@particle30

惑星イオはどこにある

睡蓮の池

初めてクロード・モネの「睡蓮の池」を見たとき、わたしのむねは締め付けられ、ぎゅっと水をふくんだスポンジが絞られるみたいにして、なにかが垂れ落ちるような、不思議な感覚を味わった。心臓からあふれだしたなにかはわたしの胃や腸のあたりを濡らしているようだった。ともかくも不思議な、内臓がどろどろに溶けそうなほど、と書くとあたかもグロテスクだけれど、とかくもわたしはその絵に懐かしさを感じて、見たことのないこの庭にどうしてか帰りたいと願い、どうしようもなくさみしくなった。

 

f:id:meeparticle:20180104212826j:image

 

名画を見たときの感情体験はいくつかに区分わけができると思っている。

 

ああ、これがかの、と教科書のなかの記憶を引っ張り出して、自分のなかのひとつの「良質な」経験としてしまわれるもの。あるいは、ふと足を止め、とうていそこから離れられず、まるで恋人を残してこの地を去らなくてはならないような、不思議な感傷をおさえきれないもの。もうひとつは、一見すると目はひくもののたいしたことはないのだが、その絵の前に立っているうちに、絵が襲ってくるような感じを受けて、強い衝撃を脳髄に残すもの。いつかもう一度会えますようにと、願いをこめずにはいられないようなもの。

 

睡蓮はそのすべてを横断した体験をよこしてくるものだった。

 

まず遠くからでも、ああ、あれがかの、と分かる。画面いっぱいに描かれた美しい庭。遠目でもその美しさが見落されることはない。楽しみに思いながら、ほかの絵をたどって、次々とバトンがわたされ、ついに「睡蓮の池」の順番がくる。わたしはとつぜん、ここ数枚の絵にかんする記憶を失う。どうしてもそこから離れられず、そなえつけの椅子に座り、しばらく連綿とつづく睡蓮の葉たちと見つめあっている。絵のなかの風景はどこか動き出すような気配があって、わたしが瞬きする一瞬だけをねらって風を吹かせているのではないかと、そんな気持ちにさせられる。これ以上ないほど自由が過ぎて、かえってどこか窮屈な感じさえある。この庭園のなかに一度入ったら、もう二度と出ることはできないのではないか。どこかの隔離された、静謐なサナトリウムのなか。あるいは夢のなか。二度と戻ることはできない世界の果ての風景。

 

この庭はきっと、春は当然、夏もうるわしく、秋は静かにきれいで、冬はいっそう美しいのだろう。

 

モネについてわたしは詳しくなかった。睡蓮をやけに多く描いた画家であり、生前に名声を得た印象派の巨匠で、顔のない女性の絵をやわらかく描いたひと。その程度の認識しかなかった。今までもいくつか作品を見たことはあったはずだが、これほどさびしくはさせられなかった。

 

この絵を描いた人のことを、ほとんど知らないのにもかかわらず、わたしはかれを哀れに思った。かれはたぶん、この庭の外には興味がなかったんじゃないか、と思った。執念とも呼ぶべき集中力がかれを絵のなかだけに引き込み、つつむ緑の香り、やさしい水音と立ち上る特徴的な草いきれ、そのすべてが彼を呼び続け、ついに帰ってくることはできなかった。彼が描いているのはその諦念にも似た、このやわらかい庭以外の世界をすべて切り捨ててしまいたいという決別のこころ、盲目的な庭への愛情、ただそれだけで、睡蓮や草たちは、彼の人生そのものであり、だからわたしはたぶんこんなにも寂しくなる。

 

やがて緑はわたしを襲いだして、わたしはどうしてもこの絵の前から離れられなくなる。撮影可能の美術館だった。ほかの絵の前ではカメラを出そうという気持ちになれなかったが、この絵だけはわたしも撮った。もちろん、当然、この池の魅力を少しも持ち帰ることなんてできないと理解していた。

 

コンサートに行く理由、美術館に行ってわざわざ本物をこの目で見たいと思う理由、このふたつは重なっていて、つまりわたしは、「ほんもの」を記憶に宿しておきたいのだと思う。一度「生」で聞いた歌声は、自室でCDをかけているときにも被って聞こえてきて、いままでは多少いいじゃないかと思う程度だった楽曲が、生で聞いてしまったら最後、大好きで一秒だって気も抜けない楽曲へ転変してしまった経験をわたしは持っている。絵はもっと分かりやすくて、教科書のなか、インターネットの画像検索、そんなもので見た絵たちは、どこかよそよそしく、魅力はそぎおとされて、ただ「かたち」だけがなんとなく分かるだけのものになってしまっている。しかしほんものを前にすると、絵というのは生きているみたいに動くのだ。そしていちど瞳のなかに「生」を宿せば、家に帰って、とんでもなくひどい出来のポストカードを眺めているときも、それなりに絵は鼓動を打つ。

 

なにかに意味を与えてしまうのが芸術の条件なのかもしれないと思うことがあって、事実わたしはあの美しい睡蓮の庭に似た風景を見るたびに、うつくしいものへの憧れのこころ、どうしようにも手に入らない平穏への憧憬、のびのびと小麦の焼きたてのパンだけをたべて川辺にしろのワンピースで寝転がりたい気持ち、そんな、とっくに捨てたはずの、どこか懐かしいその気持ちが、わたしを襲ってきて、しばらく帰ってこられなくなる。定時の鐘が鳴るすこし前に、目の前いっぱいのガラスの向こうのビル郡が、とおく夕暮れのなかに落ちて行って、青や紫や、時には緑がかった空が、薄くのびた雲だけをお供に色を変えていくのがすきだ。やがてすべての色が去って、黒塗りのやけに反射するガラスだけがのこり、外にはビルのうえについている赤い点滅灯しか見えなくなったころ、ようやくわたしは現実に帰ってこれる。すとんと、とつぜん目が覚めて指定の椅子の上に戻されるみたいに。

 

小説もそういうものでありたいと思っていて、絵や音楽が、なんとなく一瞬の情景やふわりとした感情をとらえることに向いているなら、小説は経験を消化することに向いていると感じる。わたしがあの睡蓮を見てから、どこかにあるかもしれないモネの庭のうつくしい情景を信じ、世界の美しさを信じることの盲目の美しさを愛していられるように、小説は、人々のうしろ暗い経験や口にするとつまらなくなるこじれた気持ちやそれでもこびりつく愛情やとれないひずみのようなもの、そんなものに意味を与えてしまうことが、たぶん出来ると、これだけはずっと信じている。

 

毎日夜がくるたびに、わたしは美しい絵画に幕の下りたのをさびしくかんじ、ふたたび日が上がるのを待っている。夜の暗さが一番好きだった子どもが。夜が現実で、朝は絶望だけれど、昼はすこしやさしくて、夕暮れがいちばんうつくしい。睡蓮が好きです。

魔性の子

 

帰りたいと思うことがある。帰り道の途中でも。ベッドのなかにくるまっているときでも。実家に戻って出された梨をのんびりむさぼる昼下がりにも。

 

どこかに帰るべき場所があるのではないか。わたしを待っている世界があるのではないか。玉座が用意され、赤いカーペットの敷かれる、ただわたしだけが足りない王宮が、とにかくどこかに。

