@particle30

惑星イオはどこにある

イベント出店について(11/22文学フリマ&12/26~テキレボEX2)

 

久しぶりにイベントに出ます。というわけで長めの告知ブログです。

 ・11月22日(日) 文学フリマ

 ・12月26日(土)~1月11日(月・祝) テキレボEX2 ※通販イベント

 

お品書き(新刊2冊+準新刊1冊+既刊1冊)、アンソロ参加(新刊1冊+既刊1冊)、文学フリマの参加方法、テキレボEX2の参加方法を、それぞれ書かせていただきます。

 

また、イベントにご来訪・ご参加いただかなくとも本自体は入手できます。十分すぎる数刷っておりますので、どうかご無理なさらず通販もご利用ください。直接お会いできる場合は、当日をとても楽しみにしています!

 

 

 

お品書き

f:id:meeparticle:20201115131839p:plain

 

「一白界談」と「Polaris」はサイトも作ってみました。

 

100story.jimdofree.com

polaris.kacchaokkana.com

 

その他、時間あればいつもみたいにコピー本を持っていきます。

 

文学フリマ

 

文学フリマは、今回は「純文学」にて申し込みさせていただきました。

 

CODIV-19が未だ息を潜めぬなかでの実施ですので、ねむる龍の腹の下でチェスをするような心持ちで、取れる範囲の対策を取って臨みたいと思っています。

また、会場のルールとしては以下となっております。概要を以下に置いておきますが、実際にご来場いただける場合には公式サイトのお知らせも、長くはなりますがお読みください。

 

 ・入場無料のイベントです

 ・マスク着用必須です

 ・厚生労働省が提供する接触確認アプリ(COCOA)のインストール必須です
  (スマホお持ちでない場合の代替策あり)

 ・いつもと違い、見本誌コーナーはないとのことです

 ・いつもと違い、開場は12時となります

 

弊サークルとしては加えて以下の対策も取ります。

 

 ・現金 or Pixiv Payでのお支払いを受け付けます。

 ・立ち読み用の本を、一冊ずつご用意します。
  定期的に拭いておくので、本当にご自由にお読みください。

 ・QRコードでも立ち読みできるようにしておきます。

 ・現金のおつりはトレーでお返しします。

 ・いただいたお金とお釣りのお金は混ぜないようにします。(お釣りは消毒済)

 ・一応パーテーションのようなものを設置します。

 

また、ブースでの会話は、特に気にならないようなら普通におしゃべりしていただけると嬉しいです。

 

特段に「今」という時代の流れを考えて書いた小説は一編もありませんが、世界がどのような状況でもかならず小説というものを必要している人はいるはずだという気持ちで書きました。

 

自サークル

 ・オ-17

 

純文学ブースです!よろしくお願い致します。

 

※新刊については文学フリマイベント当日で売り切れることはありえない部数を刷っております。通販ページもすでに開けておりますので、どうぞどなたもご無理なさらずお楽しみください。発送はイベント後になります。

※既刊(文フリでは新刊)については「十三月のうた」のみ、残り5冊なので売り切れる可能性があります。もし欲しい方がいらっしゃいましたら、イベント前に通販サイトでご購入いただくか、取り置きのご連絡いただければ置いておきますのでご連絡ください。

 

アンソロ参加サークル

 ※既刊は、分かり次第追記していきます。

 

【新刊】食人感謝祭 エ-01〜02

 

https://c.bunfree.net/p/tokyo31/18430

カニバリズムアンソロジー『食人感謝祭』」へ、「焼肉定食」の続編の掌編を寄稿しております。 (※2020年11月発刊)

 

【既刊】邂逅書架(青い本) キ-35

 https://c.bunfree.net/p/tokyo31/14165

 

「本と出会い」がテーマの本好きのためのアンソロジー(まさに我々のような人間のためのアンソロジーです……)に、「石つくりと花の町」という、古ファンタジーな児童文学ライクの作品を一作寄稿させていただきました。(※2019年5月発刊)

 

テキレボEX2

 ▼WEBカタログはこちらです!詳細分かり次第追記していきます。

https://plag.me/c/textrevo_ex2/2755

 

通販

 

通販ももう開けてます!

