、賞に応募したりしてないから。(と書きながら思い出したが一件応募はしてた気がする、まぁ望み薄です)

 人生の中でやりたいことはたくさんある。それこそ両手に抱えきれなくて、毎日こぼし続けているほど。

 業務で新規に入ったこのプロジェクトの中で早く自分が1番詳しい領域を確保したい、もう一段階ぐらい出世しておきたい、個人でも誰かと物を作ってみたい、なんなら大規模チームでストレスとか溜めてみたい、歌を録音したい、子どもに幼児向けプリントを毎日取り組む習慣をつけさせたい、あとやっぱり、本が出したい、小説を書きたい。私の書いた文章で誰かの心を耕したい。

 今年はまだできることがあるかな。このアドベントカレンダーも、「残り一カ月でできること」のうちの一つです。25日までみなさんのエッセイ読ませていただきながら、私も毎日何か一つずつ達成できる1ヶ月にできたらと思いますし、もっと言うなら、来年からは1月1日からそれを始めて365個の何かを集めたい。毎年毎年「そうできたらなぁ」と思ってます。



adventar.org

*1:「表象」「十三月のうた」 https://particle30.booth.pm/items/6902436

*2:硝水さんとの合同誌「arialea」 https://particle30.booth.pm/items/7687815

*3:テキストとアドバイスを開けてます。 https://skeb.jp/@particle30

2024年に読んだ本の話

あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。(※もう3月)

恒例のこの記事の時間がやってまいりました。


なお、2023年に読んだ本の話はこちら。

meeparticle.hatenablog.com


『水族館の通になる』中村元
体系的な知識を授けてくれる本というよりは、水族館好きの一般人が知りたがる雑学を飼育員さんがちょこっと教えてくれるような感じの本。

水槽の裏側の苦労や、意外にも日本人が水族館好きであること、水族館で他の国の人はあまり口にしないあのセリフ「あの魚、おいしそうだね!」のこと。ありとあらゆる分野の「気になる話」が盛り込まれているけれど、ほんのすこしだけ動物の仕入れ方法の話が多めかも?
「深海は近くて遠い現代の異界だ」という文章がとても美しかった。あと、「死滅回遊」ってほんとにそんな言葉があるんですね(某漫画の造語だと思ってた)。

西の魔女が死んだ

死に関する、これ以上なく優しく楽観的な解釈を示した物語。死ぬことに対する肯定的な諦めと受容。正しく活きると信じ続けるための意思の力。美しい話でした。

世界で一番透きとおった物語

帯の「電子書籍化不可」、とても気になりますよね。いやー、とにかくよく書いたなこれ、の一言。エモ文芸的な文章がめちゃくちゃよかったです。

女生徒(太宰治

太宰治の「女生徒」と、佐内という方の写真が交互にページに現れる本。宮本浩次が帯文を書いていたので買った。
読んでいる途中で、「あっ、もしかしてこの少女、美しいのか?」と気づかされるこの感じ。騒がしい女の子の頭の中を覗かせて貰っているような感じ。「美しさに、内容なんてあってたまりものか。」のパワー。太宰は、意外と女性を美化しすぎない書き手だよな、と思ったりもする。

ハンチバック

から始まる小説。ああなるほど、そういう"現代性"の出し方ね、なんてこちらも斜に構えながら向き合っていたら、全く異なる視点を見せつけられる。一読の価値はあるし、二種類の弱者が傷つけ合いながら一時的なつながりを持つ構図はもちろん文芸的ではあるが、ただ、どうしてもいまいち乗り切れないというか。こういうことを言いたくなる作品もあるんだなって自分が不思議でもあるんだけど、「もうちょっと丁寧に書いてくれたら」と言いたくなった。割と粗削りなのも好きなほうなんだけど、なんだろうな、面白くはありました。

ところで田中さんの「お大事に」は、お前ほんとに頭がおかしいねって言われてたのかな。あそこだけよく意味が解りませんでした。ラストの、「いつか/いますぐ」は、どちらで終えようか悩んでいるという描写(=つまり、こちらのほうが作中作)と認識したんだけど、どっちなんだろう。まあ、ラストの方は分からせる気がない感じだった気がしますが。

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少しだけ日を置いたことでこの小説に対する評価が変わったところがあるのでメモ。当事者小説とも呼ばれる「ハンチバック」、この作品自体には、確実に一読の価値がある。で、この「当事者小説」とかいうパージで何かを隔離したような気持ちになれるラベリングを評価する場所があるとしたら、やっぱり文芸賞としての「芥川賞」が相応しいのかな、という気になった。他の芥川賞作とはやっぱ違うな、とは思うんですけどね、でもこれが「読まれるべき文芸作品」であることには一切の異論はないので。

「生き物が老いるということ」稲垣栄洋

ーー生命にとって、死ぬことは当たり前のことではない。生命は「死」を獲得した存在なのである。

ラクレらしい読みやすさで、死と老いについて書かれた本。どちらかというと「死」のメカニズムについての話が多めで、老いはおまけ程度。単細胞生物(ゾウリムシ)、植物、動物、などなど様々な生き物の死生に関する話がてんこもり。ゾウリムシは実は死なないが、しかし他の個体に合うとお互いに遺伝子を交換する――つまり、その時点で従来の組み合わせの個体は「死んだ」ともいえるのでは?という提言。