 

……なんて、もうそんなことを思うことはほとんどないけれど、「帰りたい」郷愁の思いは、思春期のわたしをしばらく縛り付けていた。それゆえにわたしは「魔性の子」という作品が印象深い。帰りたい。どこかに、自分のいるべき世界がある。それはどこか――どうしても、帰らなくてはならないのに。

 

 

 

 

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

 

 

この小説を読むとき、わたしはいつもかつての夢を思い出す。その気恥ずかしさゆえに一度もちゃんと口には出したことがないけれど、でも、誰もがきっと思ったことがある、あるいはわたしがそう信じている、女神になりたかったという夢。

 

友人と話し合ったことがある。われわれははやめに死にたい。


大切なものをたくさん持たず、ただ若さだけを抱えているとき、その天賦のギフトが少しずつ失われていくのを感じ、そして大人たちがその欠損を悲しみ、わたしたちをどこか哀れみの目で見つめるのを知って、わたしははやく死にたいと願いはじめる。いま持っているうちに。美しいうちに。なにも欠損しない、完全なままの姿で。

 

しかしその希死観念は、つまりは永遠に子供のままでいたいというピーターパン症候群の裏返しに他ならないので、結局のところわたしたちの体は死になじまず、喪失を経て大人になる。なにか決定的なものを無くすことを、わたしたちは通過儀礼と呼ぶ。

 

ただ年を経ていくだけでも、単純にたくさんのものが失われていく。柔らかい絹のような髪質、すべてが輝く世界の光、夜通し話をする仲間、どこかにいたはずの友人、周囲からの寛容のまなざし。しかしそんなものはたいしたことじゃない。わたしたちが真に失うのは、自分を自分たらしめる何か、つまり柱のように通っていたもの。それを脱皮のように脱ぎ捨てなければ、わたしたちは大人になることができなかった――そんなふうに思うことが、わたしにはある。

 

わたしが失ったのは友人だった。その友人は絶望という名前でよくわたしの前に現れた。死にたくもない今ならわかる、あのころは本当に、いつ死んだってかまわなかった。けっして投げやりな気持ちでも、いじけた思いでもなかった。ほんとうにどうなったって、いっこうにかまわなかったのだ。すべてが。

 

死ぬならどう死にたい。誰もが一度は話し合う、結論もなければ面白みもないその話題。わたしたちはこう答えた。ただ死ぬのはつまらないから、世界を救って死んでみたいよな。英雄になりたいのかって? そうじゃない。誰にも知られなくていいから、ただ、わたしは何かをなしえて死にたい。そのまま誰の記憶にも残らなくても、ほんとうにいっこうにかまわないから。


記憶には残らない。
誰にも感謝されなくていい。
世界をほんとうに救いたいわけじゃない。

ただ、なにか意義のある死を顕現したい。


つまり、女神になりたいということ。

 

 


女神は目に見えない。あるいは現れることを知らない。それは超常的な存在で、現世とは結びつかず、住まいはいっそ常世に近しい。存在するだけで価値を持ち、その犠牲は尊く、ただわたしたちを救う。気まぐれで、いつも存在を感じられるわけでもないけれど、でもたしかにいると、信仰によって存在を立脚する。

 

そういった存在に、わたしは憧れていた。結局は、「死んでもいい」というのは覚悟ではなく、放棄だ。なにか対価を差し出すから、とにかく特別な存在になりたいという身勝手な契約。異世界転生したり、勇者の星に愛されて旅をするのと、本質的には変わらない。つまり、努力なしで生きていってみたいということ。何か特別な存在に、格別の努力なしでたどり着きたいということ。

 

その甘い甘いひどい夢を、臆面もなく口に出せるようにするためのスパイスが、つまりは死だった。「死んだっていい」というのは、何も持たないからこそできる魔法の取引だ。自分が価値を感じていないものを放り出すのは簡単だし、ある種当然のこと。わたしたちは言う。死んだっていいから奇跡をください。このまま奇跡がないのなら、どのみち死んでしまうからです。

 

 

 


魔性の子」において、一人は帰り、一人は留まる。

 

自分の座るべき椅子を取り戻した者と、
不浄のために選ばれることが出来なかった者。

抱きとめてくれるやさしい異形の両腕を持つ者と、
どうしようもなく人間でしかありえない者。

そのままで完全であり続ける者と、
今まさになにかを失わなくては大人になりえない者。

そして、麒麟と、人。

 


「特別になりたい」と、自分のなかの幼子が言いそうになるたびに、わたしはこの小説を思い出す。

 

わたしたちは女神にはなれない。

 

行って、人間の世界で生きなくてはならない。

 

 

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

 

 

コミティア121参加について

 

膨大な時間を置かなくてはブログ記事が書けない呪いにでも侵されているのか?

 

 

 

というぐらい前(※一ヶ月前)の話になってしまいましたが、コミティアに参加しておりました。

 

f:id:meeparticle:20170926191321p:plain

 

以前の文フリとはうってかわって、フォロー関係にある皆様との交流がメインだったように思います。

とはいえあたらしく一期一会に本を手に取ってくださるかたもいらっしゃって、とてもたのしい参加になりました。

が、明らかに一般参加のほうが楽しそうでしたのでたぶんもう出ることはないと思います…………(ほかのブースに行きたくて行きたくて仕方がなかった……)

 

設営直後は会場の雰囲気を見るために席にいましたが、十五分ほど待ったところで、早めに回ったほうがよさそうだな!! と気づき午前中はずっと離席しておりました。

 

会場直後、どどどーーーっと走っていく人がいて、Ohこれはさすがに文学フリマでは見なかった光景だな……と思ったり……よくもわるくも文学フリマはゆったりしたイベントだったように思います。規模の問題もあるかと思いますが。

 

また、前回はわりと飛ぶように売れていった(ありがたいことです……)ので結構あわただしく、何時にいくら売れた~とかもあまり記録できなかったのですが、今回はゆっくりお知り合いのかたにも手に取っていただきながら……という感じでしたので、周りを見る余裕やブースに来ていただいた方と楽しくお話する時間もたっぷりあり、これぞイベント参加という感じがいたしました。

 

お菓子や本をお持ちくださったかたも多く、イベント時間中ずっと楽しく過ごせました。ほんとうにありがとうございました!

 


今回は、5月の文学フリマにも持っていった「標本」を再度刷り、あとコピー本を2冊持っていきました。

 

■「標本」

いままで書いた小話を寄せ集めた短編集になります。
自分が好きな作品を詰め込んだので私としては結構好きなのですがちょっと濃い感じもありつつ。

 

送料が高いのですが、いちおう通販しております。

particle30.booth.pm

ためし読みはこちら。

estar.jp


あと、ありがたくもTwitterでいただいたご感想をこちらのモーメントにまとめてあります。

COMITIA121「標本」

 

こちら「標本」は、かなりの数刷ったのでたぶん生涯在庫はなくならないと思います。
11月の文フリにも持っていきますので、よろしければぜひ!