「一白界談」「Polaris」「十三月のうた」「標本」どれも購入可能です。

 

particle30.booth.pm

 

 

最近一気に本を出してしまったんですが、けっこうどれも値段が高いものでもあるので、試し読みとか読んでいただきつつ、もし読みたくなる夜があったらぽちっとお迎えしていただけたら嬉しいです。多分暫く在庫もあると思います。最近は書下ろし作品ばかり書いていたので、またWEB掲載できる作品にも手を付けたいなあ。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

 

音楽と才能

 

 自分の才能を自分で「見つけ」ることができるのか、という問題。ハリーポッターの寮の組み分けみたいに、HUTNER×HUNTERの水見式みたいに、あるいは拙作・魔術士シリーズの気脈のように、自分の才能や素質を幼いうちに、誰かに教えてもらえるのが一番だが、あいにく現実の世界にそんなものはない。せいぜいが内申点センター試験の結果が多少参考になる程度であって、それだって「その人の素質」を図るものとして眺める人は殆どいないだろう。もちろん学力や成績には生まれ持っての素地がある程度ならず影響するものの、原則的には特定の期間における努力の結果が反映されているとみるのが適切なように思える。生まれ持ってのものもあれば、育った環境もあれば、本人の努力もあれば、という、いわば総合格闘技というか。

 ではここから「生まれ持ってのもの」だけをうまく抽出するには一体どうしたらいいのだろう?

 

 だいたい三歳の頃から十二歳ぐらいまでピアノを習っていた。九年間。こう見ると短くない期間のように思えるけれど、今何か弾いてみろと言われてもおそらく殆ど何も弾けない。練習曲の一曲や二曲なら子どものように楽しく弾けるかもしれないが、その程度。九年間という時間には全く見合わない。どうも音感がないようだった。あと、ピアノを弾くとどんな楽しいことがあるのかよく分かっていなかった、というのもある。もう少し演奏の楽しさみたいなのをちゃんと理解できていたらなあ。子どもの頃の私に、ピアニストの情感的な演奏の映像とか見せたらすこしは理解してくれるかなあ。

 

 あと、音痴だった。

 そもそも一家全員音痴だ(家族のなかに、自分はそうではないという人がもしいたら申し訳ないけれど)。父親も母親も音痴で、弟も音痴だ。私もそうだ。そもそも中低音が上手く出ない。リズムが取れなくてだいたい少し遅い。音程がふらついている。ビブラートが出せたことはない。という感じで率直に下手なので、小さいころは機嫌よく歌っているだけでもよく家庭内クレームが来た。

 自分という人間にあまり向いていない領域・領分といったものがあるのだ、ということを、音楽は教えてくれた。同時に、それなりに努力を重ねれば、とりあえず自分なりに自分のなかで楽しめる程度にはうまくやれるようになるもんだ、ということも。歌はずっと下手だったけれど、ずーっと歌っていたら本当に少しずつ欠点が埋まってマシになってきた。今ではカラオケで気持ちよく歌うことができる。

 

 努力の仕方を教えてくれたのも歌だった。勉強のように「少しずつ知識量や解ける問題が確実に増えていく」というような成長の仕方ではなくて、絵や、歌は、愚直に練習して、楽しくやって、ダメだなあと思えるポイントを見つけて、それを克服して、一時期なんでもうまくできるようになった気がして、しかし暫くすると逆にとても下手になったかのような気分になって、そこをなんとか持ちこたえるとまた少し上手くなって、という風にして成長する。特に歌はこのサイクルが早かったので、「あ、下手に感じられるようになってきたな。また少し上手くなれる階段を上っているんだな」と実感できた。そういう風に自分のモチベーションを管理する方法みたいなものも教えてもらった気がする。