「生き物はなぜ死ぬのか」「なぜなら、死ぬほうが有利だったから」というのが現場証拠から導き出される結論らしい。
新世代が生まれても旧世代が生き続けることもできたはできたろうが、なぜかその戦略を選ばなかった。あるいは、選んだ種は皆絶滅した。(前述の通り、死なない生き物もまだいるわけだが)

身体の小さな生き物(捕食の危険が高い)や死亡率の高い生き物は、寿命が短い→早めに子を作る必要があるため。逆に、身体の大きさに関わらず何かしらの理由で死亡率の低い種(コウモリとか)は、小さい割には長命であるとか。人間も、このサイズにしてはかなり長命(サイズ的にはゾウに匹敵)だそう。
最後の方は、よくあるテロメアの話やがん細胞の話でフィニッシュ。70年ほど前にすでに亡くなっている女性のがん細胞が世界中で培養されて今も生き続けている話はしらなかった(HeLa細胞と呼ばれているとか)。「老いとは」より「死とは」に思い馳せたくなる本でした。

ラストでは、遺伝子を残す必要も適者生存を体現する必要も無くなった老人は、生き物の中でも一番自由に生きられる、とのメッセージあり。そうかな?とは思いつつ、人間の作る社会に、「適者生存」の逆をいく多様性保存の精神が宿り続けるといいなと思う。

「頭が良くなる文化人類学」斗鬼正一

作られた花壇は自然か?近親婚はタブーか?なぜ犬は食べてはならないのに鯨は食べるのか?葬礼、美の基準、男女の役割、色の数、子どもの誕生、虫の鳴き声など、すこし文化人類学をかじった人なら「そんなのあったなあ」となる話がてんこ盛り。
スナック感覚に蘊蓄が手に入る一冊。しかし文化人類学の入門本というわけではなく、文化人類学において忌避されることの多い「好奇心をくすぐる途上国の文化紹介」的な書き方の部分も多い。とはいえこういう本が好きな人はとても多いと思うし、ここから参考文献を辿ることで効率的な旅もできそう。

手軽に文化人類学っぽい蘊蓄を集めたい人にはかなり効果的な本ーーと書くと何だか嫌味っぽい感想に見えてしまいますが、書名の「頭が良くなる」からして、文化人類学に真剣に入門させようという本では無いことは明らかなので狙い通りなのだと思います。普通に面白かったです。

(余談。「普通に面白い」という感想は、「取り扱われている分野の愛好者でなくとも、一般人でも楽しめる面白さがありますよ」という意味である、というツイートを先日見た気がしますが、まさにその感想の似合う本でした。文化人類学のぶの字も知らない人に薦めても楽しんでもらえそうな本。)

池上彰の世界情勢2024」池上彰 #読了

もしかして池上彰の本ってわかりやすいんじゃないか!?と気づいたので最新刊を読んでみた。本著は小学生向けのコラムをまとめたものらしく、たしかに賢い小学生高学年ならぜんぜん読めそうな感じ。(親切にも、イスラム教とは何かとか、円安とは何かとかから説明がある)
内容としてはただ世界情勢が書いてあるだけなので、こども新聞を読む感覚に近い。とはいえこれほど分かりやすくありとあらゆる情報を俯瞰して摂取できるのはかなりありがたいもの。アメリカ・韓国・台湾の選挙の話や、ガザやウクライナの話、ドル高円安などなど。

「読書を仕事につなげる技術」山口 周

――本棚は「外部化された脳」である。
著者にとっては「使える脳」である本棚を維持し続けることが何より重要なことなので、いらない本は棄てるし、間引くし、整理する。
本棚を眺めることは本の著者と背表紙を通じて会話をすることだが、「何年も開いていない本とは会話出来ない」とのことで、捨てる対象になるのだとか。このあたりについては異論ある読書家も多そうだな、と感じた。

とはいえ――どれほど愛している本でも、十年読んでいないとなんとなく距離が開いてしまって、細部を忘れてしまったりすることも当然あるわけで……「繰り返し読む大切な本ばかりの本棚」を持っている人はたしかに仕事ができそうだと思うので、唾棄すべき意見とも言えない。

本を切り裂き自らの血肉とするため何をすればよいのか、を解説した本でした。ビジネス書マンダラ(ビジネス書って結局どれ読んだらいいの?の疑問に著者がズバッと答えた読書ロードマップ)も付いてるし、「ビジネス古典書を色々読んでみよっかな」な人には、ブックガイドとして超お薦めの一冊です。

「最悪の医療の歴史」ネイサン・ベロフスキー著

これ以上なく過去の「医療」を馬鹿にしている本なのだが、まぁ、でもたしかに馬鹿にしたくもなるかな、という気持ちになってくるエピソードばかりが掲載されている。

オカルトと錬金術と医学と占星術がたいして境界を持っていなかった古代から、すこしずつ時代を下っていきつつ、トンデモ医療が解説される。もちろんどれも、当時としては主流だった医療たち。四体液説ってこのなかではかなりオカルト度低いよな、とも思ったり。武器軟膏、特徴説、喀血などなども。