 

■コピ本「三点コーナーと赤い糸」

こちらは「夜明けのコーヒー企画2」に参加させていただいた作品の分量を増やしたものとなります。

 

夜明けのコーヒー企画様はこちら。力作ぞろいですのでよろしければ。

夜明けのコーヒー企画2|TOP

 

加筆した、というよりは、続きを書いた、という感じで、企画に出させていただいた作品は、「夜明けにカップル二人で飲むコーヒー」がテーマだったためそこに重点を置いて、最後にちょっとだけ自分らしさを出して終わらせたのですが、その甘め展開を『上』と位置づけ、その後のふたりの軋轢を書いた『下』を付けて、コピー本として出しました。

 

なので、『上』『下』でかなりテイストの違うものになっています。『上』だけでも『上』『下』合わせてでも、どちらでもそれなりに楽しめるものが書けたように思います。

 

■コピ本「ALPELF」

こちらは現在書いている「アルプエルフ」の第一幕のものになります。

「アルプエルフ」は全三幕の物語として書いておりまして、最終的に完成版として出すときにはもう少し全体との味付け調整をするため加筆を加える予定ですが、現時点でもいちおうの作品としての体裁はできていたので本にしました。

ネット上で公開していたとき反応がよくなかったので、印刷するにあたり、冒頭部分にちょっと目をひきそうなプロローグを追加しました……が、もう少し惹きのあるものが書けたら差し替えたいところ。

 

プロローグなどなど加筆前の作品ですが、WEBではこちらに載せております。(リプライツリーで。)

https://twitter.com/particle30/status/863479238338396160

 

https://twitter.com/particle30/status/863479238338396160

全体的にもう少しうまく書きたいのですが、現状だとこんなところでした。なんというか「物語」を書く手腕のようなものが圧倒的に不足しているのを最近感じていて、ただしいやりかたなのか分かりませんが、短編をいくつも書いていこうと思っています。いつかしっかり製本して世に出せますように。

 

 


また、二つのコピー本は、せっかく手刷りするのならなにか特別なことをしたい……! と思い、表紙や印刷紙、タイトルの書き方などをどれも少しずつ変えてあります。世界で一冊の本、というやつ……まあ、表紙が違うだけですが!

f:id:meeparticle:20170926191344p:plain

なかなか楽しかったです。

 

 

最後に部数について、イベントに参加される方の参考に多少なると思うので、書き記しておきます。(あまりそういうことを書くのはなあと思っていたのですが、自分に置き換えてみると、わたしは参加前、そういったブログをいろいろと探しかなり勉強させていただいたので……。)
今回は20部を越えるぐらいでした。やはり漫画のイベントなのかなあ、という感じがあります。

 

11月の文フリでは、アルプエルフ、あるいはキス・ディオールの物語を製本してきっちり持っていきたいのですが、なかなか難航しておりまして、また短編集になってしまうかもしれません。


ただ、基本的にはなにか新作をもって行きたいという想いではおりますので、どうぞ次回も宜しくお願いいたします。

月と六ペンス

 

偉大なる小説は、冒頭三文に必ず神が宿る。*1

 

その教理に基づくならば、「月と六ペンス」はページをめくったその瞬間に「偉大」であることが判明する稀有なる小説だった。*2

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 

 

序文はこうだ。

「初めて会ったときには、ストリックランドが特別な人間だとは思いもしなかった」

 

この本は、たった一人の天才画家「チャールズ・ストリックランド」をひたすら追う主人公「わたし」の物語である。その狂気と執着のすべてを追う旅。

ストリックランドのモデルはゴーギャンであることが知られているが、あくまでも「モデル」であり、ゴーギャンそのものの話ではない。*3

 

 

さて、これほどに面白い小説があるとは知らなかった!

 


こういう作品が書きたい。
最初から、最後まで、何かが発展したわけでもなく、主人公の何かが変わったわけでもないのに、でもどうしてか読み手の私が根本から組み換えられている。文字が私の精神を変質させる。それはちょっとした勢いづけや、気分の上下といったものではなくて、もっと化学的な変化で、不可逆だ。タンパク質が溶けるようなことだ。

 

ストリックランドは安定した暮らしと妻子を捨て、異国へ向かう。そこでひとつの平凡だが幸せに暮らしていた夫婦を破滅させて、さらに遠く、最後はタヒチへ向かう。タヒチで彼は生涯をかけた絵を描く。概要にしてしまえばたったそれだけの話だ。ゴールもなく、教訓もなく、ただ美しい文章だけがそこにある。ただただストリックランドが台風の目になって、周囲を荒らしに荒らすだけのものがたり。この小説においては、三人の女がストリックランドの人生を取り巻いている。最初の妻、破滅した夫婦のかたわれ、タヒチでの現地妻。

この小説において、「愛」はひとつのテーマだと思う。
けれど彼がほんとうに恋をしたのは、愛したのは、おそらく女ではなかった。人間ですらない。彼が愛したのは、主人公の「わたし」が呪文のように唱えた「説明してもらえませんか?」に終わる長台詞だったように思う。この台詞は小説の中盤で出てくるが、この場面を読み終えたとき、わたしはこの小説はかならず傑作であると確信した。引用しよう。

 

「そして、奇妙なことが起こる。終わったとき、あなたは信じがたいほど清らかな気分になっている。肉体から遊離した霊のような気分で、まるで物質に触れるように、美に触れることができると感じる。そよ風や、芽吹きはじめた木々や、虹色にきらめく小川と交感できるような気がしてくる。まるで、神にでもなったかのように。そういう気分を説明してもらえませんか?」

 

本作においてはこの場面だけが、他とは違う異彩を放っている。

他の場面では、「わたし」によって、様々な事象は解説されつくしている。分かりづらいストリックランドの言葉も、「わたし」の手によって全て綺麗に漂白のうえ整頓され、ならんでいる。「わたし」のやることの動機もすべて説明されつくしている。しかし、ここで「わたし」はどうしてか、突然ストリックランドに上述の台詞を述べるのだ。ろうろうと、歌うようなリズムに思える。どうして「わたし」がこんなことを言ったのか、それは明かされない。ただただ無法者のストリックランドを追いかけているだけだったのに、ここで唐突に、「わたし」はストリックランドに謎かけをする。このシーンだけが、恐ろしく理解不能だ。


しかし、ストリックランドはおそらく、この言葉にずっと支配されていたのではないかという気がしている。そして天啓というのはこういった類のものだ。与えるほうにも、与えられるほうにも、衝撃を下しながら、その実それがどこからきたのか、本質的には誰もわからない。

 

そしてストリックランドはラストシーン、その願いに答えた。
呪いといってもいい。彼を追いかける、ひたすらに取り付いて離さない恐ろしいこの台詞から、ついに開放されることができたのだ。彼は「説明」した。壁一面の絵を描くことによって。

 

たとえば、「夢」は呪いだという人がいる。ストリックランドにかけられた魔法があるとしたら、呪文は上記の台詞だ。彼はこの言葉を聞いて「拷問にかけられて死んだ人はこんな顔をしているのだろうという表情」になった。つまり、呪われたのだ。

 

 

自分の話になるが、わたしは、かつて「たすけてくれ」と縋りつく子どもを宥めるために小説を書いていた。今は、「うるさい」となにかを撥ね退けようとする声のもとへ向かっている。
そして、ストリックランドにとってのこういった呼び声は、主人公の発した上述の長たらしい台詞だったのだ。いわく、「説明してもらえませんか?」