 音楽や歌に関しては、スタート地点があまりに低かったし、一回ごとに上れた分も小さな小さな段差だった。でも、こういう風に少しずつ上がっていけるんだ、という手ごたえを確かに教えてくれた。向いているとか向いていないとかじゃなくて、少しずつ、少しずつ、たしかに上がっていけるということ。

「下手の横好き」って良い言葉だよなあと思う。好きなものがあるのは良いことだ。下手でも好きなものがある、っていうのは特に良いことだ。わたしは実は、好きじゃないのに上手なものというのも一つ持っているんですが、いまだに愛着がわかない。その力は、必要そうになったときに道具みたいにして使っている。

 

 ところで今ふと思ったのですが、小説に関してはなかなかそのような階段や螺旋や波が見当たらない。書いた、書いてない、今日は書ける、書けない、というモチベーションの波はあるけど、実際の力量の波はあんまり自分では観測できない。多少はうまくなっているんだろうけれど、少なくとも三年前ぐらいまでの文章と今日の文章とは特に違いがないように思う。十年ぐらい前のものを読んでようやく、ちょっと下手かなと思う程度。日々上がっている感じもしない。めっぽう向いてないのかもしれないですね。それでも書くけど。

「水銀の沼~ひまわりの夢をみる星屑~」「水銀の沼~星屑に夢を抱くひまわり~」を読んで

画像 

紺碧もも様の「水銀の沼~ひまわりの夢をみる星屑~」「水銀の沼~星屑に夢を抱くひまわり~」を拝読いたしました。素敵な表紙!

 

booth.pm

 

以下は既読者向けの記事になりますが、Pixivで5話まで試し読みができるようです。ぜひ!

www.pixiv.net

 

 

 

 

ーー以下、既読の方向けの記事になります。

 

「水銀の沼~ひまわりの夢をみる星屑~」と、「水銀の沼~星屑に夢を抱くひまわり~」。

 

同じタイトルの本だけれど、「水銀の沼~ひまわりの夢をみる星屑~」のほうが『先に読む本』。どうして1・2巻になっていないのか、もしくは上下巻構成になっていないんだろう? と不思議に思ったりしながら、美しい表紙の手触りも楽しみつつ読ませていただきました。

 

 

まずは「水銀の沼~ひまわりの夢をみる星屑~」から。

オフィーリアを思わせる不穏な表紙。ミステリアスな始まり。タイトルが「沼」だったので、もしかして夜のお店にはまってしまうのかしら、とちょっと不安に思ったりなどしつつ……

来店1回目の「会話は苦手だけど一方的に話すのはかなり好き」という、素直だけれど身勝手で、でも性格がよくよく表れているような序盤のセリフで、銀花のことをすっかり気に入ってしまいました。そのあと少しずつ明かされていく周辺情報と、シスイちゃんの煌めきと。

 

銀花は、『だからどうか馬鹿正直に全てを信じたりしないで』と祈りながら、『この人はなんでも目ざとく褒めるポイントをみつけてくる』なんて思いながら、『ひな鳥を連れて歩いてる』。(※どれも好きな一文です)

 

でも運命は下り坂の一本道で、すっぽりとリンゴが穴に収まるみたいに、重力がなにかを定めているかのように、彼女を海へ帰してしまう。

 

 

――喪失感のあるままに、「水銀の沼~星屑に夢を抱くひまわり~」へ。

ぐるんと転換。次はひまわり側から。

 

星屑巻では、銀花視点だったのでシスイちゃんの煌めきがまぶしかったものですが、シスイ視点になってみると銀花もなかなか女たらしだなあと思うのでした……

「考えたって仕方がないことは考えない。そういう人間にわたしはなるべきだ」とか「君が三十で死んだらワタシが二十七で死ぬだけのことだ」とか、ちょこちょこ心臓を押さえつけながら読みました……

 

 

そして、少しずつ違いの出てくる会話、ほんの少しの流れの傾き、ラストには大きく舵切りが行われて、エンディングが分岐する。

 

ただ、これを『分岐』と受け取れるのはわたしたちが神の視点を持っているからであって、星屑巻もひまわり巻も、どちらもその世界の銀花とシスイにとってはたった一つの現実で、変えられない不可逆の流れであるわけです。