そして時代が下ってきても、意外と医療は宗教的な価値観から逃れられていないのが恐ろしい。痛みは回復のために必要なものであると考えられていたり、解剖がなかなか行えていなかったり。あるいは、いちはやく正しい説に辿り着いたにも関わらず、狂人扱いされた者(消毒法の父)や、世界を救うペニシリンを見つけても十年もの間実用化への道を進めなかったフレミングなど、正解を引き当てたパターンにおいてもなにやら残念なエピソードてんこもり。

最後に紹介されるのは、カバー袖エピソードにも登場しているフリーマン。アイスピックによるロボトミーで精神患者を治したと信じていた彼は、批判を受けた時に患者やその家族から受け取った大量のクリスマスカードを撒き散らして反論したとのこと。今から見ると誤っている医療は、当時の医師からみれば王道であり人を救う技術であった(たとえ、逆効果でその人を殺す医療だったとしても)。昔の医者に怠惰や無責任さを感じることがないとは言えないものの、一応のところ救おうとして行われたことで無数の人が死んだ真実は結構心に痛いものがあった。

ところで、この本の作者、ネイサン・ベロフスキーは医療者ではなく、ほかの著書には「最悪の法律の歴史」などもあるみたい(というか、専門は法律のほう?)
本書も、体系的なものではなく最悪エピソードを列挙して紹介する構成。面白かったです。

『トランス男性によるトランスジェンダー男性学』周司あきら
トランス男性の視点で見た「男性学」を整理してくれる本で、トランスジェンダーのことも女性学のことも知らないわたしが最初に読む本として適切だったのかどうか疑問符が残るが、幸いにもめちゃくちゃ注釈の優しい本だったのでギリギリWikipedia片手になんとかなりました。

トランス男性は人により性別移行に伴いレズビアン→ゲイとなったように見られることもあるそうで(そんなことすら知らなかったが…)、その背景や思考は、これは読まないと想像もできなかったことだった。

正直なところ自分にとってそんなに重要なことではないので今までわざわざ明言してこなかったが、「その性別らしさ」が精神面に宿るという主張(※この本の主張ではない)には実はなんとなく実感が湧かない。身体的な性別違和については分からなくはないんだけど、それも「もし明日自分の肉体の性別が変わっていたら」どれほど違和感があるか、という仮定を取る場合、正直そんなにないと思っている(無論そのようなことはわたしには起きていないので意味のない条件設定ではあるが)。

ただ、男性として育てられること、女性とみなされて対応を受けること、という社会的な対応の違いについてはその人自身の精神に及ぼすところは無視できないものがあると感じていて、「トランス男性は女性として育ったというより、男性として育てられてこなかった男性である」という言葉には確かにそりゃあそうだよなと思った。こういうことすら、丁寧な言葉で書いてもらわないとわからない。言葉はもちろん無力ではないが、それでも丁寧さや根気強さが発信者と受け手そのどちらにも必要なツールだよな…と思ったりもした。

『絵本とおもちゃでゆっくり子育て』柿田友広

こういう育児書って、一冊ごとに思想が込められている。いろんな思想の中から、これは自分の考え方に合うかも、と思えるものをコレクションして自分の子育てに反映していけるのがいいんだろうなぁ、と思う。(知らんけど多分、創作論の本とかも同じだろう)

素敵な本やおもちゃがたくさん紹介されているので、自分の子どもの年齢に該当するページをパラパラ見るだけでも楽しそう!著者は本とおもちゃのお店の店主さんのようで、ぜひそのお店にもいきたくなった。

ドイツの幼稚園では「主体的な遊び」が重視されている、という話が出てくる。もちろん日本の幼稚園や保育園でもその園によって考え方はさまざまだろうけれど、たしかに「その子なりの遊び」を重視してくれる環境っていいよなぁと思ったりもする。
ドイツではないけれど、海外にいたころ弟が通っていた幼稚園でも、おもちゃが遊具のようにたくさん溢れていて圧倒された覚えがある。(トイストーリーのサニーサイド保育園がかなり近い)
たくさんのおもちゃの写真に心躍って、なんだか童心に帰れるような本でした。

『なんにもない部屋で赤ちゃんを育ててみれば』ゆるりまい

ほんとに何も持たないミニマリストが、赤ちゃんを迎えたあとで少しずつモノを増やしていき、そして、減らしていき……という、意識の遷移を辿るお話。「ミニマリスト」というすこし特殊なライフスタイルが出発点だからこのタイトルになっているが、どんな母親にとっても子どもが生まれた以上スタイルや生活リズムの変更を余儀なくされることはあるわけで、でもこの著者の場合そのギャップが明らかに大きく、ひとつのエッセイとしてとても面白い。

「家事ハラ」(家事を手伝ってもらった際に出来ていない部分をあげつらってハラスメントすること)という言葉を初めて知る。家事に限らず、「出来る側」が、慣れない人間の「不足」ばかりをあげつらい、結果「出来る側」へ負担が集中したりする……ことは、よくあるよなあ、とも思う。

「出産前と変わらず、家事を完璧にやりたいと思ってしまう」ということ……ただ、わたしは同じことを「仕事」でやろうとするんじゃないかなという気がしていて、「自分がやる方が早い・そして質が良い」と思ってしまってメンバーに仕事を振れないリーダーの話(よく聞く)とも被るところがある。仕事も家事も、ほんとうにそのラインが必要なの?もっと手抜きできるんじゃないの?っていうのは、常に再考が必要なんだよな、多分…………。