 

 

きっと彼の頭のなかにその言葉が何度も渦巻き、離れず、ふとしたときに聞こえ、どうしようもなく彼を狂気へ、つまりは月へと誘ったに違いない。月は狂気で、六ペンスは生活だ。月は夢の彼方のことで、六ペンスは身近な今日の飯の種だ。

 

わたしの持っている本ではないが、他の文庫本の解説には、「ストリックランドのことを追い求める主人公、という筋書きは、同性愛的な側面もある」と書かれているそうだ。しかし、わたしはこの物語を恋の話だとは思わない。たしかにエッセンスとして「男」と「女」が描かれており、また時代性もあって「女」がきわめて特殊な生きものに描かれているようには思うが、しかし、この本の本質は恋ではないと思う。*4

 

この物語は、どうあっても芸術、美に心惹かれ、そのままに生きた男を書いた物語だ。厳密には、芸術家は三人でてくる。タヒチで果てた狂気のストリックランド、才能がなくても金を稼ぎ芸術に魅入られ続けたストルーヴェ、そして、そんな彼らを「観察」して書き残した書き手の「わたし」。

 

前述のとおり女も三人出てくる。最初の妻、ブランチ、そしてタヒチの妻であるアタ。それぞれにストリックランドを愛した。あるいは愛すると信じていた。

 

しかしストリックランドが恋したものがあったとすれば、やはり「わたし」の言葉だけだろう。

 

 

そして最後に書きたいのは、ストルーヴェは果たして凡人なのだろうか、ということだ。これほどに美に焦がれ、全てを投げ捨ててなにかに賭けることが出来る男が、果たして凡人たりえるだろうか。天才というのは大きな欠落のことであると感じる。ストリックランドに良心や共感が欠落しているのだとすれば、ストルーヴェには自尊心と羞恥が欠落している。

 

また、さらに言うならば、ストルーヴェはほんとうに善人なのだろうか。私がもし、ブランチだったとして、彼のかの言葉――どうしようもない時に、助けてもらった経験はないのかというかれの優しくも愚かで残酷な詰問を、許すことが出来るのかどうか、という話だ。そう言われたブランチは、きっとストリックランドに恋をするにあたり、思ったことだろう。「この人はこんなことは言わない」と。ストリックランドは少なくとも、恩に着せることはしない。そもそも女になにかを与えることがないために。

 

 

 

欠落。欠損。狂気へさそう呼び声。その全てが書かれている本だ。

 

私も文章さえ書けるなら、この腕のなにをとられてもかまわないのに、残念ながら今のところ目立った欠落は見つからない。

 

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 

*1:わたしはこの信仰に呪われて一文字も書けない苦しみも味わったことがある。

*2:この本は訳者も素晴らしい。金原瑞人さんという方の訳だそうで。他の訳者の本はどうだろう、と少し本屋で覗いてみたが、この本が一番だ。新訳ということもあり読みやすくなっているのでしょう。この青い表紙の本を皆さんどうぞ買ってほしい。ただ英語を日本語に読み替えただけの「訳」ではなくて、リズムや思想がちゃんと考慮されていて、とても読みやすいし、真意が明らかである。訳者の名前で検索したのなんてハリーポッター以来じゃないかな。バーティミアスを訳した人なのですね。

*3:もともとゴッホが好きだった。ゴッホゴーギャン展にもよろこんで足を運んだ。ただ、ゴーギャンの絵にはそんなに好ましいと思えるところがなかったので、基本的には「ゴッホ」を知るためにはゴーギャンも欠かせないよな、というような考え方でかれの絵を眺めた。しかし、「月と六ペンス」を読んで、ゴーギャンの絵をもう一度見てみたい自分がいる。たしかに、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の絵は、なにかで一度巨大なコピーを見たことがあるが、すばらしかった。

*4:「夢にも思わない」でも同じようなことを書きましたね。『この本のテーマは恋ではない』

祖母について

祖母のことを書いておこうと思う。わたしが祖母について知ることのすべてを。

あまりまとまりある記事を書くつもりはない。わたしはとにかく、現時点のわたしの頭のなかにある祖母の情報を、すべてここに書き出してしまいたいのだ。ひょっとすると年を追うごとに少しずつ祖母の情報を忘れているのかもしれない、と思うと、いてもたってもいられなくなった。すべて書き残しておきたい、彼女のすべてを。

わたしの言う「祖母」は父方の祖母のことで、母方の祖父母、そして父方の祖父は、わたしの記憶にはあまり残っていない。みんな、わたしが四歳になる前に亡くなってしまっていて、父方の祖母だけが、わたしが十六歳になる年まで生きていてくれた。

とはいってわたしがもう十代のうら若き乙女でない以上、祖母は随分前に亡くなったことになる。もう何年か生きておいて欲しかった、と思うことがたくさんある。その願いはもちろんかなうことはない。でも、わたしは祖母のことが好きだった。とても好きだった。それは祖母がわたしのことをとても愛してくれたからで、その返報性の原理で、わたしは祖母のことが好きだった。

どっぷりとした愛情、というものを信じることができるのは、祖母と父のおかげだ。

祖母はたいていの「おばあちゃん」と同じく、孫であるわたしにとても甘かった。とくに、わたしが祖母にとって初めての孫で、そして女の子だったから。

祖母はわたしに裁縫を教えてくれた。なにかを作るのがすきな人だった、と思う。いまもし生きてくれていたら、一緒にやりたいことがたくさんある。祖母が作ってくれた雛人形を、三月になったら毎年出している。祖父が作ってくれたお皿を漬物入れにしている。祖母はわたしが大事にしている人形の洋服を作ってくれた。わたしに大きな日本人形を贈ってくれた。わたしはその、結構本格的であるがゆえにちょっと怖い顔の人形が、どうしてかとても好きだった。祖母はわたしに惜しみなくなにかを与えたがっているように見えた。正直なところ、わたしはプレゼントの与えがいのある子供ではなかったように思う。なにかをもらったとき、喜ぶよりも先に申し訳なくて、ごめんなさいと思うような子供だった。小さいころから、自分が恵まれすぎているのではないかという疑念があった、という話は別の記事でまた書きたいけれど、この日本に生まれたたいていの子供はきっと、こう思うときがあると思う。「どうして世界には恵まれない子供がいるのに、わたしたちだけはそれなりに幸せに暮らしているのだろう」という不思議な気持ちのこと。わたしには、欲しくてたまらないのに手に入らないものなんてほとんどなかった。いや、欲しいものがあっても、「大人になったら手に入る」とわかっていた。本はある程度は買ってもらえたし、誕生日に欲しいものを聞かれても、あんまり出てこないような子供だった。あまりに何も欲しいものがなくて、実際、小学5年生の冬はなにもプレゼントをもらわなかった覚えすらある。弟に、なんてもったいないことを、と言われたのを覚えている。弟はそれなりに欲しいものが多い子供だった。