 

真っ暗な星屑巻と、その闇を少しずつ晴らして最後は満開の花畑にしてしまうひまわり巻と。二巻構成(上下巻でも、1・2巻でもない)だからこそできる取り組みだなあと思いました。

個人的には星屑巻はそれ単体でもかなり好きですが、やはりひまわり巻とセットで見て……という良さもあるなあと思っています。ようやくこのエンディングまでこれた! というような感じ。全クリ……には程遠いような気がするものの……(もっとスチルや差分やルートがいっぱいありそう)

 

 

 

星の王子さま」作者のサン=テグジュペリは、「万人の領域に属する最も単純な要素」として花と星とをあげていました。人がきれいなものを思いだすときには、花と、星とが、最も単純な要素として想起される。あと恋と。

 

感想を書くのにすこし手間取ってしまいましたが、じつは本を受け取ってから2日ぐらいで読んでしまいました。ページをめくる手が止まらない、若葉がぐんと水を飲みこむみたいな素直なスピードで読むことのできる、素敵な百合本でした。(そういえば、百合小説本読んだの初めてかも?)

 

 

 

ふたりがこれからも手を取り合っていけますように。

 

また、以前は「Hangman's Knot」の感想も書かせていただいたりしました。こちらの作品もWebで読めますので、みなさまぜひどうぞ。

 

meeparticle.hatenablog.com

小説の「あとがき」を読むのがすきだ。また、技術書の「はじめに」を読むのがすきだ。本質的にはおなじことが書いてあるからかもしれない。どちらも、本を読む読者に向けて、あるいは読み終えた読者に向けて、祈りや願いをささげている。じぶんの本を売るとき、すこしでも楽しんで頂けますように、とおもいながら梱包することが多い。わざわざカードにそう書いて送ることもある。楽しんでほしいという願いは、わたしにとって、紙の書籍に対してのみ生まれる感情のような気がする。ただネット上にアップしてあるだけの作品は、誰かが読んでくれたらいいな、と思ってあげている。通読されたらいい、誰かが最後まで読んでくれたらうれしい、もし途中でやめてしまったとしても、一文字でも多く読み進めてもらえたらいいなと思う。途中までしか読めなかったが面白かった、という感想だってあるのだと知っている。(まあ、作者に伝えるのはなかなか勇気がいる「感想」だと思うので、こういうメッセージが届くことは実際にはありませんが)

 

物語を書いている最中は、ただ書いている行為が楽しい。そう思えないときには基本的に書いていない。文章を書くのはなかなか楽しい。いい文章を書こうとしたり、うまい文章を書こうとしたりするからこそ、面倒になったり嫌気がさしたりするが、そもそも思っていることを書く、文章にする、この行為はただただ楽しいだけのものだ。終わらせなければならないという自分自身の叱責の声がおよばなければなおのことそうだ。だから、これらの文章は「書く」ことは少なくとも面白いことだと証明されている。しかし「読む」のに適しているのかどうかというのは自分でもよく分からない。直後に読み返し、なんと読むのに適さない文体だろうと思うこともある。そうやって、時間をおいて何度か読んで、文章を「読む」に値するものに変化させることを「推敲」と呼んできた。これは、単に文章のクオリティをあげている、という改善の試みではなくて、なにかしらの翻訳や転換に近いのではないか、という気が最近している。つまり、「書く」文章としてはそもそもいいものを書いているのだ、そうでないと書けないから。それを「読む」文章にわたしたちは変換しなければならない。「書く」のに気持ちいい文章と「読む」のに気持ちいい文章とがあり、これらの間にはゆるやかな相関があるが、しかし一意ではないから、ここに少しの加工が必要になる。そういうふうに考えると、推敲は反省の機会ではなくて、むしろ新しいものを生み出す行為だ、と思う。だから修正するような気持ちで上書きしてはならないのかもしれない。もう一度同じ文章を「書く」機会に恵まれたときを想定して、元の文章は元の文章で、「書く」ために残しておかなければならないのかもしれない。