常に120点を取りたいと思って仕事するのって、負荷は高いけど気持ちいい。でもお客さんや上司は「100点でいいよ、っていうか合格点は80点だから、それぐらいでいいよ」って思ってるかもしれないよね、みたいな話を社内の女性キャリア研修で聞いたことがあって、それに近い話でもある。
自分よりも「できない」人に何かを任せること、その現状を受け入れて自分をゆるすこと。そして代わりに大事ななにか(この本においてはもちろん、赤ん坊)を抱きしめること。優先順位を間違えないように仕事復帰したいな、と気持ちが新たになった一冊でした。

『他者と働く』宇田川元一

なにかが【できない】時、それは技術的にできないのか、それともそれ以外の要因でできないのか?
また同じく、【どうすればできますか?】と言う時、どうすればの裏に隠れている言葉は何か?

……というようなところから話が始まる組織論。

「どうすればできますか?」と聞く時、その質問の背景には「どうすれば(失敗せずに)できますか?」という言葉が隠れている。失敗せず簡単に解決できる課題などない。というよりも、そういう簡単な課題は大体もう解決されきった後であるーーという話、何ともその通り。。

経営一本の創業者ではなく、学者が書いた本というところがこのタイプの本としては少し珍しい。
とはいえ学術的というわけではなく、かなり実践に寄り添った内容。言われてみたらまぁそうだよなあ、という内容を積み重ねて結論へ辿り着く感じ。

組織が変わってくれないとか、イノベーションを受け入れてくれないとか、そういう課題は全て局所的合理性をもって発生している。大抵の場合、頭の固い他部署の人は、その人なりの合理的理屈があって変化を受けいれない。
相手の理屈や文脈やナラティブを切り開き、なんとか会話を始めましょうという一冊でした。読みやすかったし面白かった。

バカの壁

これ本当に大ベストセラーの本なの? と疑いそうになるぐらい薄っぺらい本……だと思ったら、本人の「喋り」を編集者がまとめた本らしい。もしこれを偉い人が飲み屋で喋っていたら、この人意外と面白いこというなあ、と楽しく聞くことができそうだけど、新書とはいえ本の形で読むのはかなりきつい。まだオーディブルとかで聞き流ししたほうがよさそう。

フランス人は10着しか服を持たない

2024年読み初め。2023年のクリスマスバザー(マンションで開催されている)に出品されていたので、そろそろこの本も読んでみるかと手に取った。一番驚いたのは、著者がアメリカ人の翻訳本だったこと。フランス人のおしゃれさに幻想をいただいているのは、なにも日本人だけではなかったのか!(たしかに、アメリカ人には享楽的な物質主義のイメージがあるかも)物質主義への警鐘というか、たくさんものがなくても、よいものを少し持つだけで生活は豊かになる――という本。

なお、2024年のクリスマスバザーに出品した。


2024年時点での10冊

・図南の翼
わたしたちが孤児だったころ
・ひらいて
・人間の絆
高慢と偏見
ナインストーリーズ(エズミに捧ぐ)
デスノート ロサンゼルスBB連続殺人事件
死に至る病
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
屍鬼


2025年は、「十冊」に入る本と出会えますように。

わたしの好きだった文学フリマについて

※本記事は「小説を書く人のエッセイ Advent Calendar 2024」12月1日担当の記事となります。

 

 

 

あんまりこういう「ポエム」的センチメンタルなタイトルは好きじゃないんだけど、まぁでもこれからする話はぼくにとって結局センチメンタルなポエムなのかなという気がしたのでこのタイトルのままにした。

 

 

時は一年遡り、2023年11月、文学フリマ東京37というイベントに一般参加*1した。

文学フリマ」というのは全国各地で行われている一次創作の文芸イベントで、「自らが文学と信じるもの」を皆持ってこい、という掛け声の元、プロアマ問わず参加できる(文学フリマで人気が出て書籍化されプロになった、と言えなくもないパターンも存在する)。東京版のことは特に「文学フリマ東京」と呼び、言わずもがな全国の文学フリマの中で最も歴史が長く来場者数・出店者数共に最大規模のイベントとなっている。

 

ここ最近、文学フリマ東京は大変盛況で、その日も開場直後を避けたのにも関わらずかなりの混雑だった。すべてのブースをしっかり見るのはかなり難しそうな気がしたし、見本誌コーナー*2でも順番待ちが発生していた(とはいえ、ジャンルによってかなり差はあったけれど)。

わたしは全てのブースを見て回って立ち読みができた頃の文学フリマも知っている。初参加は確か2017年頃で、たったの7年前なのだけれど、それでも今とはずいぶん雰囲気が違っていた。わたしは興味のあるジャンルの全てのブースのお品書きを見ながら、これはと思うものがあれば手に取って立ち読みした。数秒で、これは素晴らしい絶対買うぞ、と決めた本の場合は、その面白さをしばし立ち読みで楽しみ、簡単な感想を伝えながら財布を出した。こういう場所があったのかと思ったし、オンラインともまた違う文芸を楽しむことができた、と思う。

 

このタイトルの記事でこの感傷の記憶を書くということは、「にもかかわらず最近の文学フリマでは」的なストーリーに繋がりそうなんだけど、今回はそうは言わない。もちろん感傷はある。あるものの、でも、規模が大きくなることは単純に嬉しい。これは嬉しがるべきことだ。倍になっても三倍になっても、そこで本を出す人の何かがスープが薄まるみたいにして減って行くわけではない。同じように、本を書いて本を出したい人の数が、ただ、増えるだけだ。