しかし、欲しいものが多い子供のほうが、きっと手なずけやすいし可愛かっただろうな、と今ならわかる。お菓子を見せれば喜ぶ子供のほうが可愛い。欲しいものがわかりやすくて、サプライズで渡したら大きな声で喜ぶ子供のほうが可愛い。まあしかし、わたしはそうではなかった。欲しいものが少なかったために、たまに欲しいものがあってそれを両親に言うと、比較的すぐに買ってもらえたように思う。実際、大人になってから、母親に「あなたは誕生日もクリスマスも子供の日も、なにもいらないっていうから、ちょっと怖くて、たまに何かが欲しいって言われたらすぐ買ってあげたくなったわ」と言われたことがあり、けっこう申し訳なくなった。母親をむやみに心配させることほど悪いことはない。

しかし祖母は、そんなわたしの無関心さとは関係なく、とにかく服や雑貨やアクセサリーなど、無節操にわたしに買い与えた。あまりに物を欲しがらないと気づくと、札束をそのままに与えてきたことすらあった(札束なんて見たのはあれが最初で最後だ)。とりあえずわたしは「ありがとう」と祖母にいつも電話をしたが、個人的にはあまりうれしくはなかった。服に対する意識が低く、何を着たって変わらないと思っていた。可愛い服ね、と母親に言われても、何が可愛くて何が可愛くないのか、まったく判別がつかなかった。わたしが「お洒落」というものを唐突に理解したのは十六か十七歳のときのことだ。その瞬間についてはっきり覚えている。京都旅行で、わたしは初めて「ほんとうに欲しい」と思うバッグに出会い、そしてそのバッグは1万円とちょっとの値段だった。今なら安いなと感じるけれど、そのときのわたしにとって、1万円を超えるバッグなんて手の届かない存在だった。周りを見渡した。なぜか初めて気づいたのだ、この世界にさまざまな可愛いものがあることに。それから、わたしはファッション雑誌を買うようになった。母親と一緒にいろんな店をめぐるようになった。わたしの変化に、父親だけは少し驚いたようだが、母親は「こんなものよ。従姉妹のあの子だって、今は洋服やらバッグやらものすごいでしょ。でも、十五歳ぐらいまではぜんぜん興味なさげで、心配してたぐらいだったんだから」と言った。そのころ、祖母はすでに亡くなっていた。わたしはそのことについて、突然とても申し訳なくなった。わたしが好きな服について話し、その服をねだったりしたら、きっと祖母は嬉しかっただろう。服屋でわたしが好きそうなものを見つけて贈ってくれることもあったかもしれないし、そういった買い物は祖母自身とても楽しかったに違いないのだ。とにかくもらったので「ありがとう」と義理堅く電話してくる孫よりも、これが欲しかった! と満足して弾む声で「ありがとう!」と電話してくる孫のほうが可愛かったに違いない。わたしがもう少し早ければ。あるいは、祖母がもう少し遅ければ。しばらく、祖母が好きだったものを好きになるたびに、取り返しのつかない申し訳なさを感じる日々が続いた。いまもたまに、どうしようもなくすまなく思う日がある。

祖母はわたしの名前について最初に反対した人のひとりだった。わたしの母親が、この子にこの名前をつけると言ったとき、祖母はかたく反対した。あまりかわいらしい名前ではなかったからだ。せっかく女の子なのだから、もっと可愛くて、音がよくて、素敵な名前があるのに、そんな名前にするなんておかしい。ぜったいにわたしはそんな名前では呼びませんからね、と大喧嘩したらしい。父と母は簡単にそれを流し、結局わたしはわたしの名前を授かった(わたしなら親にそんなにも反対された名前をぜったいに子供にはつけない……)。わたしはいま、自分の名前のことをこれ以上ないぐらいに愛しているけれど、たしかに可愛い名前かといわれたらそうでもないなと思う。でも、わたしの名前だ。二十余年付き合ってきた。(ちなみに祖母は、結局ふつうにわたしの名前を呼んでいた)

名づけのエピソードにもあるとおり、祖母はすぐに怒る人だった。しかしその怒りがわたしを不快にすることは殆どなかった。怒りの矛先が自分ではなかったから、という理由もあるのかもしれないが、やっぱり、祖母の怒りの表現が、とても美しかったからというのもある。あの美しさは忘れられない。やわらかな濡れ土のなかから一本の若葉が伸びて、唐突に大輪の花が咲くような立派さで、祖母は怒った。「怒り」についてわたしがそれほどマイナスのものだと振り分けできないのは、祖母の美しい怒りを知っているからだ。彼女は不満に思うこと、おかしいと思うことがあると、その花を咲かせ、立派にただ立ち尽くしてみせた。たいていの人はその前にひれ伏すしかなかった。怒りは表現であり、軟らかだった樹液が硬く琥珀に凝固して輝くようなことで、それは一種非可逆の化学反応ではあっても、運用さえ間違えなければけっして悪いものではない。

両親の結婚の折にも、祖母は怒った。ふたりがまだ若く、特に父は学生だったから。父は卒後の進路も不安定だった。母親は勝気に、わたしが稼ぐので問題ありませんが、とそれを突っぱねたので、祖母と母は最初のうちは仲がそれほどよくなかったらしい。らしい、とわたしが言えるのは、わたしが物心つくころにはその不和はきれいさっぱり解消されていたからだった。祖母と母はそれなりにうまくやっていた。ひどく親しいわけではなかったが、お互いそこそこにおせっかいで、それなりに世話を焼くのがすきな人だった。決断が早く、スピードが速いのを好む人たちだった。

おまけに祖母は美しい人だった。わたしの記憶に残る彼女は、どうしたって老人だったけれど、それでもセンスのよい人で、美しい人なのだろうとは分かった。彼女の洋服の柄がわたしは好きだった。ある日、祖母の家を全面リフォームして二世帯住宅にして祖母が伯父と暮らすことになったので、ものを片付けるためにわたしたちは祖母の家を訪れた。父が二十年をかけてつくりあげた巨大な書斎をわたしは最後に目に焼きつけ、不思議な魔法の城のような二階が取り壊されるのを惜しんだ。いま思うと、祖母の家はすこし不思議な間取りをしていた。急勾配の階段、書物で溢れた二階、三つもある応接間、家の奥に潜むほんとうに小さな寝室。一匹の猫。ふさがれた扉が二つも。

庭に面する大きな窓のある廊下は、ちょっとした部屋ほど広くて、その空間にいくつかの巨大な絵があった。その絵の整理を祖母と一緒にわたしはした。昼の光がよく入ってきていた。南向きの窓だった。絵の裏に、ひとつの巨大な写真が隠れていた。それは写真、と呼ぶにはあまりにも大きくて、少なくともA1よりも数回り大きい、ポスターとも呼ぶべきような写真で、一人の美しい女性が、ウェーブした髪をたなびかせて海辺に座っている写真だった。これはだれ? とわたしが聞くと、お上手なことを言うのね、と祖母は笑った。「昔の彼氏に撮ってもらったんだわ。モデルだったの」。嘘だろう、ともう一度写真を見た。あまりにも大きいその写真を、何十年も前の技術でどう作ったのかわからないが、少なくとも個人が気軽に印刷できるようなものではなさそうだった。わたしはそのとき、若いころの美しい写真を、昔の恋人が撮ってくれた写真を、ずっと持ち続けて、孫に見せるような大人というものにたいする憧れをしかけられたように思う。祖母は美しい人だった。