 

三年前に「標本」という本を作った。短編集だ。そこそこ評判がいい(気がする)。文章のリズムを褒めていただくことが多い。収録作はPCでタイプして書いた。だから手書きにおいては「書く」ことをしていないのだが、先日「標本」を読んでくださった方が全文手書きで写経してくださった。わたしは「書く」ことをしていないのに、読んでくださった方が「書く」ことをしてくださった、ある意味世界で初めてそれらの文章は「書く」ことを”成された”わけで、読むだけではなく、書かれたり、掘られたり、刻まれたり、いろんな使い方をしてもらえたら嬉しい。というような気がするけど、まあ、「読む」のがいっとう楽でしょうね。新作「十三月のうた」も、すこしでも楽しんでいただけますように。

 

 

 

2020/06/04

2020/06/03

手帳をなくしてしまった。そうするとどうも過去をすべてまっさらになくしてしまったような気持ちになっていけない。正直なところ、手帳がなくてはわたしは、今日なにをすればいいのか思い出せないほどに記憶力がない。昨日やったことも思い出せないし、今日が何月何日なのかも分からない。季節感がない。すべては毎朝手帳を開き、セーブデータをロードするみたいにして思い出す。しかし、「今日なにをするべきか」「昨日どうやって生きたのか」「今は何月なのか」というようなことは、元来、手帳に覚えておいてもらわなくてはならないことだろうか。こういったことを毎日手に書いて思い出さなくてはならないのだとしたら、そもそもの生活様式を見直してみたほうがいい。毎朝うまれなおしたような気持ちでいるから、勝手にそういう気分でいるから、朝起きたとき、今日がどの季節に属するのかもわからない。スマートフォンの日付を見て、毎日、今日は六月なのかあ、と思ったりしている。つい三日前まで五月だったらしい、印象が薄すぎる。そんなふうだから手帳にいろいろ書いているのに、それが失われてしまった。またまっさらに2020年を生きなくてはならないような気持ちになっている。今年の1月頃はなにを考えて生きていただろう。

そういえば、ユアグローの新作短編を買った。今年はなぜか彼の名前を思い出すことが多い気がする。去年の暮れにユアグローを紹介した男の子が、まさにぼくはユアグローのような作家になりたかったのですと年明け頃に連絡をくれた。そんなに刺さったならよかったなあと思った。ユアグローの作品は悪夢の実例、代用品、巧妙なレプリカであり、夢を見ない私にとってはサプリメントのようにときたま摂取したい作品のひとつだ。うつくしい悪夢を文章にしてみせてもらえたとき、まず初めにわたしはユアグローを思い出す。かれの作品はどこか展示品のような感じがする。

 

画像

 

題名は、「ボッティチェリ・疫病の時代の寓話」。この短編集の一作品目が「ボッティチェリ」で、とある架空の疫病についての物語だ。ユアグローをご存じない方へ、きわめて簡単な補足をここに残しておく。かれの作品は、不条理で、悪夢のようで、そしてだいたい1ページか2ページ以内に収まる。「ボッティチェリ」も例に違わずそのような小説だった。いま、わざわざ、疫病を書くということの意味。いや、そもそも悪夢を題材にするならば、いま、疫病以外のことをテーマに選ぶのもなかなか難しいことなのかもしれませんが。

「疫病」という呼び名は、今用いるには、古めかしくて大袈裟な感じがする。でも百年後から今日を振り返れば、この現状は疫病にくるしむ人々の姿そのものでしかないだろう。「疫病」という言葉の響きに、過去にたいしてあてるような古さがあるから、現在という時代に似つかわしくないように思うだけで、このイベントが歴史になってしまったあとはこれ以上はないほど似合うラベルにきっとなる。今わたしたちは疫病に苦しんでいる。