 

とはいえ、一回だけ宣伝すればだれかが見てくれるかもしれない、という希望は幻想になってしまったし、自分のために書かれたような一文と出会う機会を逃してしまったのかもしれない、という寂しさはある。

 

今、出店者側として文学フリマで本を売るときには、二週間ぐらい前から定期的な宣伝を心がけている。そういう努力をすることで、なんとかして届けるべき人のところへは届けたいと願うからだ。だが、あまりにうるさくてミュートされる方も当然いらっしゃるだろうし、そしてわたしはその人のことを宣伝程度で離れるような人ならどうでもいい、とは思えない。なのでバランスを見ていくことになるのだけれど、何かが削がれていくような感じは確かにある。

 

やっぱり、おじさんが一人で布も敷かずにやってるような表紙に絵もない一冊を読んでみたりするのがわたしは好きだった。ブースの中で出店者の方が読んでいるその本が好きな本だったからその人のブースの本も読んでみる、みたいなのが好きだった。この言い方ってめちゃくちゃセンチメンタルなだけの失礼な発言だと思うんだけどさ、でも正直そうだった。

 

 

さて。2024年12月1日本日、文学フリマ東京39が、東京ビッグサイトで開催される。

この記事の公開を、イベントの前にするか後にするか少し悩んだのだけれど、イベントを通して思ったことはその後にまた書けばよいので、とりあえずここに公開ボタンを押す。

 

半年前、2024年5月の最後のTRC(東京流通センター)開催にて、TRCアンソロという企画に参加して一編エッセイを寄稿した。その中ではこう書いた。

 文学フリマの場所がTRCから東京ビッグサイトに変わっても、来場者数がどれほど増えても、わたしのブースで売れる本の数は大して変わらないのかもしれない、という直感がある。

 だから、2017年頃の、全てのブースを少しずつ立ち読みしてまわれた頃ののんびりした文学フリマを懐かしむ気持ちが全くないと言えば嘘になるが、そんな郷愁を勘案しても、やっぱり人が増えるのはいいことだ。箱が大きくなるのも、きっといいことだろう。

 

感傷はたしかにあるが、いいこともきっとある。それが何かというのは上手く言えないのですが、新しいものをまた好きになろうと思う。

変化があったことは事実だけれど、変わっていないものを見逃さないように、つまり、たとえ見つけるのが大変になったとしても、わたしが探したい本自体はこの広大な会場のどこかにたしかにあるのだ、7年前と同じくあるのだ、ということを忘れずにいたいということ。

 

また、同じように、ちょっと昔より見つけるのが大変になったかもしれないけど、わたしの本を必要だと言ってくださる方に見つけてもらえるように夜空の中で光ってみるということ。俯瞰して見た時に自分が何等星なのかは、イベント当日の今日は一旦考えない。

 

 

これってエッセイなのかしら。2日以後に続く皆さん、なんでもお好きに書いてください。あなたの文章が読みたいし、あなたの小説に出会いたいです。

 

*1:ちなみに「一般参加」というのは自分は本を売らずただ本を買いに行く時の参加形態の呼び方であり、ブースの出店料を払って当日出店する場合には「サークル参加」という言い方をする。

*2:各ブースの「本」だけが置いてある場所。出店者の目が届かないので、普通の本屋さんみたいに気軽に立ち読みができる。

2023年に読んだ本の話

 

あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

子どもが生まれたので、育児書や絵本をよく読んでた一年でした。といってもそれらの本を書くとキリがないので、ここではあまり取り上げないことにします。というわけで例年よりは冊数が少なめに見えるかも。

 

 

なお、2022年に読んだ本の話はこちら

meeparticle.hatenablog.com

 

 

 

 

本の感想

まずは小説部門。

 

小説

エンドロール(塩谷験)

 

ミステリ小説。

「探偵と思想の戦い」でもあるし「裏切者を探せ」的な要素もある。

「なんのために書くのか」の話でもあるし、「文章に何が出来るのか」の話でもある。

いやー面白かった。なんか何か言うとネタバレになりそうなので、↑こういう曖昧なポエム感想だけで終わりにしようと思います。メフィスト賞受賞作家だそうです。トリックやアリバイ等を考える必要のない、でも良質な心理ミステリでした。

 

今度生まれたら

評判がよかったのでとりあえず購入して電子書籍で読む――という読み方をしたので、最初、小説なのかエッセイなのか分からなかった。それぐらい、まるでエッセイのような書き口をとっている【小説】です。

プライドのとにかく高い70代女性の生活の話。「おばあさん」の煩さというか、面倒臭さの詰まった一冊。

 

すずめの戸締まり

 

映画鑑賞後に読みました。

 

「天気の子」の時にも思ったけど、この、映画を追体験するかのような読書体験は本当にこの本ならではのもの。小説版にしか書かれていない情報も多少ある。単体の小説としては(映画では3人称的なところをむりくりまとめている点もあり)読みづらいとは思うが、でもまあみんな映画→小説の流れで読むだろうと思うんで全然問題ないと思います。いい映画でした。

 