祖母はわたしが十六のときに亡くなった。

亡くなる前、祖母は父親に「あなたに何もしてあげられなかった」と言っていた。そんなことはない、と父親は返した。祖母は、伯父ばかり構ってしまった、と告白していた。あなたはそれなりにほおっておいても大丈夫だったから、と。わたしの父親は、生活面の話をするならば「手がかからない」なんてことはありえない。靴下は必ず裏返してしまうし、洗濯も料理もできないし、掃除や整理整頓はまったくまったく出来ない。しかしそれほど手をかけても、心配させても、人は死ぬ間際、「何もしてあげられなかった」なんて思うものなのか、と、わたしはその愛情の深さに、ほとんど恐怖した。そんな愛情があるのだ。それが親子の愛というものなのかと、わたしは恐ろしくなった。そんなに誰かを愛したことなんてなかったので。

祖母に何かを贈れば、きっと喜んでくれただろう。わたしは大人になったいま、ひどく旅行好きで、じつは平均すれば月に一度はどこかに出かけている。遠近さまざまな場所だが、そのお土産を毎月贈れば、きっとひどく喜んでくれただろう。事実、父と母は喜んでいる。それを祖母にはできなかった。

最後に会ったとき、祖母はわたしの手を取った。ひどく冷たい手だったけれど、かすかに体温があった。わたしはその手を握り、涙をこらえながら、祖母の言葉を聴いた。勉強をよくするように。恋人と仲良くするように。色んなことがあるだろうけど辛抱強くやるように。元気でいるように。そんな普遍的な教訓をわたしはうなずきながら聞いた。祖母は最後に、「もう来なくていい」と言った。「元気になってから、こちらから連絡するから、あなたは忙しいのだから、もう来なくても大丈夫」と言った。そして手が離れた。もう終わりなのか、と思った。

元気になる、ことなんてないと、わたしは聞いていた。祖母自身も知っていたはずだった。癌だった。よくなる見込みはまったくなかった。

一度病院を出たところで、父は母に電話をした。いま終わったよ。母は、あらかじめ取り寄せておいたお守りをちゃんと渡したかと父に聞いた。渡していなかった。わたしたちはもう一度病室に戻った。
忘れ物をしたことを伝え、お守りを渡した。祖母はありがとうと言った。起き上がったり、テレビを見たりすることはもうなくて、ただベッドのうえにいるだけだった。大事なときに忘れ物をしてどたばたしたりして、心配をかけたのが申し訳なかった。でも、いまでは忘れ物をしてよかったとせつに思う。祖母は最後に、父の手を握って、ごめんなさいと言った。元気でやりなさいと何度も言った。たぶん、祖母にとってはその言葉のほうが忘れ物で、だから、わたしたちはあの日、ヘマをして病室に二度も訪ねるはめになって、きっととても良かったのだ。

最後に話をしたのは、それから二ヶ月後、わたしの誕生日のことだ。その日は朝からどんちゃん騒ぎで、目覚めると机にケーキが置いてあったり(早朝友人の誰かが置いたのだろうが、どう考えても不法侵入だ)、部屋を出ると靴箱の上に馬鹿みたいな巨大なリボンのかかったプレゼントが置いてあった。朝の点呼の途中、監督生がわたしに小さな花束を差し出しながら「おめでとう!」と言った。まばらな拍手が響き、わたしは恥ずかしくなりながら部屋に戻った。誕生日がすきではない子どもだったのだ。扉を閉めた瞬間、待ち構えていたかのように、同室の生徒が「おめでとう」と言った。教室ではクラッカーの雨を受けた。

いつもどおり遠大なる数式をノートに写す授業のあと、PHSに入電があるのに気づいたわたしは、ふるえる手で折り返した。3コールの後、祖母が出た。誕生日おめでとう、と祖母は言った。それからいくつかのことをわたしに伝えた。プレゼントを選ぶ元気はないので、お金を送るということ。元気にやりなさいということ。勉強をがんばりなさいということ。
わたしは、まともにものを言えなかった。もっとわたしは何かを言うべきだったのに、なにも言えなかった。なにを言えばいいのかも分かっていなかった。わたしは努めてやさしく返事をした。祖母との電話はすぐに終わった。わたしはそのあとしばらく、なにも考えられなかった。あんなに弱弱しい声を出すのに、もういつまで命があるかもわからないなか、わたしの誕生日を覚えていたのだ。

わたしは愛を信じている。

それはすべて祖母と、そして父のおかげだ。二人以外の何者のおかげでもない。
もちろん、もう一人の親である母がわたしを愛していないとは思わないし、母からは母からでほかにさまざまな大切なことを教わったけれど、しかし無償の深い愛情の存在をわたしが信じていられるのは、祖母と父がわたしをそういう風に愛してくれたからだ。かれらはとても愛情深い人たちだった。

祖母の葬儀の喪主はとうぜん、父だった。父の挨拶を覚えている。
父はまず、「わたしは死ぬのが怖い」と言った。わたしもそうだった。あのころ、わたしは死ぬのが恐ろしくて、しかしそれでも、三十になるまえに自分は死ぬのだと、なぜだかそういう気がしていた。(誰だってそういうことがあると思う)。父は続けた。「しかし、昔はもっと怖かった。どうやって人は死の恐怖を乗り越えているのだろうと、不思議で仕方なかった。けれど今はそれほど怖くはない。怖いとは思うが、昔ほどではない。それはおそらく家族や仲間がいるからで、そういう関係がひとつ増えるたびに、死の恐怖が少しずつ薄れていくのを感じている。母もきっと、みなさんのおかげで、死はそれほど怖くなかったのではないかと思います。賑やかなのがとにかく好きな人でしたので、どうぞ楽しく団欒のうえ、母を見送ってあげてください」。

わたしはその挨拶でようやく泣いた。もちろん、祖母の訃報を聞いたとき、実際に祖母の遺体の前に立ったとき、どうしようもなく涙がじんわりと瞳の奥から出てきたけれど、でも、それだけだった。思い切り泣くということはなかった。だけど、その弔辞を聞きながら、せきとめていた涙があふれたように、ただただ涙が流れた。わたしは死というものがもつ喪失の力を、さいごに祖母に教えてもらった。そのあとわたしは何度も、長期間にわたり、発作のように泣く日があった。

参列のなかで、祖母の友人たちは「なにも知らなくて、お見舞いにもいけなくてごめんなさい」と言った。祖母は友人たちに自分の病気のことを隠していた。どうしてなのかは分からない。病気の姿を見せたくなかったのか、気を使わせたくなかったのか。

触ってあげてください、と勧められて、わたしは死に化粧の終わった祖母の頬を撫でた。ひどく冷たかった。四ヶ月ぶりに触れた肌は、あのころも冷たかったのに、今はもう、ほんの少しの温かみすらなかった。命とはなんだろうと思った。今目の前にいる祖母は誰なのかとも思った。そんな風に感じたのは、祖母の顔がどうにもわたしの知る祖母の顔と違っていたからだ。どうしてかひどく若々しい顔つきだった。白く、しわが少なく、美しい顔つきをしていた。

こんな詩も書いた。

 