ところでこの「ボッティチェリ」のなかで書かれる疫病は(まさに、「ボッティチェリ」という名前の疫病なのだが)、最初の一文をいっそここに引用したくなるぐらいに心切ない症状を持っている。一文目を読んですぐに、ああこのうすぺらい本を買って心底よかったとそう思った。ここに悪夢がある。ここに絶望があり、人間の卑しさがあり、病というものが持つ無限のくるしみがある。人間がなにかを苦しいと思うとき、これは悪夢だと思うとき、間違いなくこのような絶望を母親としている。

わたしは夢を見ない。同僚は毎日見るのだそうで、ついに昨日の夢が「テレワークが日常になった世界」に切り替わったと教えてくれた。夢の世界にまで、この非日常が浸透したということだろう。たしかに。自分のなかでよくよく理解がしみこまなければ、夢の世界の構造までは変わらない。とするとほぼ夢を見ないわたしにだって、初めて小学校の夢を見た日、初めて会社で働いている夢を見た日、というものがあるはずだ。きっと現実よりも数か月遅れで夢の世界はそういう「舞台設定」に同期したはずだ。まったくそういう夢のことを覚えていられないのがすこし寂しい。テレワークが始まってから、まだわたしは夢を一度も見ていない。だからユアグローを読む。もう初夏なのだと、季節を思い出しながら読む。明日手帳に「九月一日 寒くなってきた 今日はお休み」と書かれていたら、わたしはその悪夢をまったく疑わずまるのみして信じる一日を送るだろう。

 

 

 

バリー・ユアグロー「ボッティチェリ 疫病の時代の寓話」|恵文社一乗寺店 オンラインショップ

2020/06/03

20200524

 

ブログのデザインを変えた。まるでアメリカの少女の日記を覗いているみたいな印象を受けるからかわいい、とおもってこれにしてみたけれど、背景が白じゃないと読みづらいからすぐにまた変えるかもしれない。

 

 

去年の旅行の記録をちゃんといつか書いておきたい。ほんとうはすぐに書かなければならなかったのだけれど。

 

誰かと一緒に旅をすると、その人のことがとてもよく分かったような気持ちになる。大抵はその人の嫌なところがいくつか見えてしまう、いいところがぐっとよく分かったりすることもあるが。旅というのは、「異文化との交流」のことだと思っていて、原則的にはストレスがかかることだ。でも面白い。だから行く。

 

一人旅は、向き合う相手が自分しかいない。どんな行動をしようと困るのは自分だけだから、予定をいくら変えても構わない。

 

海外に行ったりすると、日本という国の窮屈さがとても嫌になることがある。やはりヨーロッパの街並みは、(それが観光地として調整されたものなんだと分かってはいても)、やはり美しいし、歴史があって文化的だ。とてもいい。日本は災害大国だし、日本人は新しいものが好きだし、だから「中世の建物」が街にほとんど残っていないのはしょうがないことだ。でもやっぱりもう少し綺麗だったらいいのになあとは思う。ここは中世に建てられた修道院なんですよ、とホテルのドアマンが言った。英語の聞き取り間違いだろうかと思ったが、あとで調べてみると本当にそうだということが分かった。岩づくりの美しい建物だった。こういうものが街の片隅に普通に存在している、古いものを尊重する土壌がある街に暮らしている、とても羨ましい。

 

しかしまあ、日本のことを嫌いだったり貧相に思ったりするかというとそんなことはない。日本語の本が豊富に買えること、とても安全な国であること。いや、そんな利点をあげるまでもない。なによりわたしの母国だ。

美しさでは到底かなわないかもしれないけれど、しかしその辺の日本の住宅はそれなりに好きだ。高さもバラバラで、百年以上生き残っている建物は殆どないから新しいばかりだけど、つまらなくはない。適当な駅で降りて、住宅街を歩くのが実は好きだ。まだこういう趣味を持っていてよかったよなあと思う。とはいえ本心ではパリやバルセロナみたいな街並みを日本が少しでも宿していたらどんなによかったろうと思う。

 

 

2020/05/24

20200520

 