せっかくだから映画「すずめの戸締まり」の話もしようかな。わたしは同監督の「天気の子」がかなり好きで、2Dアニメーション映画のなかで一番好きな映画は何かと聞かれたら躊躇いなく「天気の子」をあげると思います。(ちなみに3Dならズートピア、実写ならタイタニックインセプション

 

「すずめの戸締まり」は、少女が自分をもう一度抱きしめるために日本縦断するロードムービーで、随所にみられる「人間という存在への底なしの肯定感」や「ある種無責任にもとられかねない楽観性」による人間賛歌の音色がとても純粋で、そこが好きでした。しかもメインヒーローが長髪の男という…………(長髪の男がとても好き)。

 

震災と津波の描写があるので、人を選ぶ部分はあると思いますが、おすすめの映画ではあります。万人に向けた傑作というものではないと思うし、尖り方で言えばわたしは「天気の子」のほうがぜんぜん好きだけど、でも「すずめの戸締まり」もよかった。

 

異類婚姻譚

こちらで感想記事を書きました。

 

 

 

新書・雑学書・エッセイなど非フィクションもの

 

マンガでわかる 精神論はもういいので怒らなくても子育てがラクになる「しくみ」教えてください

 

一冊だけ育児書を入れさせてください。これは、なんというか、全然「子育て」の枠に収まりきらない本。

 

自分の夜の自由時間とやるべきことを計算しておくとか、小さな報酬を用意して物事を進めるとか、たまにはノーゲームデーを作って新鮮な1日を過ごすとか、大人にも効果覿面なTipsばかり。行動認知療法に興味が出た。

なんかダラダラしちゃってぜんぜんやりたいことできないな……とか、締切直前になるまでなんにもできないな……みたいな悩みを持つ人は、子どもがいるいないとかに関わらず「自分のため」に読んでみてもいい本なんじゃないかなあ、とすら思います。

読めばすぐに何かが解決できる魔法が書いてあるというよりは、「あー、それちょっとやってみるのいいかもな、試してみようかな」みたいな気持ちになれるプチTipsが簡単に漫画でライトに紹介されてる本、って感じ。新しいことを始めるモチベーションの豊富な、年明けの今読むのがふさわしい本でもあると思います。

 

ことばの発達の謎を解く

面白かった。乳児・幼児がいかにしてことばを獲得していくのか?という話。(←この一文だけでへ~面白そう~って思った人にはすごくオススメです)

子どもは、言葉のシャワーの中から、「文法」をなんとか抽出して、単語ひとつひとつがどういう意味合いをもつのか、分類して学んでいるらしい。すごすぎる。

言葉を学ぶということは、「知っている概念をラベリングしていくこと」ではなくて、「言語をもとに、知覚した世界を切り分けていくこと」という話が面白かった。言語って、ただのラベルではなくて、認知や思考そのものなんだよな、という。言語があるからこそ、ラベルを貼る先の対象ができるというか。

あと、言語学習中の子どもは「推論力」と「修正力」が並外れている、という話も面白かった。たしかに、「これはペンギン」と教えられた時、その言葉の対象が動物なのか鳥なのかペンギンなのか固有名なのかを判断するのはめちゃくちゃ難しそうな、とか。自分の推論が間違っていると気づいたら、すぐ修正できる柔軟性とか。

この本を読んだ後で、Youtubeの「ゆる言語学ラジオ」を見るようになったんだけど、結構内容が被っており良い復習になった。同じ本で学んだ誰かと、その本の内容についてあれやこれやと喋る――みたいなのがわたしは結構好きなんだけれど、それを疑似体験できる感じ。

 

ヒトラーとナチ・ドイツ

そういえばどうしてヒトラーって台頭できたの? という、一度ならず何度も浮かぶこの疑問を、主に「政治制度」の面から答えた本。何が起きて、どうなって、ヒトラーを支持したほうが有利となる状況がドイツの中で出来上がっていったのか、という遷移が書いてある。ドイツの当時の政治制度のひずみや、国民感情、そしていくつかの偶然など、さまざまなタイミングが奇妙にかみ合ってしまった結果、悲劇が起きたということは理解できた。ところで彼は割と「自分で作り上げた思想」はない人だったようなので、そこだけ少し意外だった。

ただ、一つやっぱり不思議なのは、ヒトラーの反ユダヤ感情そのもの自体は、いったいどこで生まれたのか?ということ。この本を読む前は、彼は反ユダヤ感情を利用して何かを起こそうとしていた(例えば反ユダヤ感情を利用してドイツ人の鬱憤を発散させていたとか)だけで、別に個人としてユダヤ人が嫌いだとか、それだけであそこまで行ってしまったわけじゃないだろう――と思っていたんだけど。どうやらただ単に彼自身が「ユダヤ人を憎んでいた」としかいえないような非合理な選択場面もあるようで、なぜそこまでいってしまったのかが不思議。この本はこの本でめちゃくちゃ面白かったけど、もう少しヒトラー個人の心理面にフォーカスを当てた本も読んでみたい。

 

出生前診断 出産ジャーナリストが見つめた現状と未来

一冊だけ重たい本の紹介も。

この本は出生前診断に関する「医療側」からの意見を書いた本。当事者となるべき「親の側」の意見は伝聞という形式でしか記されていない。この本を読んだ後、わたしは、出生前診断を受けないことに決めた。