それは穏やかな午後のことだった。
白い鳩は紫色の空を滑空して訃報を私に伝えてきた。
何処かで知らない鳥が鳴くのが聞こえた。
耳をふさぎたくなるような高音の鳴き声は、嬉しいのか哀しいのかどちらとも取れなかった。

次の日に蒸したような暑さの中で葬儀は行われた。
太陽は高くて棺からは遠かった。
葬儀屋は具合を悪くして早退してしまった。
死者は何故か若々しい顔つきをしていた。

大きくベルがかき鳴らされた。
どこか荘厳だという気がしていた。
馬鹿馬鹿しいほどあっけなかった。
手順と仕来りで凝り固められた式を見て気づいた。

弔いは生きている人の為のもの。
鎮魂歌は歌わない、貴方は何よりそれが嫌いだったから。
死者の相手はきっと天使がするだろう。
私達はせめて地上の悪魔にならないように祈るだけ。

――そうして大きな棺は土の中へ消えてしまった。


”貴方の見る夢が幸せでありますように”
”貴方の上の十字架が重くありませんように”

沢山の、貴方の為に祈りを捧げる人達の中で、
ようやく自分を思い出した。

”さようなら”
”ありがとう”


空には鳩がいて、紫色の空を滑空していた。
まだ埋められたばかりの穴から土の香りがしていて、
足元を今バッタが飛んだ。

それは穏やかな午後のことだった。

 

祖母が死んでから、わたしはこう思うようになった。長生きしよう。わたしのためではなく、わたしの子供の子供のために。わたしの遺伝子を受け継ぎ、きっと感情が細やかで、感受性豊かで表現や創作を愛する、いや、そうならないかもしれないけれど、でもわたしと同じような不安定さを持つかもしれないその子が、その生涯のなかで、愛をどっぷりと信じられるようになるために。わたしのように。


以上、わたしが愛を信じている理由について、でした。

人喰いの大鷲トリコ

 

――思い出の中のその怪物はいつも優しい目をしていた――

 

www.jp.playstation.com

 

 

 


恐ろしく感動した。

 

これほど質感を持って、体温のような生ぬるい暖かさを感じる、あとあとまで尾を引く物語は初めてかもしれない。

もちろん今までも、偉大な物語にはたくさん出会ってきたつもりだが、これほど肉感のあるものはなかった。

 

小説は人の思想を変えてしまうことがある。
漫画はときに人を勇敢にする作用をもつ。
では、ゲームは?

 


今でもトリコを見ると、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような気持ちになる。このゲームはわたしに弱点を作った。

 

 

つまり、「ゲーム」の、それもコンシューマーゲームの、素晴らしさというやつを教えてもらった。実は、もともとあんまり大きい画面での、ストーリー重視ではないゲームは好きじゃないんです。目が回るし、頭痛はするし、*1ゲームのなかでいくらアクションが上手くなったところで、それは指先だけの話で、あんまり気持ちよくもなくて、好きじゃない。でも、トリコはとてもよかった。

 

 

わたしはトリコに抱きついたことは、もちろんないはずなのに、両手一杯にあの羽毛を搔き抱いたときの、やわらかさと獣の臭いが、なぜか今も鮮明に思い出せる。

 

どんなゲームなのか

基本的にはさまざまなしかけを使いながら前に進んでいくことだけを目的としたゲームです。*2
ストーリーゲーではまったくありませんが、一応台詞や設定のようなものはあります。

 

ほとんどウィンドウが出ないゲームで、体力ゲージやスキルゲージみたいなものもありません。
美しい背景とトリコの体がはえました。

 


ただ正直なところ、操作性や、謎の難易度については、あまりうまいとは思えませんでした。*3
世界が圧倒的に綺麗なので、そのなかを動き回るのはとても楽しかったのですが、謎自体は……なんというか2000円で中古で買ったゲームのようというか……あまりに難しいときや、簡単すぎるときがあって、気づいたときには、爽快感というよりもがっかり感が多く……こう…伝わりますかね……???

 

わたしはあまり3Dのゲームはやらないので、そもそもこういうものなのかどうかよくわかりませんが、結構頭が痛くなるゲームでした。目が疲れる。二時間やったら、そのあと三十分は休憩しないといけないような。*4

 

そのあたりのことは普段からゲームプレイされる皆様が丁寧にレビューされているのでこちらをご参照ください。やっぱり操作性はみんな酷いと言っているな……とはいえ、「プレイできない」というほどではなく、細かいところの補助が足りない、という評価です。気が利いていない、という感じかな。

 

 

 


そしてトリコ。

まったく言うことをきかないこともあります。気まぐれに空を見に出て行ってしまったり、さっきまで元気に動き回っていたと思えば疲れちゃったのか突然座り込んでしまったり。

 

大きくて、ふわふわしていて、優しい瞳の、わたしの言うことをきかない生きもの。

 

でも、わたしはトリコが大好きです。ひどく執着しているといっていい。

 

トリコが言うことをきかないということはつまり、話が前に進まないということ。
最初は「まあ、生きものだからな」と納得していましたが、しかし途中で、もう我慢ならなくなったときもあった。そういった苛立ちによる精神の交流がたしかにあったように感じた。わたしはトリコを叱ったり許したりしながら前に進んだ。いや、そんな描写は一切ゲームのなかにはありませんでしたが、わたしはたしかにトリコと喧嘩して、そして仲直りしたことがあるように思う。先にわたしが謝ったこともあればあちらから歩み寄ってくれたこともあるように思う。

 

子犬の世話をしているように感じることもあれば、とつぜんあの子が立ち止まって、おすわりの形に足をただしく揃えて、わたしのことを見下ろすとき、まるで母親のような慈愛を瞳のなかに見ることもあった。

 

間違えて落ちてゲームオーバーになったときには、残されたトリコのことを思ってひどく心が痛んだ。*5

 

どうあっても言うことを聞いてくれないときには、もしかして具合が悪いんだろうかと心配しはじめたこともある。
どうしてか、わたしがそれだけ心を砕けば、聞いてくれるような気がした。これはたぶん、うちの犬は喋ると主張する飼い主と同じようなものなのですが。

 

実家で飼っていた犬にもさした愛着を感じたことはないですが、トリコには深い愛着を感じる。トリコをプレイしてからというもの、犬を見ても鳥を見てもアザラシを見ても胸が苦しくなる。この世界に好きなものを増やしてくれるゲームだ。わたしは確実に、このゲームをする前のわたしよりも動物に優しくなったと思う。

 

エンディング

エンディングの少し前、わたしは、もうこのゲームは30分以内に終わるかもしれない、という予感を得た。*6
(実際にはそこから2時間ほどのプレイ時間が必要だったが。)

 

しかしそう思った瞬間、この生きものと、離れがたくて離れがたくて、日の射す美しい庭園のなかで、あの子の顔を撫で続けた。トリコも動こうとせずに、死んでしまったのかと思うほど、まったく動かなかった。ふたりとも、ここから一歩も進みたくなかった。ずっとこの美しい檻のなかにいたいと思った。永遠に。

 