 もう6月になりそうだなんて信じられますか。世界はやさしい蓋がされたまま日本は梅雨が始まってしまって、東京は晴れの日が減りましたね。雷や雨の音が好きです、家の中でする読書が好きです、だから今はなかなかいい季節です。段々コンスタントに小説を書けるようになってきました。労働と通勤に使用される時間がぐっと減ったのが原因でしょう、とてもうれしい。最近は辞書を毎朝一頁ずつ読んでいる。しらない言葉がおどる紙面は楽しい。しっている言葉も、ああ、そういう意味の言葉だったんだ、ってもう一回出会えるみたいでたのしい。

 

 昨日は久しぶりに英語でMTGがあった。事前に、「ところで言語はなんなんでしょう?」って聞いたら、むこうはなにかに気付いたみたいに、「ああ、なるほど。すみません、通訳をちゃんと用意しておきますよ」とか言っていたから資料だけ適当に英語と現地語にして送付しておいた。自分が責任を持たない、メインで話す必要も、メインで話す人のサポートをする必要もない会議はひさしぶりだ。そして眠たい。責任はちゃんと覚醒を促すけど、無責任でいるとなにもかもがつまらなくなってしまう。それはどんな人間にとってもそうなんだから、やっぱり新入社員が会議で眠そうにしているのを咎めるのは(正当ではあるけど)ちょっと無神経なことなんだろう。最近、どうして会議で居眠りする人がいるんだろうなあ、って不思議におもっていたきがする。ばかです、わたしも一年目のころは毎日がねむたくてねむたくて仕方がなかった。

 

 通訳を用意しておくといわれた会議は普通に現地語で始まって、さすがに英語じゃないとなにも分からない。どこの国の言葉なのかも怪しい。いくつか混ざっている気さえする。さすがに進行に無理があると気付いてくれたらしくすぐ英語に切り替わった。英語を母国語としない人同士で、英語で話をするのは、ある意味ことばがとってもまっすぐに「記号」として用いられているということで、そういう空間にいるのはすきだ。自分が話したりするのは好きじゃないので、わたしも多少関係のある興味をもてる話題のなかで、そこそこみんなで好きに会話をしていてほしい。

 英語で話をするときには記号のやりとりをするみたいな感覚だから、べつに言い回しがネイティブらしくなくてもいい。というかそういうフレーズは邪魔になるかもしれない。ビジネス会議で、「その言い回しをそもそも知っていないと理解できない表現」みたいなものを使いだす人間には(相手であれ身内であれ)困ってしまうことがあって、かといって「軽い勉強をしていればだれにでも伝わりそうなフレーズだけ使ってくれませんか」なんて向上心が低くてかつ文化にたいしても失礼な物言いをすることはできない。しかしそういう「話し方」をネイティブも身に付けなくてはならないのではないか、という話もあるそうで、そういうのをグロービッシュ(global + english)というそうだ。慣用句のない、はっきり意味を割り切れる表現しかしない、そういう英語を使おうという考えをする人もいるとかいないとか。

 もちろんどちらにせよ私たちは英語を勉強するしかないわけだけど、しかし自分の国の言葉がそういうふうな「公用語」だったら、どういう気分なんだろう。日本語は、日本に生まれた人と日本語を学びたい人ばかりが学ぶ言語な気がしていて、日本に住んでいないしその予定もないのに、必要に迫られ日本語を学ばなければならない、みたいな人はそれほどいない気がしている(まあでも世界のどこかにはそういう人もいるのかもしれない)。でも日本語が記号として世界中で使われるようになり、国際会議でも日本語でものを喋ればいいようになったとき、わたしはちゃんと日本語を記号として扱えるだろうか、ちっぽけなプライドふりかざしたりしちゃわないだろうか。やるだろうなあ。わたしにとっての母国語が世界の公用語的なポジションを得ていなくてよかった。わたしにとって日本語は水で、温度があって、人を刺したりできる、言葉のなかで明白には書いていないことを伝えられる、だれかを温めるココアになることもある、わたしそのものかもしれないもの。ことばって大事だ。日本語がすきだ、なんてしみじみ思うことは普段はほとんどない。日本語しか知らないから。でもふとしたときに、自分が活字やことばにどれだけ思考や感情そのものを浸し頼り依存しきっているかを目の当たりして、怖くなっちゃうことがある。