 

出生前診断を受けて陰性だった人が「出生前診断を受けて良かった」と思うのはよく分かるし、出生前診断を受けずにダウン症その他の子どもを産んだ人が「出生前診断を受ければよかった」と思うのもよく分かる。正直、そういう状況にある人達がそう思うのは至極当然のことだとすら思う。けれども、そのどちらにも該当しない、「出生前診断を受けて陽性だった人」は、果たして「出生前診断を受けてよかった」と思うのかどうか、とか、そういう視点の本だった。

 

 

本の感想としてここに書くようなことなのかどうか分からないけれど、その時思っていたことをここに残しておきます。(長いのでクリックで展開)

 

 

※この先、ダウン症について深く調べても考えてもいなかった時のわたしの意見をメモしてある部分があります。ダウン症について真正面から考えたことのある人にとってはとても浅慮な部分があると思うし、今自分でも読み返してもすごく知識のない考えが混じっているなと思います。でも「出生前診断を受けるかどうか」ということを考える妊婦の思考フローとしては、このような流れを辿ったのは事実なので、やはり残しておこうと思います。

 

自分に置き換えて考えると、たとえばもし目が見えなかったとして、生んで欲しくないなんて思うだろうか。いや思わない。耳が聞こえなかったとして、ダウン症だったとして……と考えてみた。正直、「自分がダウン症だったとして」という条件で想像するのは非常に難しかった。わたしがダウン症の人をさほど知らないというのもあるし、そもそもダウン症の人に現れる症状には個人差も大きい。ダウン症の人は合併症も起きやすいそうで、小さいころから病院に通う回数も多いと聞くし、医療の進歩で寿命がかなり延びたとはいえ、依然として低年齢で亡くなるリスクもある。

でも30歳まで生きられないとして、たとえばだけど30歳で死んでしまうとして、ちょうどその時30歳だった私は、もし胎児の頃、わたしを宿した人が「30歳まで生きられないなんてかわいそうに」と言って中絶を検討しているのを想像してみた。直感的に、いや、それは自分で決めさせてくれよ、と思った。30歳までしか生きられないからといって、20歳までしか生きられないからといって、10歳までしか生きられないからといって、それは、それでいいかどうかは正直生まれてみないと分からないと思った。

いろんな条件を考えてみた。目が見えなかったら、耳が聞こえなかったら、ダウン症だったら、生まれながらにどこかがとても痛くてそれが治る見込みがなかったら、とか、とか、色々。結局自分にいろいろ置き換えて考えてみてわかったのは、「幸せになれないのであれば」生んで欲しくない、という意見だった。でも、生まれるのは勿論自分自身ではないのだから、「自分に置き換えて考える」ことに、正しさがどこまであるのかはまだ正直よく分からない。

では、ダウン症の人が幸せであるかどうかをまず知りたいと思って、ダウン症の支援団体の方が出していたアンケート結果にたどり着いた。ダウン症とそうでない人との間に、幸福度の差はなかった。ダウン症の親についても、支援と繋がっている人の場合であれば幸福度に差はなかった。

ところで本の中では、「ダウン症でもアーティストになって成功している人はいますよ」的な言葉に励まされる親はあまりいないという話が出てくる。親は、子どもが天才でいてほしいわけでも世界的アーティストになってほしいわけでもなく、ただ幸せに暮らしてほしいだけだ、という話。それもそうだよなあ、と思う。障害のある子どもを持つ親は「子どもが天才ではなかった」ことを悲しんでいるんじゃないもんな、と。

 

(ところで、出生前診断の話をするときになぜ数ある障害のなかでもダウン症にフォーカスがあたるかというと、「出生前診断」で判定できるものはとても少なくて、その少ないうちの一つがダウン症だからです。これも本を読むまではあまり分かっていなかった。もし、他の障害も診断できるような状況になったら、発達障害や性格や美醜も含めた身体的特徴も分かるようになったら、もっと色んな視点から物を考える必要が出てくると思います)

 

また、海外における「出生前診断」がどう考えられているか、という視点の話も多い。

もちろん出生前診断の実施率が高い国低い国いろいろあるが、実施率が高い国でも、その文化的背景は様々。アメリカは移民国なので人種によっては4人に1人が重篤な遺伝病の因子を持っていることもあり、「産まない」判断をするためではなく「産む」判断をするために出生前診断を受けることもあるという(診断がなかった頃は、夫婦共に因子があると判明したら妊娠自体を諦めていた)。その他、診断が陰性とわかるまでは「妊娠した」という感覚が薄い国(=出生前診断が終了し、問題がないと分かった時点で「妊娠」を喜ぶ、という感覚)もあったり。

 

 

ただ、こんなに、こんなに考えたのに、生まれた子どもを育てていると、一人目と二人目とでは「出生前診断」に対する考え方も変わりそうだな、と思う。一人目の時は出生前診断を受けることなんて考えてもいなかったけれど、二人目の時には受ける、という人もいるだろうな、と。わたしとしてはやっぱり、出生前診断を「全員が受けるべき」という形式にするのはものすごく抵抗感がある。十代の頃は、もし子どもを産むことがあれば出生前診断を必ず受けるだろうとぼんやり思っていた人間だったにも関わらず、そう思う。

 

 

