@particle30

惑星イオはどこにある

小説が書けない話

 

 

なんども言葉を重ねていることだから、いい加減自分のほうでも飽きてきてしまったのだけれど、”小説が書けない“。

 


今までは、それを公の場で口にしてしまうことがなんとなく怖くて、ひそひそと独り言のようにみなされる場所でしかこの弱音を吐いてこなかった。pplogという独り言ブログ(スナップチャットのようにすぐに記事が消える)とか、手帳や日記のなかとか、友人に宛てたアナログの手紙とか、ほとんどグレーに包まれたやさしく曖昧な場所でしか。


書けない、といい始めてからおおよそ二年が経過している。スランプと単純に呼んで済ませられる期間ではないし、なにより終わりが見えない。数ヶ月前に書いた文章や、去年数本書いた短編を読めば、なんとなく自分自身の「文章を書く力」みたいなものを信じられそうになる瞬間もあるのに、100点ではないという理由だけで自分の能力全てを闇の穴にでも捨てて「文章を書くのはもうやめます」なんて誰も聞いていないだろうに宣言をしたくなる。


最近ではほぼ“書けない”ということだけを書いた手紙を友人に送りつけてしまったりして、そのような挙動を客観視するに、いい加減なにかしらのブレイクスルーが必要だと納得するに至った。もう書けないのではないか、という恐れやifの言葉では生ぬるい。おそらくこのままではわたしは永遠に書けない。しかも、書けないな、書けないな、と呟きながら二年も経っていて、にもかかわらず諦めようという気持ちのほうも豆粒のように小さいままさして大きくならない。つまり、諦めという終わりもどうやら用意されていないらしい、と気づいたことで、状況の打破に向けて、具合のいい昼下がりにでも一度思案しようと決意した。

 


やりなおしにあたって、さきほど一本の記事を読んだ。どういう経緯や背景かは知らないが、小説講座かなにかのログ記事だ。小説は自由でいい、と書かれていた。


自由、何も気にせず、自由でいいんです、と演説するようにマイクを持って写真に映るその人を、決して信じたわけではなかった。ただ、この言葉がわたしに刺さるということは、あるいは、わたしにとって「自由」がそれなりの価値を持つことなのだろうと自らのなかでの再発見が起こった。


とにかく長期的な視点においてわたし自身が満足することが大切だ。短期的な視点において納得したり満足したりしないことは、自分がいちばん知っている。仕事でも趣味でもそうだった。やっている最中は、その「作業」自体がたのしい、それだけでいい。納得や満足は、その作業を「仕事」として振り返ったとき、つまり全てが過去になってしまったあとでようやく訪れる。だから、いま、目の前の文章に納得できなくても問題ない。満足を感じられなくても仕方ない。

 

とにかく文章というものから離れてしまうことに第一の問題がある。第二、第三の問題もあるのかというと、もちろんあって、仕事のほうが忙しくてなかなか筆を取れないこと、腰痛や目の疲労などがたまってそもそも身体を動かすのがわりとしんどいこと、などがそれにあたる。まさかこんな物理的な問題に二十代ですでにぶちあたるとは思っていなかった。でも、別に病人というわけではないし、仕事人であるときの自分の勤務態度を見るに、長期の物書きや作業にはそれほど苦労しないほうだ。長時間労働になれている、というただそれだけのことだけれど。


仕事が忙しいのは、もう勤め人であるほうのわたしがなんとかするしかない。徐々に状況は改善されている。あとは人生のなかでなにをいちばん大切なものと位置付けるか、という話で、これまで「チーム」を大切にしてきた分を、「小説」に変更するだけでいい。


そういえば、会社においては結局、頼られたり誰かが困っていたりするとつい自分のほうで手を出してやってしまうことが多かった。どこまでもサポータータイプなんだろう、と思うので、擬似的にその状況を小説の執筆作業においても作り出せればよいのかもしれない。アイデアはまだない。


まずは、自分の人生の優先順位をひっくり返すこと。そういえば「天気の子」でも須賀さんが言っていた。歳をとると優先順位の入れ替えが難しいと。いまのうちにやっておこう。


では優先順位第1位が「小説を書くこと」である人間はどのように毎日を過ごすべきか?  を考えてみる。


まずは、小説を読むこと。一見「書く」と正反対の行動だが、書きたいと思うようになるためにも、また実際にそれなりの小説を書くためにも、小説をたくさん読んで、他人の文章を見学することは大切だ。


つぎに、書くこと。とはいえとにかく「書け書け」と思っても、明日からとつぜん書き始めるわけもない。これが最大の難関ではあるのだが、「読んでいれば書く気になるはず」という仮設が多少なりとも背中を押してくれることを祈る。そのうえで、いくつか目標とかを設定して、(ちゃんとやれる自信がぜんぜんないけれど)ブログとかで報告して、なんとか推進力を得たい。


結局私たちは、「書くぞ」と決意したら、あとはほんとうに書くしかない。それ以上に細分化した目標を立てようと何度か努力はしてみたけれど、どれも失策に終わっている。とはいえ昨日と何一つ状況を変えないままに明日がきっと転機になると信じるなんて莫迦げている。

 

ということで、時間制で自分に制限を持たせることにした。あと、家はやっぱりダメだ。どこかの喫茶店で二時間こもる、物書きしかしないことにする、その繰り返しでようやく世界が変えられるかもしれないーーと信じる。


9月16日は、とりあえず二時間ほど字を書いた。大した量ではなかったし、大した作品でもなかったけれど、でも書けた。なにもできないと思うときには15分の即興小説を4回ぐらいやればいい。平日の二時間はあくまでも一区切りの目標として、ノルマとは考えないようにしようと思う。できるかな。なんとかなりますように。

 

 

「小説が書けない」と言い始めたころ、このできない気持ちをなんとか活かそうと思ってキス・ディオールシリーズのストアを作った。かれは、周囲の誰がなんと言おうと「自分はなにもなしえない」と信じている少年で、かれの立ち直りを書くことができれば、自分もトンネルの外にでることがかなうのではないかと思っていた。

 

いい加減にこの話ももう終わりにして、もうすこし景気のいいテーマにうつりたい。