 

 ところで――あくまでも、ダメな人間にとっては、という前提をかならずつけて話をする。サラリーマンの仕事っていうのは、昨日と同じパフォーマンスを出せていなくても、今日の給料が減ったりしないし、逆に今日1億円儲けることがあったとしても、それが自分の財布のなかにそのまま入ってくるわけじゃない。変動が少ない。だから「安定している」。特に研究職や開発職は、手戻りやテスト期間が長くても、運用にやたらとお金がかかるものを作ってしまっても、だからといって直結して給与が減ったりすることはない。年功序列。とてもゆるやかでやさしいエスカレーター。

 同期と話をしていた。仕事が嫌だねえ、あれが面倒くさいねえ、という愚痴を言っていた。同じチームの同僚や、家族や、友人とは、そういう話は一切しないことにしているから、業務においてはこれまでも今後もほとんど関係を持つことはない同期としかこういう話はしない。仕事は、とても大切なものだと分かっていてもないがしろに扱いたくなるときがある。たしかに価値を与えてくれているんだと分かっているのに嫌いになる。「仕事」は思春期の子供にとっての親のような監督者で、いろんなものを与えてくれるのに、たしかに今の自分に必要だと分かるのに、まっすぐ好きだと言いづらい。たまにそう思えることもあるけど。

「だからさ」と彼は言った。「これは一つの矯正施設だと思ったほうがいいのかもしれない。特に今日のような日はね。外は青空でかがやいている、オフィスからは東にビル街、西には鱗雲が見える、遠くに電車がはしっている、おれはどこかに行きたい。でも毎日飛び出しているわけにはいかない。このビルってさあ、ちょっと水槽みたいだよな」

 当時の職場が入っていたビルは、外窓が全面ガラスだった。近くに寄って下を見るのが怖い人も多いようで、窓までにはある程度の余白も取られていた。とはいえ偉い人は窓近くの席になる。窓に背を向けてオフィスをながめられる席になるのだ。「おれねえ、高所恐怖症なんだよね」という本部長の席の後ろには、ポスターやらおみやげの箱やら、いろんなもので窓の塞ぎがしてあった。わたしはスカイツリーの透明床もぜんぜん怖くないぐらいだから、そういうのに共感はできないんだけど、いつだったか販促ポスターを作った時に目隠し用に1枚寄付した。

 その、全面窓は、夕暮れのときがいちばん美しい。ほんとうに綺麗だ。ビル街の端っこに建っているために、西側は眺めがいい。ほかに高い建物がない。一番向こうのほうには山が見えたりもする。とっても都会にいるはずなのに不思議だ。住宅街のなかを通るオレンジ色の電車が見えるたびにこころがきゅっとする。毎日、雲と夕暮れの光とがぽうと光って幻想的になる。空が綺麗なのは、海が綺麗な場所における、特権的な景色なのだとずっと思っていた。でも違った。都会の空は綺麗だけど見えないだけだ。見晴らしのいいところから見ればそれなりに感動できる。季節にもよるけれど、ちょうど退勤時の夕暮れ頃にいちばんきれいになる。仕事の手を止めたくなる、ずっと見ていたくなる。水槽みたいな四角い箱のなかから、冬でもクーラーの効いたオフィスのなかから、夕暮れを眺めている。とてもきれいだ。ほんとうに好きだった。

 

 じぶんの思想や感情を、記号みたいには扱えない。これは水だ。

 

 

 

 やっぱりたくさん書いている人間になりたい。それを一つの場所でちゃんとお見せできるのかどうかはわからないのだけれど、でもいろんな場所をつくって、どこかではちゃんと書いているわたしでありたいと思っています。

 エブリスタでスターをいただくたびに、昔の本を褒めていただくたびに、なにかが閉じていくような気持ちになることがある。原因はよくわからない。でも、今日なにかを書くことができれば、明日なにかを開くことができるだろう。