つぼやきのテリーヌ

森博嗣のエッセイ。

2ページずつ(見開き1ページ)の、100篇のエッセイが詰まった一冊。エッセイというよりは長い呟きに近いかもしれない。限られた紙面いっぱいに、明瞭にしかし具体的に、森博嗣個人の哲学が表されている。

 

「一万円選書」でつながる架け橋 北海道の小さな町の本屋・いわた書店

「相手のカルテ(好きな本、大事にしていること、哲学などが書かれたカルテ)」を元に、1万円分本の選書をしてあげますよ、という本屋さんが大ヒットしているという話。たしかにこれはヒットするだろうなあ、と思う。セラピーとかカウンセリングみたいな効果もあると思うので。

この「一万円選書」という取り組み自体は、本を売るためなら誰でもパクリ大歓迎ということなので、わたしは本屋ではないが、誰か友だちと個人的なお遊びの一種としてやってみれたら楽しそうだなあ、と思っている。通話したことや会ったことある人のなかで、やりたい人いたら連絡ください。

 

 

オタクの楽しい創作論

「みんなの創作論」をテーマに書かれている本、ってなかなかないんじゃないか!?とすごくワクワクしながら読み始めたんですけど、一次創作じゃなくて二次創作の方の「創作論」でした。たしかに、頭に「オタクの」ってわざわざ書かれてるもんな……。

まあでも、面白かったです。これの一次創作版の本がほしいんだよなあ。同人誌でも全然いいので、みんなの悩みとかを読んでみたい。

 

 

自分の中に毒を持て(岡本太郎

岡本太郎が好きです。

 

本人の著作は読んだことがなかったんだけど、まあ読みづらい文章だった。なんというか、そうだな、読み応えがあるというか……。「噛み応えがあるね」っていう、簡単には飲みこませてくれない文章。

 

内容としては、タローの人生観/男女観/芸術論がざっくり描かれている。男女観編が一番面白かったかな。あまり論理的な本ではなくて、岡本太郎自身の爆発的な思想をとにかく書き殴った本、という感じ。

印象に残ったのは、「平然と人類がこの世から去るとしたら、それがぼくには栄光だと思える。」という一文。この栄光のパワーみたいなものを、あの踊る棒人間に込めていたんだろうな、と思った。彼の芸術は大好きです。

 

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その他、漫画は、「ブルーピリオド」「彼方のアストラ」「呪術廻戦」「医龍」「違国日記」あたりを読んだ。漫画は飽きたらすぐ読むのやめちゃうので、ここであげた漫画はどれも傑作だったことを約束できます。とくに医龍はほんとうによかったな……。

 

今年の記事、「出生前診断」の本だけめちゃくちゃ感想に気合が入りすぎてましたね。別記事にしてぶらさげるほうがいいかな、とか思ったりもしたんだけど、別記事にするならそれはそれでもう一回読み直してちゃんと感想書きたいなとか、色々思っていたら先延ばししちゃいそうだったので、とりあえずこれで出すことにしました。2024年はスピード重視でいこうね。

 

 

 

はてさて。いつもの十冊を決めます。

 

2023年時点での10冊

・こころ(最後の部分だけ再読しました)

高慢と偏見(今年再読しました)

・わたしを離さないで(今年再読しました)

・人間の絆(今年とばしよみで再読しました)

・ひらいて/綿矢りさ

・はじめての構造主義

・去年を待ちながら

・僕の知っていたサン=テグジュペリ

・少女不十分

・エズミに捧ぐ

 

 

 

 

2023年は、「十冊」に入るほどの本と出会えなかったのが少し残念です。

(とはいえ、異類婚姻譚はめちゃくちゃ面白かったですが)

 

 

あと、実は読みかけの本も多いです。すきま時間で本を読んでいると、なんか集中力があっちこっちに飛んじゃいがちなんだよな……。しっかり時間を取れる夜は執筆にあててしまっているし。読んだ量がほんと少なかったなあって反省したので、明日からまた頑張って読みます。

 

 

 

2024年も、良い本に出会えますように。

 

異形頭オンリーアドベントカレンダー2023 8日目

※これは異形頭オンリーアドベントカレンダー2023 8日目の記事です

adventar.org

 

8日目の異形頭はこちら

異形頭(ガラス玉)

曇った水晶玉の異形頭です。誰も読めない言語の本で埋め尽くされた狭い小部屋のなかで、占い師みたいに一対一で相談者の悩みを聞き、弁護士や便利屋の紹介か、あるいは自ら問題解決に乗り出してくれたりします。

 

 

以下は補足資料

異形頭(ガラス玉)の補足資料

つるつるで指紋がよく付着するので本人は黒手袋を欠かさず付けている。頭は奥が透けて見えるほどではないものの、割と反射する性質なので、相談者はまるで靄のかかった自分と喋っているかのような気持ちで相談や告解をすることになります。

 

 

本編は以上で終了なんですが、SSも書いてみたので貼り付けておきます!

※注意 顔が人間の非異形頭もビジネスパートナーで出てきます。

 

 

SS「半透明の紳士」

 
 
 


最後に

何年か前から異形頭オンリーさんの存在は存じておりまして、いつか参加したいなと思っていたので念願叶ってめちゃくちゃ嬉しいです。12月だけで25の異形頭が見られるの嬉しすぎる。明日からも続く異形頭のお祭り、楽しみに待ってます!