減点法で評価するなら、凡作にも負けるかもしれない。もちろん、ビジュアルは完璧で言うことはないが、操作性の部分で失点が大きい。でも、わたしはこのゲームは「傑作」だと思う。芸術家が特に人間として到底尊敬しえない素養を持つのと似ている。失点がいくらあったところで、揺るがない恐ろしく美しい物語。

 

硝子の目を越えて、あの子が助けにきてくれたとき、わたしの胸にどれほどの感動が湧き上がったか、言葉ではとても伝えることができません。

 

また、これはゲームとしてはどうなんだという部分かもしれませんが、トリコが勝手に謎を解いて先に進んでくれることもありました。指示なんて出さなくても巨獣は飛翔して、空を駆けて、わたしをもっと先まで連れて行ってくれた。
逆に、わたしの指示がまったくとんちんかんだったせいで、ぜんぜん関係のないところに連れて行ってしまったこともあります。そんなときも、戸惑いながらも、トリコは一度はわたしの指示にしたがってくれました。一緒に間違えてくれたのです。

 

 

繰り返すが、Amazonのレビューは正しく、このゲームにはたしかに欠陥がある。それも中盤では、耐えられないと思うほどの重大な欠陥が。しかし、何にも代えがたい感動がある。なので、数人でプレイすることをおすすめする。

 

一人ではつらくても、二人なら、交代しながらなんとか乗り切れるかもしれない。トリコと少年のように。

 

 

 

 

*1:ちなみに頭が結構痛くなるので、二時間ごとに休憩を挟みながら3日かけてやりました。休憩中、ティータイムしながら、きままに原っぱを駆けるトリコを眺めるのはたいへんいいものでした。総プレイ時間の半分以上はトリコを撫でたり眺めたりしていたように思う。

*2:わたしはやったことがないのですが、ICO・ワンダと似ているそうです!!!!(レビューで得た知識)

*3:正直、分からなくなったら攻略みてもいいと思います。無理に謎を全て自力で解くことが、このゲームの真髄ではないように思う。

*4:ちなみに毎日12時間以上は確実にモニターを見る生活を十年以上続けているので、モニター耐性は結構あるほうだと思っています……。

*5:ゲームオーバーになったら罪悪感を感じるゲームってすごくないですか。

*6:当然エンディングではぼろ泣きしました。「STAND BY ME ドラえもん」とか「ポケットモンスター君に決めた!」と同じぐらい泣いたような気がする。

寄宿舎の秘密

minne.com

※とても遠回りな記事で、ごめんなさい。
 伊藤裕美さんの「寄宿舎の秘密」を拝読しての記事となります。

 

 

 

 

 

 

 


「ここは牢屋」

と、彼女が言うので、わたしは苦笑いを返した。

 

 

彼女の言いたいことが分かるような気もしたし、分からないような気もした。

 

少なくともわたしにとってその場所は「城」で「家」だった。
かの有名なハリーポッターが、ホグワーツに対して抱いた思いと同じ帰属意識だ。
しかしここを「牢」だと思う子どももいるだろうとは予想がついたし、まさに彼女は自身を囚人だと呼んではばからない一派の一人だった。

 

危ないからとテラスにはあまり出ないように言われていたが、わたしはその言いつけをあまり守っていなかった。そこからは地平線いっぱいに広がる海が見えた。

 

「鳩がいるんだ」とわたしはウッドチェアの下を覗いて言った。

「クリプトコッカス」と彼女が不思議な呪文を口にするので、

「なに?」と返す。

 

 

そして彼女が笑う。

 

「だめだよ、危ない菌がいるんだ」

 

 


 *

 

長くなったが、わたしはそういう思春期を過ごした。

ジョルジュ・ビゼーの音楽で目を覚まし、一日数回の点呼を受け、守られた環境のなか規則正しい睡眠と計算された食事をとり、放課後は原っぱに寝転んでホルンを吹く男の子とたまに会話をした。遠くで大砲の音がする。もちろん、そこからも海が見えた。

 

「寄宿舎」にかんする説明を読んだとき、わたしは酷く奇妙な懐古の気持ちにとらわれていた。もちろん、「寄宿舎」とわたしの「城」は違う。動物はとうぜん持込禁止だったし、不思議な菌を持つ鳩は茶色だった。わたしたちは健康そのものだったし、同室の女の子は少女でも乙女でもなかった。

 

「寄宿舎の秘密」は、白い岩に少しずつ彫られてゆくレリーフのように、丁寧に繊細な描写が折り重なった作品です。最初はただ美しいだけだった白い岩が、少しずつ削られて、花が咲いたり少女が現れたり、そして最後にはどこか残酷な目の逸らせない彫刻になる。

 


「少女」。

いつでも冒険好きで、不思議の国のアリスミヒャエル・エンデのモモのように、彼女たちはいつだって守られた家を飛び出してしまう。そして誰かの、あるいは世界の、おおいなる秘密を知る。

 

「乙女」。

いつもたおやかで、けっして穢れなく、ユニコーンはその手のひらに一角をやさしくあてる。その瞳で見つめられると、だれもが立ち止まって、彼女に優しくしようと誓う。けれども、彼女にはかならず秘密がある。

 

そして「王女」。

あるいは女神のような響きをもつこの言葉。完璧な誇りを持ち、品位があり、当然に王座につく。椅子はもちろんひとつしかない。

 


「寄宿舎の秘密」は、「少女」と「乙女」の物語です。
オルゴールのように繊細に、一定のリズムで、見た目上はかわいらしく進行しながら、最後には人形が割れてしまうような恐ろしさが潜んでいる作品。つまり、はっとするほど美しい、ということです。

 

「少女」と「乙女」。たぶん、「乙女」のような存在に憧れなかった女はいないのではないかと思う。女神になりたかった子どもはとても多い。たいていは「少女」にも「乙女」にもなれないまま、ただ大人になってしまうような気がする。

 

思春期のころ、人は誰しも、自分は特別な存在ではない(すくなくとも、伝説の勇者の末裔だったり、この世でたった一人世界を救うことのできる存在というのでもない)ことを知る。世界の中心は自分ではないことを知る。そして、それでも自分は自分という存在として、自尊心を持ち自立したひとりの人間として、生き続けていかなければならないということを知る。

 

しかし、真に「特別な存在」はどうしたらいいのだろう? ということを、この本を読んでいて考えた。誰からも一目置かれ、確実な美しさを持ち、そしてそれを自覚している。「乙女」の完璧さは、外見、うちがわ、その所作、すべてに及んでいて、ひそやかな秘密を持っているところまで含めてすべて、完全なる「乙女」だった。

 

女と秘密はときに密接にはりついていて、分かちがたい。その別離の悲しさが、一人の「少女」を、あるいは「乙女」を、大人の女性にできずにただ「王女」にしてしまうことがある。

 


私の「城」は私を王女にはしなかった。わたしが暮らしていた部屋には今はほかの女の子が住んでいるのだろうし、あのウッドチェアにももう鳩はいない。しばらく前に、鳥が入ってこられないように工事された。

 

 

 

さいごに。

この本は、わたしが大切なお手紙をやりとりしている偉大なる女性から贈っていただいたもので、そういう意味でも、わたしにとってとても大切な一冊です。本をプレゼントいただくって、ほんとうに素敵なこと。その方にとっての「名刺」を、わたしは受け取ったのです。

 

minne.com